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『ケーキの切れない非行少年たち』①

一時期とても話題になった『ケーキの切れない非行少年たち』(宮口幸治著 新潮新書)は、読まれた方も多いのではないでしょうか。

児童精神科医であり、少年院での法務技官としての経歴を持つ筆者が、その経験から非行少年たちの持つ「ある傾向」について述べた一冊です。その傾向とは「知的障害」です。つまり、筆者が関わってきた非行少年たちの多くは「知的障害」を持っていたか、もしくは「認知機能が弱」いと言う特徴があったと言うのです。

筆者はいくつかの医療少年院での勤務経験があるそうですが、その経験は決して特別なものではないと以下のように主張しています。

全ての施設で発達障害や知的障害を持った非行少年が収容されているわけではありません。しかし女子少年院での勤務経験も含め、他の少年院の少年たちの情報を併せると、私の勤めた医療少年院の少年たちだけが特別ではないことが分かってきました。本書で述べている非行少年の特徴は少年院に在院する多くの非行少年たちにも該当すると思っています。

同書 はじめに p9

もちろん、僕自身は医療少年院という現場を全く知りませんし、知っているという人の方が少ないことでしょう。そういう意味で、世間に知られざる経験を述べたという意味では、貴重な一冊であることは、わざわざ僕がいう必要もありません。

しかし、その内容については「拙速」と言わざるを得ない点があり、そこについて言及しておかないといけないのではないかと思い、このような文章を書いています。

本書の問題点はいくつもあるのですが、まず、真っ先に述べておきたい点は、この本が、筆者の宮口氏が考案した「コグトレのみ」を推奨するような構成になっているという点です。

本書は、全七章の構成になっており、各章については以下のように構成されています。

はじめに
第一章 「反省以前」の子どもたち
第二章 「僕はやさしい人間です」と答える殺人少年
第三章 非行少年に共通する特徴
第四章 気づかれない子どもたち
第五章 忘れられた人々
第六章 褒める教育だけでは問題は解決しない
第七章 ではどうすれば?1日5分で日本を変える
おわりに

すぐに気付ける点として、一〜六章については「現状の問題点」を挙げており、七章で「解決策の提案」となっています。つまり、一〜六章で高まった不安な気持ちは、七章で解決の糸口が提示されて終わるという構成です。

犯罪を犯す人たちを減らすにはどうすれば良いかというのは、かなり込み入った問題であり、世界各国でも研究がなされていることでしょう。その原因は決して一つではないはずですし、一つの要因を持って犯罪と結びつけてしまうことの危険性について、我々は慎重になるべきであるとも思います。

それは最終的に、「劣等人種」としてナチスに「最終的解決」されてしまったユダヤ人たちの悲劇である「ホロコースト」への道にもなり得てしまいます。

しかし、宮口氏は七章でかなり具体的な提案をしています。それが、筆者考案のコグトレです。七章で筆者は、「これ以降、困っている子どもたちへの具体的な支援の方法について紹介していきます。」と宣言して、具体的な提案である「コグトレ」の説明を始めます。

筆者は、子どもへの支援として「社会面、学習面(認知面)、身体面の三方面の支援が必要です」と述べています。そして、その中でも前者二つについての具体的なトレーニングを本書で紹介しています(しかし、その紹介は図やイラストもなく、詳しくは市販されている教材を参照してください、となっている)。

コグトレの具体例としては、
・写す「点つなぎ」
・覚える「最初とポン」
・見つける「同じ絵はどれ?」
・想像する「心で回転」
・数える「記号さがし」
などが短い文章と共に紹介されています。

どの課題も、未就学児が保育園や幼稚園でさせられる「学習の前段階的な内容」であり、筆者曰く「パズルやゲームのような課題なので、直接的には学習という感じがしません。たいてい子どもたちは楽しみながら課題に取り組みます」と述べているのも納得できます。

そして、その「納得感」と「これが犯罪を無くすための具体的なトレーニングなのか?」との間の落差がどうにも腑に落ちないのです。

筆者は七章で、「コグトレのような認知機能トレーニングは、犯罪を減らすことにも繋がります」と大胆にも述べています。しかしそれは「犯罪の要因は、発達障害や知的障害のような認知機能の問題である」と述べているようなものであり(筆者の体験だとそうなるのだろうが)、これは、「発達障害」や「知的障害」を持つ人たちは「犯罪者予備軍である」というミスリーディングを起こさせる言明ではないでしょうか。

筆者はそうすることで、そのような人たちを「支援へと繋げたい」という思いがあるのは想像に難くありません。そのような支援が受けられなかったという悔しさを実際に感じてこられたのでしょう。しかし、そのための方策が本書であるのならば、それはやはり「拙速」なのです。