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黄山を登らずして男に非ず

って言うから信じて登ったけど、10年経って改めて調べてみたらそんな言葉、インターネットのどこにも載っていませんでした。

この文章は、わたしが10年前の2009年3月から一年間、中国に留学していた頃の回顧エッセイです。毎週更新でしたが最近は隔週火曜19時に更新しています。のんびりとお付き合いください。※追記編集してます!

正しくは「黄山来不看岳(黄山から帰ってきたら、もうほかの山を見なくてよい)」≒「黄山に登らずして山を語るなかれ」。
確かに先に登った男の子たちは言っていたと記憶しているのに…わたしはジョークを10年信じ込んでいたってことか。

ともあれ夏休みの中国一周旅行、昆明を出発して向かった先の都市・深圳で今度は日本の友だちと合流し、わたしたちは黄山へ向かった。

ここでも到着するなりホテルや白タクの勧誘に囲まれながら、予約していた青年宿舎(ユースホステル)へ。

長春を出発して、12日が経過していた。北京~列車旅~昆明~深圳~黄山と旅してきて、自覚していなかったけれどかなり疲れがたまっていたみたいだった。そして一緒に行動していた友だちは、中国の田舎に来るのが初めてで、深圳とのあまりの環境の違いにひどい衝撃を受けていたんだ。

でもわたしの心の中には、『黄山を登らずして男に非ず』の言葉があった。わたしは男じゃないけれど、黄山を登ると一人前の男になれるのなら、女のわたしが登ったって、少し強くなれるはず。

そんな黄山にすがるような気持ちがあったのかもしれない。

ユースホステルは6人部屋、私たちのほかにはいびきの大きいおじさんや、ドイツ人のギターを担いだ女の子がいた。ギターを担いで黄山に登ろうなんて、あの子も一人前を目指してきたんだろうか。

翌朝目を覚ましたら誰もいなかった。
わたしたちは朝食を食べ支度をして、9時に黄山のふもとに到着。

そこで初めて知ったのだけど、黄山は大きい(当たり前だ!)
つまり登って下山するのにもとても時間がかかるということ!登山受付のおばちゃん曰く、6時から登り始めても、下山できるのはだいたい16時。これが暗くなるぎりぎりの時間でそれ以降は危険なので無理。つまり9時に到着したわたしたちには黄山を登る権利すら与えられなかった。

黄山に登って、男になれるはずだったのに…

だんだん目的がずれていっているような気がするが、なんとしても登りたかったわたしたちに、おばちゃんは救いの手を差し伸べてくれた。

「3~4時間で車で登る観光コースならあるよ。」

わたしたちは身の丈に合った選択をした。

サングラスをかけた細身のおじちゃんが運転する真っ赤な乗用車に乗せられて、給油をして登山開始(最初に入れておいてよ!と今ならおもう)。ポイントで降ろされて、ここの水がきれいだから見ておいで、と言う。

たしかに、想像していたよりずっと水が綺麗だった。
「これなら九塞溝に行かなくてもいいね!」とわたしははしゃいでいた。

車で黄山に登るとランチまでついてきた。

きくらげと卵の炒め物は、中国家常菜(家庭料理)の定番中の定番だ。
タライいっぱいの白飯が珍しくて大興奮。

次に向かったところも水が綺麗な場所。
黄山は水が綺麗。うん。覚えた。

道端ではおじさんたちがカードゲームをしていた。

中国にいると平日の昼間からおじさんたちが外でゲームしているのをよく見かけた。普段何して働いているんだろう。

可愛くて懐かしくて鳥の形の水笛を二つも買ってしまった。
中に水を入れて尾の笛を吹くとピロピロと鳥の鳴くような音色が鳴る。

その次に向かったのは茶畑。

黄山は中国十大銘茶『黄山毛峰茶(こうざんもうほうちゃ)』の産地としても有名で、その茶畑を見せてもらった。

部屋の中ではいれたてのお茶を飲ませてくれて、茶葉もお持ち帰りさせてくれた。

あのう…ちょっと溢れちゃうかな。

綺麗な池を見て、美味しいごはんを食べて、かわいい笛を買ってのんびりお茶をして、あ~黄山って、た~のしい!

とルンルン気分だったけれど、何か忘れてる。

・・・そうだ、わたしは黄山で男になるんだったんだ。

おじさんが真っ赤な車で連れて行ってくれた最後の場所は少し長い散策路になっていて、頂上が見えた。


これだ、これを登り切れば。

何かが変わるはず。


そう思ってわたしたちは登り始めた。
長春の日常から飛び出して初めて、自分の語学力がまだまだ未熟であることを知った。計画性もなくて行き当たりばったりの自分が不甲斐なかった。当時付き合っていた彼からは旅の間全然連絡がなくて、それを気にしだしている自分もいやだった。

とにかく、これを登ったら強くなれる気がして。



下山した後のことはあんまり覚えていない。黄山の老街をふらふらと散歩していたら、道端でおじさんたちが中国将棋をしていた。
普段何して働いているんだろう。

わたしたちは男になるわけじゃないけれど、車だったけれど、10分の1以下だったけれど、確かに黄山に登った。

それで何が変わったか?

正直何か変わったのかわからなかった。語学力は相変わらず稚拙なままだったし、計画性もないまま列車に乗り込み上海に向かった。彼から連絡がないことは上ますます気になり始めていた。

しかしそれから10年後にでも、人生において山のぼりの経験を尋ねられたら「そんなに山に詳しくはないけど…黄山?なら登ったことあるよ、ホラ、中国の。知らない?」とかちょっとマウント取れるのだ。

そう、山だけに。

なんとか生きていけます。