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2028年6月30日に、またここで会おう

『2020年6月30日にまたここで会おう』
これは昨年急逝した瀧本哲史さんの、「伝説」の講義である。

つい先日、いつものようにフェイスブックをチェックしていたときに、たまたまこの講義に関するサイトを見つけた。恥ずかしながら瀧本さんのことは全く知らなかったのだが、このような「大人」や「先輩」の話や講義を聞くのが元々好きだったので、ちょっとした興味本位でページを開いてみた。

初めはちょっとだけ見て終わりにする予定だったのだが、読み始めると手が止まらず、結局一気に読んでしまった。
これまでの人生で本を一冊読みきったことは何回あっただろうか、おそらく手で数えられるくらいだと思う。そんな自分が珍しく最後まで集中して読み終えたのだから、自分にびっくりしてしまった。

この講演が実際に行われたのは8年前、2012年のことである。わたしは当時高校生でこんなことが行われていたのは全く知らなかったが、実際に聞けていたらどんな感情を持っただろうか、生きているうちに生で話を聞いてみたかった、、と思ってしまった。もう叶わないのは分かっていても。

直接聞けなかったにせよ、このような形で講演の内容に触れることができたのは本当に良かった。このメッセージを受け取った自分ができることは何かを考え行動に移すことが、瀧本さんやこのような機会を与えてくださった方々に示すことができる感謝だと思うので、自戒もこめて、自分なりに考えたことをこの記事に残しておこうと思う。

#瀧本宿題 に挑戦します

上記のページにあった通り、わたしも #瀧本宿題 を実践してみようと思う。
今回わたしが記録として残しておくのは、以下の3つの項目について。

●講義を受けて、感じたこと、考えたこと、決意したこと
● 2012年から2020年までのこの8年間、自分なりにやってきたことの振り返り
● これから先の8年間で、自分がやるべき「宿題」(課題・目標)

これらについて考えたこと、感じたことを書き出してみる。

講義で得た新しい視点

講義を受けて(読んで)強く印象に残ったことが、大きく二つある。

● パラダイムシフトとは、「世代交代」である
● 波が来ていなくても海辺に立っている「頭おかしい人」になること

他にも様々な発見があったが、この二つは今の自分が置かれている状況や日々考えていたことと重なる部分が多く、印象に残った。
以下に少しずつ、自分が考えたことを書き残しておく。

いつか変わる日のために

まず一つ目、パラダイムシフトについて。これが世代交代であるということは、目から鱗が落ちるような発見だった。

自分は正直、日本が好きではない。もちろん好きなところもあるが、世の中の仕組みとか、社会の出来事を自分事として捉えることができる人が多くないところとか、うんざりしてしまうところが多々ある。
「文句があるなら自分が行動を起こしなさい」と言われるだろうということは分かっている。自分だけの力でどうにかなることなら行動に起こす。しかし残念なことに、自分一人が動いてもどうにもならないことの方がずっと多い。

自分が最近体験したうんざりエピソードを一つ書いておく。
(これについてはいつか書こうと思っていたが、今日になるとは、、)
それは昨年冬、海外の大学院を受験するために必要な書類を揃えていたときのこと。

志望校の大学院の受験要項には、「書類には学長の直筆のサインがしてあること」と書いてあった。しかしわたしが通っていた大学が発行する書類の学長のサインは、直筆のものをコピーしたものであった。
学生の数が多いのでそうなるのも無理はないと思うが、今回に関してはどうしても直筆のものが必要であった。そこで大学の事務局に行き、特別に書類を発行してほしいとお願いをしたのだが、即答で「NO」と言われてしまった。大学院側に改めてメールで確認した上で「直筆のものを出してくれ」と言われていることも説明したが、それでも「NO」の一点張り。「大学の決まり」だからだそうだ。

比較的温厚な性格(だと自負している)なわたしも、これには流石にキレそうになった。なんとかしようと努力してダメでした、ではなく、努力すらしてもらえなかったことがとても悔しかった。
そうやって「上が決めた決まり」に頭を使わずに従っている人間がわたしは大嫌いだし、自分は絶対にそうなりたくないと強く思った。

(この件については自分の所属している研究室の教授に相談し、たまたま学科内に大学の副学長がいたことでなんとか学長に直接頼み込むことができたので直筆のサインをもらうことができた。近くにいた先生方が頭の固くない方々で本当によかったし、感謝してもしきれない、、)

だから「世代交代」としてのパラダイムシフトが起こるということが分かって少し安心したというか、まだ希望が持てるなと感じた。それと同時に、その「変わるとき」のために、自分と同じ年代やそれよりも下の年代の人を中心に、自分たちで正しい判断ができるようにしておくべきだと感じた。
もっといろんな人が自分事として社会で行動を起こせるように、自分も学び続けながら、発信していくことが必要だと思う自分が考えていることを自信を持って発信していける人になりたい。

「ブルーオーシャン」にいる勇気

そして二つ目。「頭おかしい人でいる必要がある」ということに関しては、自分の進もうとしている道に対して大丈夫だよ、と言ってもらえている気がして少し嬉しかった。

上に述べたように、わたしは建築をより深く学ぶために、海外の大学院進学を目指していた。日本以外の場所で生活して違う文化や建築に触れながら学びたいから、まだ社会に出て建築人として仕事をする実感と自信が持てないからなど理由はいくつかあるが、「普通の人と同じ道に進んで真っ当に勝負できる自信がないから」ということも理由の一つとしてあった。

今回の進学の件に限らず、わたしは昔から人と違うことをするのが嫌いではなかった。むしろ人と違うことを多く経験しているというのが自分のアイデンティティであって、それに依存している部分もあるように感じる。

建築のコンペを企画したり、

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友達とアートユニットを組んで、展覧会を開いたり。

他にもミュージカルやストレートのお芝居をしたり、ボランティアの企画をしたりもした。

「いつもいろんな場所に飛び込んで挑戦していてすごいよね」って言われることが多い。一つのことを究めて人に勝てる自信がないけれど、好奇心は多方面にあるからこういうことができるだけなのだと思う。もちろん、新しいことを体験したときに感じる新鮮な喜びや充実感も好き。

海外の大学院への進学については結局叶わず、現在は国内の大学院進学を考えている。周りの友人は社会人として働いていたり、進学した大学院で学んでいたり。これまでは人と違う道に行くことになんの抵抗感もなかったのだが、自分だけが社会のどこにも所属できずに一人違うことをしていることに対して、初めて孤独感や心細さを感じるようになった。
自分はこのまま何者にもなれずに、どこにもいることができずに歳をとっていくのかもしれない、、という根拠のない不安に押しつぶされ、最近になって初めてストレスで体調を崩したりもした。

いい波に乗るためには、波が来るのを見てから走り出しても遅いんですね。波が来ていなくてもずっと海辺に立っていなきゃいけなくて、その間ずっと、他の人から見たら「頭おかしい人」である必要があるということです。

そんなときにこの言葉と出会った。
もしかしたら自分は、波に乗るために今こうしているのかもしれない。それならばいっそ「頭おかしい人」になって、絶対に波に乗りたい。そう思った。

そのためには波が来たときにちゃんと乗れるように、自分側も準備をしておく必要がある。自分の進む道が正しいと思えるような自信とそれに見合った努力、「自分の仮説を試すこと」が必要で、自信をもって考えを行動に起こせるように「学ぶことをやめてはいけない」と思う。

そういえば研究室の教授に海外大学院への進学を相談したとき、こう言われたのを思い出した。
「今は『レッドオーシャン(同じフィールドで戦う)』よりも『ブルーオーシャン(自分だけのフィールドをつくる)』にいる方がこの先有利に働くと思うし、その選択はすごくいいと思うよ」

時には独りだと感じることもあるかもしれないが、近くで支えてくれる人たちをときどき頼りながら、ブルーオーシャンで生きていきたい。瀧本さんの言葉で、改めてそう思うきっかけと勇気をもらった。

落ちこぼれ女子高生

さて、次はこの8年間(2012〜2020年)で自分なりにやってきたことの振り返りをしようと思う。
自分の8年間は大きく、高1〜浪人の4年間と、大学生の4年間の2つに分けられるように思う。

まずは前半の4年間について。
はじめに書いたように、2012年の私は高校生だった。ずっと行きたいと思っていた学校で、充実した学生生活を送っていた。
その学校に行きたかった理由は、校則がほとんどなく生徒主体で動く自由な校風と、自称「日本一の体育祭」で行われる仮装競技(ダンス)に圧倒されたから。進学率がいいなどの学習面で進路を考えなかったのがいかにも中学生らしいが、親や先生は応援してくれて、志望校になんとか合格することができた。

高校は県内トップレベルの進学校だった。初めはまあまあ順調に見えた学習は途中からついていけなくなり、高2秋から高3夏の一年間は勉強を放棄して、仮装競技の準備やその他の学校行事に明け暮れた。
結果大学受験は全落ちし、自動的に浪人することが決定した。

浪人の1年間で放棄した1〜2年分の学習を取り戻すのは、なかなかキツかった(自業自得)。わたしは建築を学びたくて理系を選択したが、そもそも理系科目全般が苦手で、理系科目は常に赤点しかない文系人だった。私立の大学を志望していたのもあって、浪人の1年間の学習は理系科目ばかり。それも正直応えた。
でも自分の苦手に必死で向き合ったことで、精神面はかなり強くなったように思う(残念ながら、ボキャブラリー不足でこの感覚をこれ以上うまく言葉に表せないのだが、、)。自分としてはいい経験にもなった。

学歴コンプを原動力に

浪人期間を終え、無事に建築を学ぶことができる大学に進学した。大変喜ばしいことだったのだが、わたしは第一志望の大学が不合格だったので併願校に進学することになった。
先に書いたとおり母校は進学校で、一緒に浪人した友人たちは東大などの国公立や早慶レベルの私立大に合格し進学した。わたしはそれよりも下のレベルの大学に進学することになった。学歴が全てではないということは頭ではわかっていたが、それを自分の中でちょっとしたコンプレックスのように感じていたのも事実だ。

入学した大学に満足できていないのなら、大学の外に出てやってみたいことに挑戦してみよう。このコンプレックスはわたしの原動力にもなった。
上にも書いたように舞台出演、舞台のスタッフ、ボランティア企画、展覧会開催、コンペ企画など、4年間でいろんな世界に飛び込んだ。その他にも興味を持った講演会に参加したりして、多方面で活躍している大人たちと出会い、たくさんお話を聞かせてもらった。

大学の外で活動をしている自分と常に対照的に見ていたのは、学科の同期たちだった。彼らは設計の授業のために何日も徹夜して、時には他の授業をサボってまでずっと建築を考えていた。アルバイトは設計事務所のお手伝いで、休みがあるとみんなで遠出して何をするのかというと、有名建築めぐり。文字通り、彼らは自分たちの時間のほとんどを建築に捧げていた。
一つのことをじっくりと取り組めるみんなを純粋にすごいなあと思うと同時に、自分はそうはなりたくないとも考えていた。自分は同じ土俵では戦える自信がなかったということもあると思う。

大学の4年間でやってきたことはまるでバラバラ。もちろん大学の授業にも真面目に取り組んだけれど、それと同じだけ、いやもしかしたらそれ以上に、大学外の活動にも真剣に取り組んだ。「やらない後悔よりもやった後悔」を自分の中の合言葉にして、やる理由がはっきりしていなくても、とにかくチャレンジしてみようと思って動いていた。
今思うとこの後半の4年間は常にブルーオーシャンに向かおうとしていたのだと思う。この経験をこれから先どこかで生かせるのであれば、決して悪くない選択だったのかな、と思う。

Collecting the dots, connecting the dots

最後に、これから先の8年間(2020〜2028年)で、自分が考える「宿題」について書き残そうと思う。

わたしの「宿題」はざっくり言うと、これまでに得たdotsをつなげることと、引き続きdotsを集めることだと考えている。

この"dots"と言うのは、かの有名なスティーブ・ジョブズが2005年にスタンフォード大の卒業式でスピーチをしたときに言っていたものである。

自分の興味の赴くままに潜り込んだ講義で得た知識は、のちにかけがえがないものになりました。たとえば、リード大では当時、全米でおそらくもっとも優れたカリグラフの講義を受けることができました。キャンパス中に貼られているポスターや棚のラベルは手書きの美しいカリグラフで彩られていたのです。
退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義で学ぼうと思えたのです。ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。科学ではとらえきれない伝統的で芸術的な文字の世界のとりこになったのです。

もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。もし大学であの講義がなかったら、マックには多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。ウィンドウズはマックをコピーしただけなので、パソコンにこうした機能が盛り込まれることもなかったでしょう。
もし私が退学を決心していなかったら、あのカリグラフの講義に潜り込むことはなかったし、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかった。もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。

繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。
だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。
私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。

(引用:「ハングリーであれ。愚か者であれ」 ジョブズ氏スピーチ全訳

原文(英語)では "connecting the dots" と表現されている。

今思えば、大学での4年間は、dotsをcollectingしていたのだと思う。これからの8年間ではそれらをうまくつなぎ合わせて、自分にしかできない何かを生み出していきたいと思う。

これだとあまりにも抽象的すぎるので、もう少し具体的に。
イメージとしては、今学んでいる建築を軸に据えつつ、建築以外のものもデザインしていけたらと考えている。建築家になって建築の設計をすることも夢だが、それだけでなく、プロダクトなど建築よりもスケールが小さいものや地域社会のシステムなどのソフト面など、建築のひと回り外の領域のものもデザインしたい。人のために、社会のために、そして地球環境のために、自分の持っているアイディアを多様なスケールや媒体で形にできる人になりたいと思う。

なんとまあ、大きくて生意気なことを言っているな、自分、、。
これを見た数年後の自分は「全然達成できてないじゃん」と呆れているかもしれない。そう考えるとここに残しておくことは少々怖いことではあるが、少なくとも今はそんなことを真剣に考えている。建築以外の領域のことにも挑戦してきた自分だからこそ、創れるものがあると信じている。

これまでの人生で集めたdotsをつなぎ合わせるだけでなく、これから先もdotsを集めることを続けていかなくちゃな、とも思う。この将来像に近づくためには、まだまだいろんな経験を積んでdotsを集めることが必要である。
今のわたしが特に興味を持っているキーワードは、「気候変動」「人間らしい感情・行動」「愛着」「地域社会」「環境因子」である。少し抽象的だし、現時点ではこれらに関してどう動いていきたいのかはまだはっきりしていないが、これから先の数年間はおそらくこれらに関するdotsを集めていくことになるのだろう。

自分の生き方探し

話が少し変わるが、先日とあるTV番組で、橋下徹氏のスピーチを聞いた。
(参照:橋下徹 vs 高学歴ニート「死ぬまでに"燃焼"してほしい」

彼曰く、人間は35歳あたりでそれぞれの立ち位置・生き方が決まってくるそうだ。「自分が燃焼できる環境は35歳までに見つけるべき」だと。
自分の生き方も、せいぜいあと10年くらいで決まってしまうかもしれない。それならこの10年は必死に動き回って、自分が納得できる生き方を絶対に見つけてやろう、手に入れてやろうと思った。せっかくいろんなdotsを集めてきたのに、このまま何にもならないのは嫌だ。

これまで、自分がやりたいことはなんでも挑戦してきた。どんなに無謀に思えることでも挑戦してしまうが故に、家族や周りの人を巻き込んで、振り回して、たくさん迷惑もかけてきた。
いつも申し訳ないなと思いつつ、その気持ちを言葉にできていないのが現状だが、それでも周りの人は「意外とクレイジーなところあるよね」「とがってるね」と言いながらも笑顔で受け入れてくれている。私が逆の立場だったら、こんな人は関わりたくないと思うのに、、人に恵まれているなと思う。

いつまでこんなことをしていられるのかはわからないが、もしも支えてくれる人がいるのなら、それにきちんと感謝して、これからもしばらくはいろんなことに挑戦して、全力で暴れまわりたいと思う。誰かの用意してくれた道を歩くよりも、手探りで道を探す方がよっぽど自分らしいと思うので。暴れるからにはきちんと結果も出したい。

わたしの「宿題」

これから始まる8年間は、自分の立ち位置を見つけるための期間になると思う。ブルーオーシャンに向かって進み続けて、自分なりの働き方、表現の仕方、生活の仕方、生き方を必ず見つけることを自分の宿題にしようと思う。
そしてわたしのその生き方が、他の人や社会にどのようなインパクトと活力を与えることができるかを言えるようになれたらいいなと思う。

人と違うことをし続けるためには、自分の意志の強さが重要になってくる。なんでこうしたかったのか、自分はどう変わろうとしているのかを常に考えながら行動していく必要があると思う。あとは一緒にその道に進んでくれる仲間ができたら、それ以上に心強いことはない。

まずは大学院へ行って学びを深めながら、地域由来の材料と労働力を生かした、都市部以外の地域でも成り立つようなサスティナブルな建築をつくることを考えていきたい。
そのあとのイメージはまだあまりできていないのだが、地域に寄り添った、人にも環境にも優しいデザイナーになりたいとぼんやり考えている。今の都市部を中心に見られるような人間味のないものではなく、温もりを感じる余白のあるような建築や街並み、もの、仕組みを作ることができたらいいなと思う。まだうまく具体化できていないけれど。

これを書きながら、8年後にもう一度noteに記事を投稿しようかな、と思った。8年間で目標をどれだけ達成できたか、さらにその先の8年間でどんな風に変わりたいか、また書いてみたいと思う。
(8年後の自分がこのことをちゃんと覚えていますように、、)

未来の自分はどんな人になっているのだろう。やりがいのあることを見つけ、生き生きとしているだろうか。少しでも理想の自分に近づけるように、理想の社会に近づけられるように、これからも頑張っていこうと改めて決意した。

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