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何故ホモソ批判はガバガバになってしまうのか

女性=サイコパス説|rei
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/beatangel/n/n0cfb0cbe8c71

heaco65
こういう人はモテたいんじゃなくて横にモテる女を連れることで憧れのホモソ村に入れて欲しいんだよね だからホモソ村の男が好きそうなモテ女が好き ブスの地味女が横にいてもホモソ村の皆様に認めて貰えないもんね

はてなブックマーク

今日もはてなブックマークの話です。


1.男の世界で重要なのは自己の能力

このホモソ批判を書いているはてなブックマーカーheaco65さんがどんな人かは一切知らないのですが、このコメントだけで間違いなく女性だと思います。

というのも、男性ならばどのような方向の人生を過ごしてきた人であれ、ここまでホモソーシャル的なものの解像度が低いということは無いだろうからです。

「モテる彼女が通行手形になるホモソ村」とは一体どこにあるのか。これは男性ならば聞いた瞬間違和感だらけになります。

だってホモソ的な男達が気にすることは徹頭徹尾おのれの能力ですからね。子供の頃は腕力や運動神経、大人になれば仕事の能力。その面でイキれる人間なら「交際相手がどんな人か」なんてことは問われませんし、逆に能力がまだまだなのに車だの女だのの”持ち物”だけ頑張りましたなんて男は一番バカにされたりいじめられたりするのがホモソの世界です。

彼等が競い合い認め合うのは「こんなすごい仕事をした」とか「こんなに稼げるんだぞ」というところであり、車・女・腕時計なんていうのは自分の能力の後に付いてくる”形”に過ぎません。

競争に勝てることお金を稼げることが重要なのであって、そのお金で何を買うかはわりとどうでもよく、重要なのは己の仕事の能力と成功なのです。

大人しいオタク男性代表みたいな赤松健先生ですら若い頃の一時期テストステロン溢れるファッションスタイルに変身したことがあるのですが、先生を組の若い衆みたいないでたちに駆り立てたのはもちろん仕事での大成功だったでしょう。

優しそうな赤松先生 公式Xアカウントより


2.彼女や嫁によって男の”格”が上がるシステムは存在しない

こんな例に挙げるのは誠に申し訳ないですが、芸人の陣内智則さんが超格上大物女優と結婚した時、彼の”格”は上がったでしょうか?全然でしょう。むしろ跪かんばかりの披露宴などして「情けない男」扱いになっていました。

結局離婚してしまい「縁起悪い」「祝儀返せ」といじってもらいながら仕事を頑張ってポジションを築き、前妻と比べればまるで知名度の無い10歳くらい年下の女子アナと再婚した今の陣内智則さんの方がずっと男としての格は上がっています。

小室圭さんが日本で一番お姫様な女性の婚約者になったとき、彼の”格”は上がりましたか?全然です。逆にバカにされまくっていたでしょう。「お姫様のお父様のコネで勤め先やら諸々配慮してもらっても無能で資格も取れないらしいぞ一生ヒモかよw」のような扱いでしたよね。

彼が一転認められるようになったのは米国でついに資格を取って結構な年収を稼げるようになり降嫁した奥さんに不自由させず立派にやっていく実力を見せてからです。「お姫様を手に入れた」時点ではむしろバカにされていて、仕事の能力や扶養能力が出てきたところで認められているんです。

(ここでの”格”とは全て、あくまでホモソ的な価値観の中での「男の”格”」の話です。)


3.男性は恋人や配偶者を見せびらかさない

そもそもですが、オスというのは「自分のメス」を見せびらかすインセンティブがあまりないのです。だっていいことないでしょう。

自分の格は周囲に証明した自己の能力で決まっているんですから、変にきれいな彼女や奥さんを見せびらかして「こいつ、能力(格)以上のいいメスを囲ってるな」なんて周りに思わせても災いにしかならない。聖書にすらきれいな妻を隠す男の話が出てきます。

現代で一番男尊女卑的だと言われるイスラム国の戦士達はどうでしょうか?セクシーなモテる妻を見せびらかしますか?逆です。妻を家の奥深くに置きたがり、その美しさを隠すように命じています。

男達はホモソ的になるほど男尊女卑的になるほど「女子供は取るに足らず」という態度になりますし、女は被保護者、家政婦、子を産む資産になります。

あまり一人の彼女に入れあげてるような男はむしろ心配されるし、やけにキレイで奢侈な女と結婚する男はもっと心配されたり「こいつ結構バカなのかも」と疑われたりする。

まして、付き合う女で自分の格が上がったり格上グループに入れてもらえたりなんてことは男の世界にはありません。


4.謎の分析は何を見てのものなのか?

残る問題は上で見たはてなブックマークの分析が一体何から生じたかです。

heaco65
こういう人はモテたいんじゃなくて横にモテる女を連れることで憧れのホモソ村に入れて欲しいんだよね だからホモソ村の男が好きそうなモテ女が好き ブスの地味女が横にいてもホモソ村の皆様に認めて貰えないもんね

https://b.hatena.ne.jp/entry/4745493109321036975/comment/heaco65

主張の要点は以下の通り、
・横にモテる異性を連れることでのみ入会を許されるエクスクリューシブな同性集団が存在する
・その同性集団においてはパートナーがモテない異性だとそれだけで認めてもらえない

男性ホモソーシャル集団が全くこのようなものでないことはすでに上で見てきました。ではこのコメントの分析は一体なんなのか?

わりと確信の滲む物言いで、実際の体験や見てきたものに裏打ちされた発言のようにも感じますし、なにより人気で一位を取っている程度には支持されているコメントです。

ならば決して無意味な言い返し等ではなく「何かがある」と考えましょう。

ここまで読んでくれた人も一緒に少し考えてください。


5.逆側のホモソとしてのメスザルワールド

しばらく考えて思い当たったのですが、
これは女性の世界の話なのではないでしょうか?

交際相手・結婚相手のステータスを自分の身分のように扱う話、それらを同性と張り合う話は男性の話としてよりも圧倒的に女性の話としてよく聞く話です。

世の中には夫の学歴・勤め先・収入で互いを格付けしマウントを取り合うお母さんの界隈というものもあるそうです。
(男が同性相手に同じことをやれば心底見下されて「ヒモ?笑」「で、お前の実力は?」と言われて終わりです。)

そうして考えてみると、自己の能力で直接競うことの少ないメスにとっては、「自分の子の父親は集団内で高い地位のオスである」とか「自分と子の庇護者は大変に力がある」とか同性に対して誇示していくことのインセンティブは大いにあるのですよね。少なくとも猿やライオンの世界ではメスとその子の運命・待遇はわりと子の父親の力や地位次第です。

つまり女性性なる本能が野放図に強化された集団は彼氏自慢・夫自慢の旦那マウントワールドになるのではないでしょうか。男性性が疾走したときのホモソワールドの写し鑑として。


6.女性によるホモソ批判の陥穽

heaco65さんのホモソ批判が実は女性内メスザルワールド由来の話だったとしたら、それは女性として同性集団のメスザル面を見て来た経験から書かれているかもしれません。

であればそのような経験知は軽んぜられるべきでないものの、問題はメスザルとオスザルでは欲望も行動も異なるということです。上下や優劣ではなく構造の差異があります。

女性が自分の知悉するメスザル集団の卑しさ醜悪さをそのまま男性に当てはめてホモソーシャル批判にしているとすれば、それは必ず頓珍漢なものになるでしょう。

オスザルやホモソーシャルに批判されるべき点がないということではありません。しかし今回のはてなブックマークの「ホモソーシャル批判」はあまりにも別の何かの話過ぎないでしょうか。

きちんとオスザルの欲望や行動の観察さえしてれば自分達の分析がなんか違うことは気付けるはずなのに、それすらしていない、対象物を見てすらいないなら、それはもはや批判ではないでしょう。 

加工や調整の足らないナマ体験知で別の対象を論ずることは出来ません。

   

7.ホモソ批判は雑でも許される風潮

それで別に特定の一人の人をどうこう言いたいのではなく、このガバガバな批判コメントが人気1位になってしまう社会の空気はどうなんやという話がしたいんですよね。

殆どの男性は、また物事の抽象化や客観視が苦手でない女性ならば、この「ホモソ批判」はなにかおかしいぞということを感じたはずなんです。

むしろ女性の方が早く気付ける面すらあったはずです。「これ本当に男集団の話?なんか違うような。すごく見覚えのある別集団の欲望の投影じゃない?」とか。

であるのにこんな乱暴無検討な「批判」が通ってしまい人気1位まで取ってしまうことの背景には、ある種の道徳的傾斜、「男性批判・ホモソーシャル批判は正義である」という傾斜があるのではないでしょうか。

別に男性批判やホモソーシャル批判自体はいいのですが、しかし正義は雑になる傾向があります。正義というのはそれやってるだけで褒められがちで、それ言ってるだけで反論されにくくなるのですから、必ず雑になりがち。

そしてそういった雑で質の低い「分析」や「批判」は社会の迷惑であり、それに基づいた社会的施策などまで進んだ日には人と社会に重い害しか及ぼさないんですから、正義ほど真面目に細心にやらなければならないんですよね。ぜひもっと厳しく真面目に正義をやって欲しいと思います。


8.ていうか

そもそも当該コメントは下のエントリに付いたものなんですが、コメントによる批判がエントリ内容にかすりもしてなくないですか?


確かに当該エントリはパンチの利きすぎたタイトルから始まり内容も恐ろしい感じですが、書き手にも内容にもホモソーシャル性は見られないんですよね。ホモソ集団に憧れるタイプの人間の特徴が一個もないというか。

このエントリに・書き手の人物に、批判を付けるとしてもそれは「ホモソーシャル」ではなかろう気がしますし、毎度のことながらはてなブックマーク民は内容読んでコメントしてんのか?という根本的疑問が浮かび上がってきます。

ぱっと見から拒絶感の強いエントリであっても、批判したいなら内容をきちんと読み、示されたデータも当たり、噛み合った反論を組み上げてこそでしょう。

相手の内容に全くぶつかってない頓珍漢な「批判」コメントを集団で支持して勝ち誇るのは、それこそサルの群れのうんち投擲であって、およそ人間の営みではありません。ちゃんとやって欲しいと思います。


おわり。

乃木坂太郎の最高傑作だと思います。映画版が怖い。

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