浄化させないといけない不毛な過去の話。後編




依存とは…特定の何かに心を奪われ、「やめたくても、やめられない」状態になる事



私は四六時中、カスの行動が気になって仕方がなくなっていました。

どこに行くのか、誰と会うのか、何時に帰ってくるのか、どうしてすぐ連絡を返してくれないのか…
私が仕事中にまた女のところに出かけているのではないだろうか。

この時はカスも仕事を始めていたので、お互いにとって地獄です。

濁った、澱んだ、重苦しい空気だけを吸って辛うじて生きていた感じ。

添加物だけ食っていた方がまだ健康なんじゃないかってぐらい。

カスが帰ってくれば私の尋問が始まります。

カスは丁寧に説明します。
その丁寧さが私にはもう怪しく感じてしまう。負のスパイラル。

そして泣き喚く毎日。本当に地獄です。

存在自体が鬱陶しいのに、どうして私に指1本触れないのかと問いただす夜。

抱かないのにどうして同じ屋根の下にいるのかと聞いては黙ってるカスに殺意も芽生えてみたり。

気分転換にと一緒に外食しても悔しくて人目も憚らずに涙が出てくる。

家でふとした瞬間に食器を割っていたり。もう部屋は毎日めちゃくちゃです。

精神的にも本当に限界です。めちゃくちゃ。

完全にトラウマ。

今でもこの時のことを鮮明に思い出そうとすると、少し息が上がってきます。

この頃にはもう本当にどうしていいか分からず、
誰に相談してもいいかも分からないでいました。

そうですよね。みんな反対していたのですから。

友達には誰一人と頼れる人はいなくなっていました。

カスの相談をするにしても、同じこと言わせるな。とはっきり言ってくれた友達もいました。

他はただ面白がって、他人の不幸を喜んで聞いてくれてたんだと思います。

私にはそれでも聞いてくれるだけで良かった。

状況は何も変わらないけど。

喜んで聞いてくれると、承認欲求が満たされていくからでしょうか。

本当にくだらない時間。

でもこの時はくだらないなんて思えないから辛いものです。

そんな中でも、もがき疲れてどうにも出来なくなって、

本当に最後の最後に誰かに助けを求めたくて…


でもその時この今の私の状況を知らない唯一思い当たる人が浮かびました。



14歳離れた兄です。

私に美容師の道を進めた兄。(前のnoteに出てきています)

とにかく初めて私は兄に縋りました。

私は今こんな状況で、辛い、しんどい、死にたい、どうしたらいいですか、
こんな馬鹿な妹をどう思いますか?
助言をください。 と。


何も隠すことなく、自分の痴態を全て書いた長文メールを送りました。

すると翌日、兄は忙しい中すぐに次のような返信をくれました。


『お前があの誠実な○○君と離婚した後に、俺は嫁と「アイツは次に付き合う男は絶対に馬鹿な男を選ぶはずだ」と話していたら本当にその通りで笑っている。
その男のことは安易に想像がつく、よく居る好きな男に別れ話をしたら妊娠しただの嘘を言って死んでやると喚く女と同じ部類のクソ野郎だ。
その男はお前の若い体と、少ない財産が目当てに過ぎない、一回りも下の女を騙すなんてのは容易いものだ、そしてお前のその視野の狭さでくだらない馬鹿男の話を信じ、騙され毒を盛られてお前は瀕死の状態だ、お前の家族は親父お袋弟俺と嫁の5人だ、それでもその男の事を思うんなら、そのままその馬鹿なくだらない男と一緒にくたばって死ね!!』



私は笑いました。

本当に声を出して笑いました。久しぶりに笑ったと思います。

今でも笑えます。
私はこの時、本当に、この兄が私の兄で良かったと思いました。

こんな私の為にこんなメールを送ってくれる人が他にいるでしょうか。
本当に不思議なもので、この後からどんどん正気になっていき、
これから私は何をすべきかを前向きに考えるようになっていきます。

ようやく長い暗い湿気ったトンネルを抜けて私は完全に目が覚めました。


その後は本来の上京して美容師になった経緯を思い出して、整理して、独立しなければと思い、介護美容の勉強をしに行ったり、独立セミナーなど自営のためのスキルアップに勤しみました。

この時に勉強ってとても心のサプリになると思いました。
自分に必要なものを勉強することによって得られた達成感が、
後に始まるコロナ禍を勉強で乗り越えれたんじゃないかと思います。

そしてカスはどうしようもないので、部屋は譲ることにして私がさっさと出て行くことにしました。どうやってカスと別れたのかはもう夢に向かっていたので忘れましたが、
東京から実家のある北海道に帰ることにしました。

ようやく離れられる。

その時には徐々に私の中でこれまでの出来事を“経験“というファイルに落とし込んでいっていました。


北海道の地元で美容室もオープンしました。

しかし、その後にも私は東京での仕事を少し引き継ぐことにして、
部屋を別に借り、毎月出張で1週間ほど滞在して仕事をしていました。


8年ほど東京の出張を続けていたところに、カスから連絡が来ました。

実はこの時、カスの髪は切っていたのです。勿論ただの客として。
私は未練はありません。
カスの方も自分の利益しか考えない人間です。
カスは自分が楽なら何でも利用します。
私もカット代の利益があるし、客以外の何者でもなく無害でした。
セックスも勿論ありません。
元カノなんていう空気もありません。美容師と客。の関係です。
私は完全に割り切っていましたし、カスにもその気がないからあり得る事だと思います。


正直、自分の店もオープンし、軌道に乗り、掛け持ちで東京にも来ていたので、一人の男を構っていられる時間なんてのは何処にもありません。


そのカスからの連絡というのが、次のカットの予約をしているけど、行けなくなった、キャンセルしてください。とのことでした。
私は「分かりました」とだけ返信しました。

すぐにカスが、「僕、癌になりました。来週手術なんです。」

『分かりました。お大事に。』

「抗がん剤で髪が抜けちゃうから、眉毛だけでも整えに行こうかな」


私はイライラしてきて無視しました。
するとしつこくLINEの音が鳴ります。
私は舌打ちしながらLINEを開くと、病室のベッドから自撮りをしている写真が送られてきました。

気色悪りぃ…

既読スルーです。その後はLINEは来なくなりました。


しかし数日後、仕事に忙殺されてようやく迎えた休日の日にLINEの音が鳴り。

「これから手術です。戻ってこれないかもしれないから…今までどうもありがとう。」


あぁ…イライラする…舌打ちばかり出てきます。

私はとりあえず、癌ならばすぐには退院するはずもないし、次の東京出張以降からはもう会わなくて済むんだなと思っていたので、どこか余裕がありました。

しかしその余裕も束の間、私が東京出張に行く2日前くらいに連絡が来ます。

「無事、生還しました。」

と管に繋がれた自撮りが送られてきて、私は一気に気持ちが悪くなり、気が滅入ってきて咄嗟に全ての連絡ツールをブロックしました。

出張当日は、初めて東京がカスのせいで不気味で憂鬱になりました。

上京したその日は友達と馴染みの店で飲んでおり、友達に事の経緯を話し、それを酒のアテにして楽しく過ごしていました。少しでも軽い気分になりたかったし。笑い話にしないとやっていられません。

22時頃、友達がトイレに行ったので何の気無しにスマホを見ると、公衆電話からの着信が数件入っており、一瞬、何だろうと思っていたら、私はカスのショートメールの方をブロックするのを忘れていたようで、

「何でブロックになってるの?僕なんか悪いことしました?」
とメールがリアルタイムに入ってきたところを見てしまい、恐怖ですぐにショートメールもブロックし、とにかくもう不気味でしかなく、明日から仕事もあるし、お酒の力もあって早く帰って寝ました。

翌朝日曜日、朝8時半。去年の6月です。朝から30℃は超えていました。

ドンドンドン!!!
私の木造1階ワンルーム4畳半のベニヤ板のような薄っぺらい玄関のドアが物凄い勢いで叩かれ、私は飛び上がって起き、訳もわからずに居ると

「大人気ないことやめようよ!!」 カスの声です。
どっちが大人気ないのかよく考えろよと思いながら…

ドンドンドン!!!
ドンドンドン!!!
そして大声で私の名前を呼ぶのです。

実はその部屋を借りるときにさほど荷物は無かったのですが引っ越しを手伝ってもらったことがあったのです。
自分の手伝ってもらったその甘さが仇になって返ってきた瞬間です。


15分くらいは外にいたでしょうか…私はとにかく家の中でじっと耐えていました。

ドンドンドン!!! ベニヤ板のような私の玄関のドアが大きく揺れています。

頭の中では冷静にもこのまま部屋の周りにガソリンを撒かれて火を付けられたら終わりだな…
そんなことを考えていました。

今は癌の手術でも早く帰させられると聞きます。
本当に迷惑な話だと思いました。
だけどその時には癌なのかさえも疑わしくなっていきます。
また騙されていたのか?もう私のことは気にかけないでくれ。
私の記憶を無くしてほしい。もう関わりたくない。

流石に午前から30℃以上のこの日照りで粘ることにも限界が来たようで、
ガソリンを撒かれることなく帰っていきました。 

安堵と共に、またもやいつかの日の感情で情けなくなってしまいました。

もう嫌だ。

その日に出張先の古くからの先輩に朝の出来事の話をして、もう部屋に戻れないからすぐに必要な荷物もあるので一緒に仕事終わりに部屋まで付き合ってほしい。とか…
本当に迷惑かけてるわ私。

そして急遽のホテルの予約。…今月は家賃+ホテル代か…痛いな…

夜遅くまで先輩に話を聞いてもらい、まずはどうしてブロックにしたことの説明をした方がいいと促され、ストーカー法に紐付けることにして、連絡をした方がいいと言うことになりました。


いじめでもそうですが、自分がしたことって覚えてなくて、された方はいつまでも嫌な思い出として残ります。

とにかく冷静に、先に進むために、 


ブロックの経緯と、
あくまでも仕事上で私情はこちらからは全くないこと、
今後私に近づいた場合は警察に連絡すること、
二度と連絡を寄越さないこと、
を送りました。

すぐに既読になり、その後3日ほどブロックを解除にしたままにしていましたが、
特に何もなかったので、私はまたブロックをして削除しました。
警察というのが効果あったと思います。体裁はとても気にする人だし、
何より母親には可愛い息子でいたいというのはわかっていましたから。
本当に自分のことしか考えないカス男。

私はいつまでも腹がたち、友達もいない50半ばのオヤジが、昔の都合よくしてくれた女に、自分が病気になったからと、自分の今までのことは棚に上げ、また気に掛けてくれとでも言われてるように感じ、心の底から情けないしょうもないカスオヤジ。

本当にくたばれ。
くたばれ、くたばれ。

この男は私のことをずっとどうにでもなるもんだと、
小馬鹿にしてきていたんだなと思うと…

本当に心の底から、


独りで勝手にのたれ死ねばいいのに。

本気でそう願っていました。


その後は早々に部屋を解約して引き払い、またもや部屋をカスに奪われたような形になって、
最後まで私にとって疫病神でしかありませんでした。

カスのその後は知りません。

死んでいるのか、生きているのか。


時々、何もないのにふとした瞬間、警戒している自分がいて、疲れます。


だけど、そろそろ時間が来たようなんです。



このカスのことを赦し、思い出を成仏させ、記憶を浄化する時が来たようなのです。

私はこのカスとの一連でとても強いトラウマが出来、
もう恋愛はしたくない。

違いますね、人を好きになるのが気持ち悪くなっていました。
鬱陶しい。男女の関係が。好きになる、好かれる。もううんざり。
その後、友人、仕事関係者以外の男の人が苦手になったりもして…


ちょっとクドイですね。。。

結論から言います。


感覚的には、10年以上ぶりの、結婚した人以来の、とても好きな恋人ができました。

もう私にはこの感情は訪れないと本気で思っていました。

だけど、それは不意にやってきました。

相手の方は今年の5月にベトナムのダナンへ旅した時に偶然知り合った私の一つ年上の韓国人の男性です。

私はこの5月はシンガポール、ベトナム、台湾の旅をしながら、

仕事の環境や、人生のセミリタイヤについて漠然と考えながら、帰国するまでに答えを出そうとしていた時で、ある意味ターニングポイント的な、これからの人生をどのようにして生きていくかの局面でした。

その時は、ベトナムの最終日で、翌日は台湾に向かう夜を独りでナイトクルージングに参加して楽しんでいた時で、

隣にたまたま座っていたのがこの私の恋人になる彼でした。

こんなことってあるんだな…と思う反面、

この偶然の出会いは私には必然だったと思っています。

それほどまでにいろんな共通点がありました。

そしてこのトラウマばかりの私が、日本と韓国の遠距離恋愛を絶賛開催中です。

それほどまでに誠実な人だと言うことをお伝えしたいです。

とても安心感があります。彼のことを考えるだけで感動して涙が出て、

彼のことを考えるだけで心が温かくなります。

だから、

カスとの事が終わってから、本当にいろんな事がありましたが、

全てこの今を迎えるために10年もかかった私の修行の期間がようやく終わったんだと思います。

私がカスによって体験したこと、勉強したこと、精神的にも生活にも自立すること、

孤独を愛すること、パニックになっても回避する方法、

自分軸で生きていくこと、人たらしを見抜く力。

たくさんの武器を身につけた私がようやく鎧を脱いで、

自由に好きな人に好きと言える時間を迎える事ができました。

こんなにも好きな人がいるって幸せなことでしたか?

私は元々愛情がとても深いです。それなのにどうして馬鹿にされないといけないのか、

愛情が深いと罪なのか?いけないことなのか?

しかしこの彼は私の上をいく愛情の深い方でした。

本当に私のこの気持ちを全て受け入れてくれる人です。

私という複雑な人間を受け入れてくれました。


なので、私は全てを赦して、ここにてカスに感謝して、葬りたいと思います。

これでもう思い出す事もないし、私の片隅にももういません。

フラッシュバックに悩むこともありません。

あなたのおかげで純粋に心から遠慮なく大好きな人に出会えました。


私を成長させてくれて本当にありがとうございました。

本当にさようなら。




追記

そして、このベトナムの旅は2回目の再訪で、実は2018年の私のとても人生観、
死生観が変わる出来事によっての続きの旅だったのです。
私が40歳の時、ひとり旅をデビューした、とても意味のある旅のベトナム・ダナンでした。

この話はまた別の機会にお話しします。

そして恋人との不思議な共通点のお話もまたの機会にお話しします。

世界を旅して生きていく事が私のモットーで、そんな中でいい人に巡り会えたらいいなぁとは夢見ることもありましたが、まさか国際カップルになるなんて。です。

いいえ、嘘。実は自分の潜在意識ではあったように思います。

思えば叶うとは本当の事のようです。


ここまで読んで頂き、誠にありがとうございます。
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