見出し画像

国家統合の象徴としての明治天皇

江戸時代が終わり、明治時代になった新政府には「徳川将軍」に代わる「象徴」が必要でした。共通のイデオロギーを持つというのは、近代国家の特徴なのかもしれません。

そこで明治政府は天皇をその「象徴」にしようと画策します。
それまでの天皇の出で立ちは「髷(まげ)を結い白粉と鉄漿(かね お歯黒の液)を施した、女性的なもの」だったそうですが、徳川将軍家に代わる明治政府の新たな権威としての天皇は、軍事をも統括する主権者として男性的な天皇が求められました。

明治天皇の断髪が行われたのは、学制発布の翌年、明治6年(1973年)です。朝は髷を結い白粉を施して学問所へ向かった明治天皇が帰ってきた時には散髪姿で女官が驚いたというエピソードが伝えられています。

洋装でしかも大元帥としての軍服姿で髭を蓄えた、凛々しい天皇像が完成すると、明治政府はその天皇が徳川将軍家に代わり歴史的・民族的に支配の正統性を持つ、慈悲深く君徳ある君主であることを、すべての人々に周知徹底するような政策を推進しました。それが明治天皇の全国「巡幸(じゅんこう)」です。

巡幸は全部で97回も行われたそうです。ちなみに、1978年の巡幸の際の天皇の意見を侍講(じこう)の元田永孚(もとだ ながざね)がまとめたものが「教学聖旨(きょうがくせいし)」であるという話はすでにしていますね。この巡幸では、天皇を迎える地方官の権威を高められ、軍の演習と関連付けることにより天皇と軍部を直結させるなど、近代天皇制の確立期におけるプロパガンダとして機能しました。ここに明治政府は、天皇の「可視化」の力を感じます。

そこで案出されたのが、天皇・皇后の肖像写真を撮影し、全国の官公庁や軍事施設に「下賜(かし 天皇が下に授けること)」することでした。これが以後、「御真影(ごしんえい)」として、「教育勅語」と共に国家主義を支える重要な装置になったのです。

話は逸れますが、北朝鮮の映像にも「統治者」の写真を屋内前方に堂々と飾っている様子が映されることが多いですね。こういう面でも「視覚化」というのは、人々を統治するための有効な策なのでしょう。

現代の日本の学校における教室の前面には何が掲示されているのかを考えると、すぐに浮かぶのは「学級目標」ですね。そこにある文言は「みんな・仲良く・元気よく」的な「道徳教育における徳目」的なものです。他には「学習のルール」ですね。これは「声のものさし」とか「ハンドサインのルール」です。
こう考えると、現代の学校教育が大切にしていることは、「徳育」と「知育」になりますね。皆さんの教室の前方には、何が掲示されていますか?

参考文献
『教育勅語と御真影』 小野雅章著 講談社現代新書 2023