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歴史学習にエピソードを

JINー仁ーというドラマを観終わった。全22話で総時間は24時間を超える作品をわずか5日間で観終わってしまった。

僕はドラマを観るのを避けている。一話を観るために「1時間」拘束されてしまう。他に何かをすることもできない。子育てをしているからか、自分が1日の間に自由に使える時間は本当に少ない。読みたい本もある。新聞も毎日やってくる。Twitterも覗きたい。それらができなくなるのが嫌だったので、意図的に避けていた。

一方、妻はドラマが大好きだ。毎シーズン、何を観ようかとワクワクしている。僕と一緒に観たいらしく、いろいろと勧めてくるが素っ気ないふりをして観ることはなかった。避けているものの、僕もドラマを観るのは好きだ。松嶋菜々子が主演の「やまとなでしこ」というドラマを中学か高校くらいのときに観たのが初めてだったか。矢田亜希子が強烈に可愛かった。

さて、そんな僕が今回はJINを観た。あまりにしつこく誘われたので、観念して見ることにした。面白かった。本当に面白かった。この五日間はJINに入り浸りだった。内容は現代の医師が幕末へタイムスリップするSF医療歴史ドラマ。同名の漫画が原作だ。「教師である僕が150年前へタイムスリップしたら何ができるのか」そんなことを毎回考えながら見ていた。

前振りが長くなってしまった。「やまとなでしこ」のくだりは必要なかったかもしれない。今回書きたいなと思ったことは、「歴史学習にはエピソードを」ということである。

JINには様々な歴史上の偉人が登場する。緒方洪庵、坂本龍馬、勝海舟、西郷隆盛・・・。いずれも、国民的な人気を誇る歴史的偉人たちである。しかし、恥ずかしながらJINを見るまでの僕は、幕末の歴史がイマイチ好きになれなった。何だかごちゃごちゃしてるという印象。それよりも明治維新後にできた様々な制度の方が好きだった。10年ほど前に爆発的に人気を博した福山雅治主演の「龍馬伝」も観ていなかった。小学校の歴史でも幕末はあまり深くは扱わない。授業で教える程度の知識でこれまで生きてきた。

そんな僕がJINを観てワクワクしっぱなしだった。国が変わる瞬間というのは、何ともまぁエネルギッシュというか。誰もが国のために動き、自分の欲のために動き。何かを成し遂げるためには、それぞれの立場とか大切なものがぶつかり合う。そもそもこの時代の人間は「命よりも大切なものがたくさんある」。大切なもののためには命を投げ出せるとは、今も続く日本のブラック企業に続くものではないだろうかと思うほど。

どうしてこんなにワクワクをしたのか。それは偉人たちの持つ「エピソード」のおかげなのである。「自分がそこにいたらどうしただろう」「自分ならどんな言葉をかけただろう」。登場人物と自分を重ね合わせて、共感したり、腹を立てたり。物語の中に自分を埋めることで起こるワクワク。この感覚が幕末には溢れていた。

思えば、僕が学生時代に受けた歴史の授業は「文字と数字」の記号だらけだった。そこに個人のエピソードはほとんどなく歴史の授業でワクワクすることなど記憶になかった。それでも歴史が好きだったのは、自分の中にある漫画やゲームで得たエピソードが授業で登場する時があったからで、それはやはり授業へのワクワクではなかった。

歴史とはワクワクするものである。しかし、そのワクワクには「エピソード」が不可欠である。その当時の人がどう感じて、何を語って、どのように動いたのか。息遣いや空気感。「自分だったらどうするのか」。自分が没入していく感覚。これらを教科書と資料集だけから感じ取るのは難しい。ならば、教師が積極的に「エピソード」を提供していかなかればならない。しかし、これには相当なスキルがいる。話術のみで生徒を歴史の世界へ没入させるスキル。

それならば、ドラマや漫画はどうだろう。空気感や世界観は伝わりやすいのではないだろうか。JINには歴史監修として大学教授の名があった。ドラマとしての演出が多少あったとしても、教材として使えないとは言えないのではないか。

こんなにもおもしろい歴史。エピソードで語れるように知識を蓄えていかなければ、「文字と数字」の記号だけの歴史授業をしてしまいかねない。

よし、「龍馬伝」を観るか。