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オードリー・タンの伝記を読んで

先日のゼミで「台湾の民主化」について学んでから、その立役者だとされている「オードリー・タン(唐鳳)」に興味を持っていた。彼は、台湾史上最年少の35歳で台湾のIT担当大臣に任命されると、次々と「民主的な改革」を行い続けている。

そもそも、どうして「民主化」に興味を持ったのかを話しておこう。それは、「教育のあるべき姿」を考えれば、避けては通れない問題だからだ。

子どもたちはどうして教育を受けるのか。
それには様々な答えがあるだろう。僕のお師匠様である内田樹先生は「それは成熟への歴程を歩ませるためだよ」と仰るだろうし、「将来よりよい就職先を見つけるためだ」と信じている保護者も多そうである。

教育基本法には、「教育の目的」が以下のように書かれている。

(教育の目的)
第一条 教育は,人格の完成を目指し,平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

教育基本法

ここで注目して欲しいのは、「平和で民主的な国家及び社会」の「形成者」という部分である。この「形成者」の持つ意味を深く考えていない人は多いかもしれないが、これはなかなか重たい言葉である。つまり、多くの教育関係者は「適応者」を育成しようとしてはいないか、という問いである。

「社会に出たら困るわよ」という言葉は、学校現場では耳にタコができるくらい言われている言葉であるが、これこそまさに「適応者」の育成を期して行われる教育の典型的な言説である。

既に「社会」はそこにあって、子どもたちはそこへ入っていく、のではない。子どもたちが「未来の社会」を「形成」していくのだ。そして、その姿は、我々には「想像がつかない」のである。これには同意してもらえる人も多いだろう。10年前に現代の社会が想像ついただろうか。もちろん、地続きではあるだろう。しかし、変化のペースは指数関数的に増えていくだろう。「予測できない社会」というのは、どの業種でも言われている言葉だ。

さて、話を戻そう。
民主主義とは一体何か。現代の日本ももちろん民主主義国家ではあるのだが、民主主義の衰退が叫ばれている。もはや日本は民主主義ではないという声も聞こえてくる。

オードリーは、「開かれた政府」について4点を挙げている。

1、政府の資料やデータを開放すること。
2、それについて、意見はないか、市民に対して、問いかけること。
3、市民の意見に対して、政府が答えること。
4、そのとき、言葉が通じない、障害があるなどの理由で、忘れられ、取り残された人はいないか、探すこと。

『「オードリー・タン」の誕生』 石崎洋司著 KODANSHA 2022 p197

オードリーは、民主主義を実現するために欠かせない要素として「透明性」を考えているようだ。そして、現代の日本の民主主義にこの透明性は皆無と言えるだろう。公開された文書には黒塗りがされ、選挙に勝ったら「何をしてもいい」と考えている政治家ばかりなのだから。

そんな政治に慣れてしまった我々は、「政治とはそんなものだ」と半ば諦めてしまっているところもある。自分と周りの人間が今日も明日も生きていければ、それでいいと。もちろん、社会変革という壮大な使命を抱くことは難しい。

しかし、教育という分野に携わっている以上、やはり「教育を受けた子どもたちの未来」についても考えないわけにはいかない。なぜなら、未来の社会の形成者は、現に今教育を受けている「子どもたち」なのだから。そして、我々大人だって、そんな未来の社会の住人なのである。

とりあえず、今、私にできることは、「自分の学級における透明性」を高め、子どもたちに「平和で民主的な国家及び社会」の「形成者」となってもらえるための素地を養うことに真摯に向き合うことだろう。

同志を求む。