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ネトナン講習でも本気になれなかった

数ヶ月前、ネットナンパ講習を受けた。マッチングアプリで出会った女性とワンナイトの関係になる、いわゆるネトナンである。何も無い自分を急きょ変える必要があったからだ。

俺はかれこれ28年生きてきて女を知らない。交際はおろか女性に触れたことすらない。異性と話をしたのは中学時代が最後で、セックスなど縁もゆかりもない。男同士でもうまく打ち解けられないのだから当然だろう。
昔から内向的で、人と関わりを持ちたがらない陰気な性格だった。そのため学生時代は彼女といちゃつく同級生を横目で眺め、今は結婚・出産ラッシュの同期たちを横目で眺めている。

三十路直前だというのにボキャブラリーは趣味と仕事くらいしかなく、その数少ない関心事もさして造詣が深いわけでもないから面白い話のひとつもできない。骨粗しょう症患者のように、人としての骨組みがスカスカだ。そういう自分が好きではないが、大きな目標を掲げて変革するほど嫌いでもない。

そんな俺が結婚を意識しはじめたのはいつ頃だろうか。もとより興味がないわけではない。モラトリアムは終わらせなければならないし、世間体も悪いのでやらねばならないとは理解している。しかし婚活に乗り気にはなれなかった。異性と2人きりで気まずい時間を過ごし、人として何の魅力も無いことを見抜かれはっきりノーを突きつけられるのが怖いのだ。たとえそれを乗り越え万一にも成婚に漕ぎ着けたとして、その先上手くやってゆけるビジョンがまるで見えない。
時々、臆病風に吹かれた自分が嫌になる。この期に及んでそんな弱腰ではいけない、勇気をだして一歩踏み出すべきだとはわかっている。わかっているが体が動かない。そんな堂々巡りを何年も繰り返していた。

その俺が逡巡を断ち切り、婚活ではなくネットナンパをやろうと思い立ったのが半年前のこと。きっかけは同級生の結婚報告だった。


俺は酒に酔ったり暇をした時、よくSNSで同級生を探す。覚えている名前を手当たり次第に検索し、ヒットした者のフォロワーからまた知った顔を見つけ・・・・と芋づる式にひっかける。そうするともう10年以上前の、当時の写真やらツイートやらが出てくる。学生時代にろくな思い出はないが、あの頃の空気がどこか懐かしく、酒の勢いもあって過去ログ探しに躍起になるのだ。

その日、いつものようにドブさらいに精を出していると、高校の同級生のアカウントを見つけた。友達でもなんでもないが顔は覚えている。そこまで目立つ方ではないが俺のようにひどい根暗でもない、普通の生徒である。今は会社勤めをしているらしく、上司の愚痴や仕事の不満がちらほら書かれていた。何気なく画面をスクロールしていくと、不意にこんな投稿が目に飛び込んできた。

「今日、籍入れました」

簡素な結婚の報告だった。決して気取らず、事実だけをさらりと告げる投稿。そこには結婚指輪もウェディングドレスも花束の写真もない。文末に笑顔の顔文字がつき、そして友人からのお祝いコメントが数件あるだけだった。
ああ、彼は幸せなんだろうなと思った。SNSによくあるこれみよがしの幸福アピールより、その飾らない素直さが、かえって俺の劣等感を刺激した。俺には恋人はもとより、何かを祝ってくれる友人のひとりもいないのだから。

俺は卑屈に、心の内でみじめったらしく嘆いた。こいつは俺のはるか先を行ったんだ。まっとうな恋愛経験を踏んで、次のステージに進んだんだ。卵からひながかえるように、子供という殻を破り、無事「大人」としての第一歩を歩み出したんだ。偉大だ。
その点、俺はどうだ。人生はずっと手前で止まっている。おそらく中学とかそのあたりで。その証拠にもう何年も前の記録を漁って懐かしむ行為をやめられない。あそこが俺の全盛期だったからだ。あの食って寝るだけの、覇気のないだらけた日常、今でも続く猿のような生活が俺の最も楽しかった時なのだ。
みんなが先に進む中、俺ひとりだけ取り残されている。先に進むことを拒み続けている。体は老けても中身は不気味に子供のままだ。なんて情けないんだろう。

しかし、ふと我に返る。自分をあわれんでいる場合でもはやはない。鏡に映る自分の姿は中年だ。これまで意識してこなかった大病や死、老いが見え始める境であり、独身という身分に息苦しくなる頃でもある。まともな男性であれば家族のため、キャリアのため、身を粉にして奮闘し、働き盛りを迎えていることだろう。
それなのに俺は、この歳になって金も地位も社会性も、自分に対する自信もない。コミュ力もユーモアも人間関係構築能力もなく、したがって友人のひとりもいない。何ひとつとして取り柄がなく、まともな点といえばせいぜい前科持ちでないことくらいの薄汚い社会の負け犬だ。

考えるうち、封じてきた不安と危機感が突然よみがえった。このまま歳だけとって孤独に死ぬという現実に、かつてないほど恐怖した。
独身のままいたずらに年を重ねた高齢者たちの悲哀は枚挙にいとまがない。子も嫁もなく、孤独にしおれてゆく男たちの悲惨さ、みじめさは目を覆うものがある。はっきり言ってあんな風にだけはなりたくない。
しかし、外見も中身も醜悪な汚らしい中年男が、現状維持に甘んじながら相手を求めたとして、何人の女が振り向いてくれるだろうか。真剣に今後の人生を考えるのなら、今すぐにでも自分を変えなくてはならない。そう思い、かねてより目をつけていた「ネトナン講習」なるものに応募したのだった。

ナンパ界隈との出会い


「ナンパ」の存在は前から知っていた。それがいわゆる「非モテ」の人々を「モテ男」に変えているということも知っていた。知ってはいたが、自分とは縁遠い存在だと思っていた。見知らぬ女性と出会い、あるいは声をかけ、その日のうちにセックスするなど、駅員に経路をたずねるのもためらうような小心者にはどだい不可能に違いなかったからだ。

しかし、俺は変わらなくてはならない。やがてなんとかなるだろうという楽観を捨て、年相応の社会的立場を獲得し、そうして社会から認められなくてはならない。さもなければ悲壮な孤独が、世間の刺すような目が待っている。

そのためには手厳しい女の審美眼にかなう男にならなくてはならない。どうしたらいいだろうか。考えた時、ナンパしか手はなかった。元非モテ側の人たちは口をそろえてナンパで男を磨けという。女を口説き、その生態に触れ、女という生き物に慣れる。それが脱非モテの糸口であると。裸一貫の無能な男が悲惨な未来を回避するには、もうそれしか手はないと思った。
というわけで、SNSでよく見かける確かな実績があるというナンパ講習に、結婚相談所に登録するような気持ちで申し込んだ。

担当者との面談を経て、参加が決まった。給料数ヶ月分のコンサル料を支払い、その講習は始まった。簡単に言うと外見とトークを磨き、様々なマッチングアプリで出会った女性を口説いてワンナイトしましょうというものである。手抜きや詐欺の類は一切なかった。期間中、最低20即(20人の女性と寝ること)を目標に頑張ろうと言われた。

途中、同じ受講生と会うこともあった。ほとんど皆年下だが、同じ目標を目指し努力する以上は上下のへだてなくタメ口で話す。彼らはみな明るく前向きで、精力的だった。中年の放つ打算的で覇気のない、濁った雰囲気などではなく、なんというか澄んだ青春の輝きとでも呼びたくなるような、真っ直ぐな光だった。
あけすけに言えばより多くの女を抱くために集まった嫌われ者の集団であるのに、それが爽やかというのはなんとも変な話ではある。

時々、皆がどうしてこの講習に参加したのか耳にする機会があった。理由はそれぞれである。彼女に手ひどく振られたので見返してやりたい、女に童貞であることを馬鹿にされたので"男"になりたい、彼女を寝取られたのが悔しくて、たくましくなりたい・・・・・・。様相は実に様々なようでその根っこはみな同じだった。「もっと魅力的な男になりたい」。らんらんと輝く彼らの目は一様にそう語っていた。

結果と反省

志の高い仲間たちと競い合う、数ヶ月の講習が終わった。
結果から言うと、俺は一度もセックスすることができなかった。アポに行くことはできた。拙いながらも女と話すこともできた。しかし、その肌に触れることはついにできなかった。
講習が悪いのではない。同期が悪いのではない。俺の要領の悪さと能力のなさ、そして何事においても頑張れないという最悪の欠点が足を引っ張り、何の結果も出せずに終わったのだ。

もちろん、元来のコミュ障と要領の悪さは言うまでもないが、問題の本質はそこではない。講習はどんな口下手の馬鹿でも教えを守り、言われた通りのことをすれば童貞卒業くらいはできるようになっている。上手くいかなかった根本的な原因は以下である。

何事も頑張れない
性欲が薄い
そこまで結婚したくない

上に行くほど失敗に占める割合は高い。順に解説していく。

①何事も頑張れない

俺は生まれてこの方、何ひとつとして頑張った経験がない。勉強も部活も受験も就活も、そして仕事においても、全て手を抜いてきた。人生を決める大事な決断の時期の、ここが正念場というところで必ず努力を放棄した。
いつもはじめの方は頑張るが、途中で投げ出してしまう。努力が苦しいからではない。ウサギとカメのように少しの順調に油断して怠けるからではない。「もしかしたらこの努力は報われないかもしれない」という重圧に耐えきれないからだ。

俺は失敗が大嫌いだ。一つでもうまくいかないことがあると、今までのすべてが無駄だったように思えて途方もない徒労感に襲われる。あれだけ必死にやってきた自分が馬鹿に思えるのだ。深夜にせっせと覚えたアポの流れやトークスクリプトが、コーディネーターに選んでもらった服が、メンズメイクやワックスで整えた髪形が、全部無駄になって、あたかも作った料理を床に投げ捨てたかのような徒労感を覚える。そして自分の内からこんな声が聞こえてくる。
・・・・・・お前はいい歳して何を若作りしているんだ、いくら外面を整えても中身は何の魅力もないクズじゃないか。どれだけ身繕ってもダメな奴は何をしたってダメ。お前は落ちこぼれだ。お前に振り向く女などいない。身の程をわきまえろ、金のないキモいオッサン。・・・・・・たった一度の失敗でそれだけ思い詰めてもう何もしたくなくなる。

無論、そんなものは行動しないことを正当化するために作り出した言い訳でしかない。だから俺は懲りずに何度もアポに繰り出してゆく。しかし重圧はより一層増してゆくことになり、失敗を増すごとに自分が信じられなくなってゆく。いつか成功するという見通しが立たず、モチベーションの維持が困難なのだ。
さらにきついのは、そうした中で自分の無能と直面しなければならないことだ。赤の他人との関わりで、自分がどれだけ社会性がなく、稚拙なコミュニケーション能力しか持たず、自己中心的で、臆病で、陰険で、卑屈で、人間的魅力に欠けたつまらない小人物なのか、否が応でも目につく。そしてそれを成長痛だと単純に割り切ることは難しかった。

俺は自己評価が異常に高い。何事かに挑戦して挫折した経験がないから限界を知らず、自分もプロスポーツ選手になれると夢見る子供のような万能感を手放せないでいる。非現実的な自己像を描いている。だから失敗して当然と知っていながら自分の失敗が許せない。高くも崩れやすい砂上の楼閣のごときプライドが、次の挑戦を妨げるのだ。自分の実力を知り、無能を悟り、自己評価がボロボロになるくらいなら、何もせず自分を守っていた方がましだというわけである。

俺が頑張れないのは、こうした完璧主義と分不相応なプライドゆえだ。「山月記」の李徴が言う「臆病な自尊心」そのままである。

②性欲が薄い

さらに頑張れない理由として、性欲が薄いというのがある。
俺はセックスなどしたこともないが、そもそもあまりしたいと思わない。三十も間近になり、女に発情するのも一苦労なのだ。まあ発情などしなくても愛や義務感で相手を抱く男は多い、というかそうした者が多数派なのだろうが、そういう感情は配偶者でも恋人でもない見ず知らずの相手に持つことは難しい。

そもそもセックスとかいう以前に、俺は人肌が好きじゃない。犬や猫のやわらかい手触りは好きだが、人肌はブヨブヨして生ぬるく、手などは特に湿っているから巨大なナメクジみたいで気持ち悪い。握手も昔から苦手だった。それなのについさっき会ったばかりの人と性器まで触れ合わせるというのは、少しぞっとしない話だ。人のにおいも気になるタイプだから異臭がすればもう近寄る気すら起きない。

そういえばナンパ界隈には「性欲が強いのは才能」という格言があるらしい。確かに女を口説くのは苦痛だ。たいていの場合、罵倒や怒声、軽蔑の目をもって迎えられる。それに耐えるのは並大抵のことではなく、「女とヤリてえ!」という興奮や「モテる男になって過去の自分に復讐してやる」というギラギラした野望が不可欠である。それなくしてモチベーションを保つのは至難の業だ。
ということは、俺のように歳が歳だからとか、そうすべきだからとか、ふんわりした理屈でしぶしぶ動くような者は、淘汰されてしかるべきだということでもある。過酷なサバンナで生きる意欲の乏しいものは置いていかれてしまうのだ。

それでも一応、童貞を捨てたいという思いはある。しかし上に書いた通り実際にセックスがしたいというわけではなく、女を知らないというマイナスイメージを払拭したいだけだ。面倒な手続きを無視して結果だけが欲しいのである。欲するのは女体ではなく肩書きだ。
面倒そうなセックスはしたくないが「やわ肌の…」と詠んだ与謝野晶子のように男としての未熟を馬鹿にされるのは嫌だ。厄介そうな結婚はしたくないが「弱者男性」のように不特定多数の人間に揶揄される人種には属したくない。性欲は衰えつつあるが「覇気がない、お前は本当に男か」と非難されるのは恐ろしい。要するに他人から批判されたくないのが行動原理で、そんな消極的な理由でモチベーションを保てるはずがない。
twitter(X)でナンパ界隈をフォローしていると、よく童貞や非モテを煽るような投稿をみかけることがある。もちろんプロモーションであることは理解できるが、やはり公然と馬鹿にされることは面白くない。かといって乗り気にもなれなかった。

またTLにナンパ師がセックスしている動画(いわゆるハメ撮り)が流れてくることがある。興味本位で覗いてみたが、動物の交尾を見ているようで少し不気味だったし、受講生たちの上げる即報(こういう女とセックスしたというツイートでの報告)も、興奮するというより出来の悪い官能小説のあらすじでも読んでいるようでどこか悪趣味に思えた。それに対して勃起しただとか俺もやりたいとか言い出す同期が正直理解できない。なにも俺の方が人として高尚だ、性的に潔癖だと言いたいのではない。ただ住む世界がまるで違うのだ。綺麗事ばかり言っていられないのはわかる。だがモテる男、つまりは選ぶ側になるというのはこういう事なのかと思うといささかげんなりしてしまう。

性欲が薄く、その代わりとなる目標を持っても頑張れない男には、ナンパなど所詮難儀なものなのだ。

③そこまで結婚したくない

俺が結婚したい理由は上に書いた通り、世間体と上の世代のような失敗をしたくないからだ。彼ら独身中高年の嘆きを見るに、どうやら自分のためだけに人生を送るのは30代までが限界らしく、そこから次のライフステージに進めなかった場合、以降の人生は何の展望も望めないつまらないものになってしまうようだ。例えるならドラクエの主人公が最初のステージから出られず、スライムやドラキーをパーティも組めずひとりでちまちま倒し続けてエンディングを迎えるようなものだろう。
10年後、20年後、自分が同じような姿でいたいかといえば、もちろんノーだ。では今のままその危機を回避できるのかといえば、それもまたノーだ。わざわざネトナン講習を受けたのは、自分を鍛え悲惨な未来を避けるためである。・・・・・・といえば聞こえはいいが、要は他人から非難されないであろう体裁、つまりは既婚者、非童貞という肩書が俺は欲しかったというのは上記の通りだ。

理由はどうあれ、選択自体は間違いでなかった。自分を変えるために外部の力を借りるのは100パーセント正しい。だが見逃していたのは、俺は積極的に結婚がしたいのではなく、できればしたくないと思っているということだ。独身よりはマシだから仕方なくやるしかない、というスタンスを崩せないということなのだ。

言うまでもないが、独身が地獄といっても、結婚すればバラ色の人生が待っているわけでもない。当然そこからも苦難は続くだろう。場合によっては人生そのものを終わりに導く大失敗を選び取ることにもなりかねない。

身近な例をあげれば俺の父親がそうだ。結婚前はどうだったか知らないが、彼が選んだ相手は自分勝手でわがままで、気分次第で子供まで罵倒するとんでもない女だった。気弱で事なかれ主義の父はどうすることもできず、その結婚生活は傍から見ていて哀れになるほどだった。
母は自分の言動を理解せず、いつも何かあるごとに文句を言い、何も悪くないのに相手を罵った。父は押し黙ったまま何も言わず、まるで奴隷のように言いなりに甘んじ、たまに激怒して暴れる以外、自分や家族が何を言われようと見て見ぬふりを決め込んでいるのだった。

俺が結婚という言葉を考える時、真っ先に思い浮かぶのはあの頃の両親である。悪意をひそめた母の顔つき、悩ましげな父の表情。そしてついに堪忍袋の緒が切れて、怒鳴り散らし手当たり次第に家具を押し倒す震えあがるような父の姿。それはろくでもない主人と、その横暴に耐え切れずとうとう反抗に出る召使いの構図に他ならなかった。

無論、両親の不仲と俺の家族形成とは何の関係もない。しかしそういう風景をまざまざと見せつけられると、結婚に対する期待値というのは否が応でも跳ね上がる。結婚や家族関係というものに過剰なまでの期待を持ってしまうのだ。神に救いを求めるかのように、家族や特定の人間に救いを見出してしまう。ひどすぎる甘えである。
しかしその高すぎる期待に対して現実があまりに容赦ないため、それならもういいや、となるわけだ。もちろん幸福な結婚生活、夫婦円満という事例も山ほどあるわけだが、万一成婚できたとしてこんなメンヘラ野郎がそういう風になれるイメージはまるでわかない。そのため結婚したくない理由の半分くらいはすっぱいブドウである。

まとめ

俺には自分の考えがない。これといった要望や思想を持たず、ただ周りに言われるまま流されて生きてきた。その結果、今の俺は面倒事と他人からの非難を嫌がるだけの、それ以外の意思がまるで希薄な何も考えない空っぽな人間だ。
そんな男が物心ついたかのように動き始めてもうまくいかないことは当然だろう。俺が求めるのは傷つくことや面倒を避け、ずるく楽に生き、あわよくば納得のゆく結果をかすめとることだけだからだ。人に一目置かれたいが努力するのは面倒くさい。それが偽りのない本音なのだ。
魑魅魍魎のうごめく人間関係にわが身をさらして正しく傷つき、これも楽して生きてきたツケだと言い聞かせながら成長する。そんなまっとうな生き方はまっぴらごめんだ。その途中でどれほど嫌な思いをし、自分の醜さ、愚かさ、幼稚さと向き合わねばならないか、考えるだけでもうんざりするからだ。

まあ、そうした人生に対する当事者意識の欠如したなめた態度が、ネトナン講習での情けない結果につながったのだと思う。やりたくないからやらない。こんな精神的未熟児、誰が相手にするだろうか。それこそ何をしてもダメな落ちこぼれという心の声がそのまま当てはまるどうしようもない人間のクズだ。

とはいえ、このまま何もせず干からびても仕方ないとは思わない。生まれつきの怠け者であれ、生まれてしまった上はせめてまともになるよう生きなければならないと思う。
とりあえず失敗を重ねてこの高すぎる自尊心を粉々にする。そして失敗に慣れ、非難や罵倒に慣れ、言葉で何を言われようと大した問題ではないことを体で覚えなければならない。
また、月並みだが結果だけに執着せず過程をほめることで早期に投げ出すことを予防する。
とりあえずとれる対策はこのくらいかな・・・・・・。あとは人と付き合ってゆく中でその尊さみたいなもんを感じられれば自然と結婚に意識はむいてゆくかもしれない。今のところ人付き合いは嫌いで苦痛でしかないが、なんとか耐えられるようにならきゃいけないからね。

自分のありのままの気持ちを吐き出して、なおかつ非難されない場所はここらへんしかないので今後も気が向いたら毒を吐きつつ進捗投下します。


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