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私が!私が!していた自分大好き母ちゃんですけど、ええやんええやん!

衝撃の事実。

去年の私、同じ過ちを犯してました。


と書いて気付く…。

『あやまち』って『過ぎる』っていうのと同じ漢字なんですね。

いやまあこっちの→『誤ち』もあるか。


過ちは取り返しのつかない失敗や過失に対して使う言葉で、誤ちは正しいか正しくないかの基準に沿って判断をくだした事に対して使う言葉なんだそうです。


去年の私は過ち誤ち両方って感じです。

堪える方を選んでしまったんです。
息子に堪える事を望んでしまいました。


息子が小1の頃と同じように。

いじめられて辛かった息子の気持ちを見ないようにして、どうにか他の子と同じようにさせなければと思っていた、あの頃と全く同じです。

さすがに『堪えなさい』とは言ってませんが、やった事は同じ意味です。


はぁ…

残念すぎます。
自分にガッカリ。


過去の事はもう取り返しがつかない事ではあるし、自分を責めても何も始まらないのはわかっています。

でも『今回はちゃんと出来たよ』と、自分に言ってあげたかった。

また同じ過ちを繰り返してしまいました。


今回、息子はいじめられたわけではありません。
それでも自分に無理をしていたわけです。

その気持ちに気付いてあげられなかった。

気付かないようにしていたのかもしれない…なんてね、もうね、理由はわかってるんですよね…


堪えていたのは私なんです。

息子が無理をしている姿を見て それが辛そうだと気付いていて、息子が辛そうなのが辛かったのに私が堪えたんです。

私が自分の辛い気持ちを堪えてしまった。


\だって…/
その先は一言で言うとエゴと執着です。
(それ二言じゃね?)

そんな事していたら、息子にも堪えろと思うに決まってます。


『お母さん、あの時と同じ事してしまった…。』

息子にそう言いました。


息子は

『それはお母さん側の気持ちでしょ!』

そう言って自分の気持ちを話してきました。


『オレは自分が無理をしてしまった事を振り返ってるんだよ!』


私はハッとしました。


そうか、私が自分を救いたくて、耐えなくていいと言える人でありたかったのか。

結局、私はずっと私を救いたかったんだ…。


私はしばらく唖然としてました。

その間も息子は、当時の自分の気持ちを振り返ったり今思う事を語ったりしていました。


すごいなぁ~言葉にしてるなぁ~
それを聞いてあげるだけで良いのか…


いやそんな事は頭ではわかっていました。


私はnoteでもインスタでも、

不登校は子どもが自分で乗り越える人生の通過点だと思っています

と、よく言ってます。


でも心のどこかで、息子の人生に自分の気持ちをグイグイ割り込ませてたんですね…。 


もう何なんだよ、あたしゃ!
どこまで自分自分なんだよ、嫌になるよ、まったく!


私が狭い世界で右往左往とジタバタしている横を、息子は自分で進んでいるんだなぁと脱力感に近い感覚になりました。


でも何だか自分の事がそこまで情けない感じでもなく、そんな重苦しく塞ぎこむ事でもないのかと思ったり、きっとこれが自分と向き合ってきた効果だと思います。

ざっくり言うと、これが私ですっていう感じです。(それでもええやんっていう開き直り♡)


ここで回収しときましょうかね。

過ちは過ぎると書きますので、過ぎたものは過去ですね。

反省はしますが時間は進んでいるんですよね。
私たちは進んでいます。

過去はどうやっても過去なんです。


それではまた。



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