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学校文化を疑い、自分で考える

学校文化というのは、学校という社会の中では、かなり強力な力を持っています。それが社会から見れば「おかしな文化」であったとしても、「中の人」からすれば、それは抗うことが不可能にも感じられてしまうほどです。

例えば、「授業では必ず<めあて>を書きましょう」というのがあります。その文化の力は、多くの場合「必ず守られるべき規範」として作用してしまいます。

僕が2年目の教員の頃に外国語活動の研究授業を行いました。夏休みに、街中の建物を写真に撮って、その写真を用いて体育館を町に見立てて、自作の地図を作り、英語で道案内をするという大掛かりな授業をしたことがありました。内容は拙いものであったのでしょう。しかし、子どもたちは英語を使って、実際に体育館を歩きながら「turn right」や「go straight」などということを身体実感を伴って学んでいたように見えました。その後の授業の検討会において出た意見のほとんどが「冒頭に<めあて>を書いていなかった」ということへの疑問と非難でした。2年目の僕からしても「え、そんな細かいところが大事なの?!」と困惑したことを覚えています。それくらい、当時の職場の先生方からすれば「<めあて>の無い授業」への困惑は大きかったのでしょう。

これは単なる僕の恨み節なのですが、全国の教師にインタビューしてみれば、この手の「おかしな文化」への違和感というのはいくらでも出てきそうです。名古屋の学校で伝統的に行われていた、火のついた棒を振り回す演技を子どもにさせる「ファイヤートーチ」についても、名古屋で勤めていた教師に聞いてみたら「それが当たり前だったから、事故報道が出て、全国の先生のその反応に逆に驚いた」という話があります。

すでに絶滅しているであろう「組み立て体操」も悪き例ですね。工事現場業界では従来より「1mは一命取る」と言われていて、落ち方が悪ければ命に関わるということで注意喚起がなされていました。しかし、学校現場では、運動会で毎年行う組み立て体操の「人間ピラミッド」を安全配慮も特にしない状態で「高層化」を進めていました。「昨年度よりもいかに高くするか」に苦心する教師を何人も見てきましたし、当時の僕は、それを「すごい指導力だ」と感心してしまっていました。

さて、そのような「学校文化」を、学校社会における守られるべき「規範」と捉えると「社会規範」とも言えそうです。すると、社会規範について述べた以下の文章からの学びは多そうです。

まずは社会規範から検討しよう。たしかに、社会規範というものには良識あるものもたくさんある。多くの尊重すべき点を見出しもするだろう。それでも、長い間つちかわれてきた偏見や、頑迷さや、抑圧の産物であり、つまりは良識のかけらもないような社会規範もまた、数多く見られる。(中略)もちろん、思いやりや基本的な礼儀といったものも、社会規範である。しかし他方では、型破りを恐れたり、新奇な考えを締め出そうとするのもまた、社会規範なのである。社会規範はさまざまな物が詰め込まれたカバンなのだ。無視するべきではないが、それで一丁上がりというわけにもいかない。

『ここからはじまる 倫理』 アンソニー・ウエストン著 野矢茂樹他訳 春秋社 2004

たしかに、授業における<めあて>が大切なことも多々あるのでしょう。ファイヤトーチや組み立て体操にも、「やりがい」や「感動」があったことは、たしかに認めます。そして、それと同じくらい、そこには「偏見や、頑迷さや、抑圧」もあったはずです。

まさに上記引用文が述べている通り、「社会規範はさまざまな物が詰め込まれたカバンなの」です。特に学校組織の「閉鎖性」は長らく指摘されてきました(その結果として、新自由主義的「社会規範」である「競争」や「自己責任論」や「人事考課」も導入されてしまい、学校組織は大打撃を受けたわけですが)。その閉鎖性を打開するためには、教師は「開かれ」ていないといけません。

「開かれ」とは、「可能性を限定しない」ということです。現状維持を前提とせず、「より良い教育とは何か」を「自分で考え続ける姿勢」のことです。

組み立て体操をしていた頃、ある児童が人間ピラミッドから落ちて「骨折」したことがありました。それでも、その日の放課後には「組み立て体操を中止にしよう」という雰囲気には一切ならず、「あの子は、そそっかしいところがあるから」と、翌日の練習プランを考えている教師の姿がありました。

学校文化の閉鎖性を打開するための「開かれ」は、まさに学校現場で働く我々には求められています。そのためには、その組織に「空気のように」流れている「社会規範」を疑い、自分で考えるということが大切です。

お師匠である内田樹先生の言葉を最後に。
「教育は、教育を語る語彙が少なすぎる」
我々が教育問題を語るとき、その語彙を「教育の世界の外側」から輸入する必要があるのかもしれません。