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野原広子(2020)『消えたママ友』の感想

野原広子さんの『消えたママ友』を読んだ。2020年にKADOKAWAから出版されたコミックエッセイである。

ママ友というのは、子どもの人間関係と連動して形成されるもので、コントロールできないところが多々ある。その関係性は、ほとんどが期間限定で、地域限定で、しかも流動的なものである。

(しかし、よくよく考えれば、ママ友に限らず、すべての友人・知人との関係性はそんなもんである。そのときどきの場面でつながるに過ぎない。幼少期から死ぬまで大親友がいる、なんて人の方が稀だ)

保育園内の子どものやりとりも、現実味を感じさせる緊張感があり、自分の幼少期を思い出したりもした。(全然、楽しくなかったよなあ)

物語は商社勤務で、家庭と仕事を両立している有紀ちゃんの失踪から始まる。最初から最後まで物語全体に不穏な空気が立ち込めている。

有紀ちゃんが奪われたものは、そう簡単に取り戻せるものではない。それは時間の経過とともに失ってしまったものであるため、時間をかけて取り返す必要があったのだが、彼女はそれを選択すらできなかった。

終盤、有紀ちゃんの息子であるツバサくんがサイコパスになっており、その不気味さに慄然とする。しかしながら、異常なまでの母子密着をしているのは夫と義母であり、その二人の息子であり、孫であるツバサくんがサイコパスだったとしても、「さもありなん」という感がある。

筆者は、妻(母親)であれば誰しも失踪願望があるのではないか、とあとがきで述べている。

失念してしまったのだが、「女はリセットするために結婚するのだ。」と誰かが言っていた。無事に結婚して、これまでの人生をリセットできたのだとしても、堪えられない日常が現れるという残酷な事実でもある。

結局、人間は「自分」から逃れられないのだと思う。自分を少しずつ変えることはできても、生まれ変わることはできない。現実を見る角度を変えたりして、ごまかしごまかしやっていくしかないのだろう。


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