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こころの病気をもちながら働くということ

新社会人デビューをしてもうすぐ1年が経つ。
けれどもこころの病気をもつ私にとって、働くことは困難に溢れていて、実際働けたのは半年ほど。
1年目から、休職して、入院して、を繰り返してしまった。

「働けない」「働かせてくれない」ということは人の尊厳に関わる一大事である。
だから、こころの病気をもつ人が働くうえでどのような困難に直面するか知って欲しいし、どうやったらいろんな人が働ける社会になるのか、一緒に考えて欲しい。

こころの病気をもつ私が病棟看護師をやってみた

病棟看護師(特に新卒看護師)というのはただでさえ離職率が高い。それほど過酷な職業を選んでしまったのは失敗であった。
新卒看護師はみんなストレスフルなのだろうけれど、こころの病気と特に相性の悪かった点を4つ挙げてみたい。

①めちゃくちゃな労働時間
睡眠薬を使いながら眠りをコントロールしている私にとって、日勤も夜勤もそれぞれの大変さがあった。

日勤であれば6時半には起きて7時半には出勤して前残業をしなくてはいけなかった。睡眠薬の残る体に毎日ムチを叩いて出勤し、後残業をする頃にはクタクタでこころも荒んでいた。残業は多く、それは「やりがい搾取」のような形で看護業界の伝統になっているようだ。

夜勤はさらに無理があった。
だいたい残業含め15時半〜10時くらいの勤務になるのだが、その間に仮眠が3時間ほど取れる。
しかし当然、3時間後には起きて仕事をしなくてはならないので睡眠薬が飲めない。となると、睡眠薬がないと全く眠れない私は仮眠時間も一睡もできず、同僚がグースカ寝てる間も全く休むことができなかった。変なアドレナリンが出て、仮眠休憩後も一切眠くなることなく朝を迎えたが、朝家に帰ってからは精神状態はおかしくなっていて希死念慮が湧くことも多かった。

バラバラな生活リズムはメンタルヘルスの大きなリスクであることは間違いなく、病棟看護師という職業はそのど真ん中の職業であった。

②ハラスメントの浸透した労働環境
忙しい現場だからといって仕方ないで済ませてはいけない。先輩達の態度は時にハラスメントとしか言いようのないものがあった。
声をかけても無視されるのに「報連相ができてない」と怒られる、話しかけると貧乏ゆすりや机をトントン叩き苛立ちを示される。
こんなものは序の口であったが、思い出したくもないので列挙はしない。

この頃Twitterの英語垢(SNSが病院にバレないように英語垢を運用していた)で、
"it’s too hard working with PTSD, harsh attitude of my boss reminds me of my abusive parents"(PTSDを抱えながら働くのは大変、先輩の厳しい態度が虐待的な親を思い起こさせる)
とツイートしたらバズった。
ホームレス支援をしていた頃にもよく聞いたストーリーだが、トラウマを抱える人にとって職場でのキツい一言や態度が再トラウマとなって職場から逃げてしまう、というのは広い事実としてある。

この環境ににおいて、トラウマ持ちの私は「闘争or逃走」反応を起こしてしまった。性格はまるっきり変わり常にトゲトゲしていた。

③発達特性との相性
私は仕事ができない方であった。同期が暗黙のうちに覚えていく業務の流れがいつまでたっても身に付かなかった。業務量が過大な中で、抜け漏れも人より多く、よく怒られた。
後から知能検査(WAIS)をしたら、言語性IQ>>>動作性IQとの結果が出て、「スピードが求められる仕事は向いていない」「マルチタスクは向いていない」と指摘され、"効率重視"の大病院の病棟看護師の仕事の"本質"に真っ向から向いてないことが判明した。
仕事を始める前に発達特性は知っておくべきだった。
それにしても、このWAISの結果は「私は仕事ができない」というラベリングとなり、その後の極度の自信喪失につながってしまった。(検査結果の伝え方って大事…。)

④倫理的葛藤
これが地味にこころを一番蝕んでいた。
私は精神科の患者として身体拘束をされた経験があり、それは非常に苦痛な人権侵害で、身体拘束はいかなる状況でもやるべきではないと思っていた。
しかし、私の勤めていた内科病棟でも(せん妄などのため)身体拘束は横行していて、「絶対に加担したくない」ものに加担せざるを得なかった。ひよっ子に「身体拘束は適切ではありません」なんて言うことはできなくて私は葛藤を抱えながらアイヒマンとなって拘束の仕方を覚えた。

そんなこんなでストレスが蓄積し、毎日お酒は手放せなかった。
ストレスが限界を迎えた6月、私は自殺未遂をして自分の病院に救急搬送され、看護部に報告が行き、看護部長直々に休むよう言われ、そのまま病休→退職の流れとなった。
「病棟看護師」は2ヶ月で終わった。

ハンデだらけの転職活動

①もう一回看護師になる?!
もともと看護学が面白いと思って学部を選んだ強い思いがあり、看護師のアイデンティティはなかなか捨てられなかった。
そもそも大学で精神看護を専攻していて、精神科の看護師になりたかったので、看護師の転職サイトに登録して精神科病院にたくさんアプライした。
しかし、良い返事は0。
そもそも看護業界には3年働いて一人前という伝統があり、それ未満の何の技術もない2ヶ月で辞めた看護師を雇う病院なんてないのだ。

それでも…と思い、精神科訪問看護を当たったところ、熱い想いが伝わったのかなんと2つから内定をもらった。
しかし、最終確認で「睡眠薬を飲んでいますか?」という項目があったのだ。訪問看護は電動自転車や自動車の運転が必須なので聞かれたのだと思う。
私は正直に「飲んでいる」と答えた。
すると転職エージェントから「何で飲んでいるのか」「どんな頻度で飲んでいるのか」「何かの病気なのか」「いつから飲んでいるのか」と猛烈な電話がかかってきた。私はこころに土足で踏み入られた気持ちになり、そもそも飲んでいる時点で内定取消だろうと思ったので「内定取消で良いので答えたくありません。」と断った。
睡眠薬を飲んでいるだけでできない職業もあるのだ。辛かった。

②障害者雇用すら…
病棟看護師を辞めた時点で、「自分は普通には働けない人間なのだ」という自己認識が芽生えたので、早めに障害者手帳と障害年金は申請しておいた。
そして障害者雇用専門の転職エージェントに登録した。
しかし障害者雇用には圧倒的ヒエラルキーがある。それは、身体障害者の方が有利だという点である。これはエージェントから明言されてしまった。精神障害者は、働ける日働けない日に波があったり、人間関係の構築が難しかったりするとみなされ不利なのである。
ちなみに、「東大卒」とかいう肩書は障害者雇用において無に帰する。大抵は簡単な事務仕事だから学歴等は関係ない。しかも、一人暮らしできるかできないかくらいの低賃金の仕事ばかり。
エージェントも私が「精神障害者」ということで仕事の紹介も積極的でなく、いつのまにか話はなくなっていた。

③最後のセーフティーネット、水商売
精神科に入院して入院費がかかったこともあり、経済的にも困窮していた。なんとか生き延びるにはこれしかないと思った。
詳しくは書けないが、結局、最後のセーフティーネットからも弾かれてしまった。
というのも、体に派手な自傷痕があるため露出の多い服が着れなかったからだ。
もう、どうやって生きていけばいいのかわからなかった。死ぬことしか考えられなかった。

神、降臨

絶望していた頃、事情を知った学生の頃バイトで働いていた精神科クリニックから、働かないかと声をかけて頂いた。
朝は10時からで、週休3日。
私の事情をよく理解してくれる上司のもとで、好きな仕事をさせてもらうことになった。
このコネがなかったらとっくに死んでいたかもしれない。
優しすぎる人々に身を縮こまる思いである。

サタン、再び現る

こうしてやっと自分の場所を見つけて、5ヶ月。
やりがいもあるし、ゆとりを持って働けるし、良いとこだらけの職場である。

しかし、自分の体調はそう順風満帆には行かせてくれなかった。
きっかけがあったわけでもなく、キツーい希死念慮が毎日続く日々が訪れた。
今まで仕事場に持ち込んだことのない体調不良が、仕事場でも漏れ出てしまっていた。

責任のある仕事であるからこそ、簡単に休むこともできないし、逆に良くないコンディションで患者さんと話すわけにもいかない。
このジレンマに悩まされ続け、自分では判断が出来なくなっていたので、医師の判断で入院することとなり、現在入院中である。

私は怖い。
こんなに良い職場ですら、ちゃんと働けない。
体調を崩してしまい仕事が長続きしない。
こんな履歴書ではキャリアも築けないだろう。
この先も入院を繰り返していたら生活保護のラインになるかもしれない。

こころの病気と共にどうしたら働けるのか

まだこの答えは出ていない。

まず言えることは、柔軟な労働形態が必要だということだ。通院日の確保、睡眠薬を飲んでいても起きれる時間の出勤、休みの取りやすさ、在宅ワーク。

それから、精神障害者の差別ない雇用、差別ない賃金。

新卒で失敗したって何度でもやり直せる社会。

日本には、精神障害者が働ける土壌、つまり精神障害者が尊厳を持って生きていく上で足りないものだらけだ。

昔、有名な精神科医・呉秀三が「我が国十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸のほかに、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」という言葉を残した。
精神障害者の監禁などが常態化していた日本の精神科医療のひどい有様を嘆いて、病であることそのものの不幸に、日本に生まれることの不幸が、上塗りされていることを指した言葉である。
残念ながら、この言葉は今でも色あせていない。この言葉は、精神障害者を労働から疎外する世間・社会一般についても言えることだと私は実感している。

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