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今に感謝。左片側顔面麻痺(ベル麻痺)を経験して④

ごあいさつ

Gender&Diversity Lab Melatiの新津茉莉花です。春が近くてウキウキしますね。

ベル麻痺になった経験について記事を書いていて今日はその4回目です。私が記事をとおして伝えたいのは、「今ある日常やあたりまえのことこそが、尊いことでそれにこそ感謝だね」ということです。


これまでの流れ

2018年の夏、国連の仕事でコートジボワールに単身赴任をしていた。けっこう過酷な国内出張の後、サルモネラ菌に感染して現地病院へ入院→退院翌日の早朝、急に目が覚め、「行かないと!」との直感。夫の住むインドネシアに向けて出発も、飛行機の遅延が重なり、疲れがマックス。フライト中に、口の左に食べ物がたまる&左目から涙がたくさんでてくるなあと感じる。1日半くらいかけてやっとのことで、コートジボワール→エチオピア→シンガポール→インドネシアに到着。夫との再会を喜ぶものの、翌朝目が覚めると、顔の左が動かくなっていた。インドネシアですぐに病院へ行き、その日の深夜便で日本へ一時帰国することに。 

日本到着

日本に帰国し、電車を乗り継いで故郷山梨へ甲府駅に着いた瞬間、安心して涙がでてきた。父が迎えに来てくれており、すぐにかかりつけの耳鼻咽喉科へ。「これはベル麻痺だね」ということで紹介状を書いてもらう。当日はすでに大病院の受付が終わっており、翌朝すぐに大病院へ行くようにとのこと。

イオンで食べたお寿司

その日はできることがないことに不安でいっぱいの私。
家族が私を励まそうと、「食べたいもの何でも食べに行こう」と言ってくれ、お寿司をリクエスト。イオンの中に入っているお寿司屋さんへ連れて行ってもらった。相変わらず顔の左側が全く動かなくて、物を食べるのが一苦労だけど、久々に日本で食べるお寿司、本当においしくて、涙がでた。
夜は、家族がみんなで地元の居酒屋に連れて行ってくれて、帽子やマスクで顔を隠しながらおつまみを食べた。日常の中で、私だけがいつもと違う風になってしまったと感じた。でもおつまみは美味しかった。

県立中央病院に即入院 10日間の治療

翌日、大きな病院へ。受付で「どうしましたか」と言われ、紹介状を出しながら「顔の左側が全く動かなくなってしまいました」という説明をするのが、精神的に辛かった。不安すぎて、「顔を見れば一目瞭然なのに、症状を聞かないでほしい、言わされるのが恥ずかしいし、悲しい」と感じてしまった(精神的にもちょっと普通じゃない感じだったから。すぐ泣いちゃう)。
耳鼻科で診察を受ける。
「ベル麻痺です。今から入院して、点滴で治療を開始します」とのこと。あああ、助かった、と思った。入院させてもらえるのありがたい。先生に任せておけばきっと大丈夫と感じた。
原因は「ヘルペスウィルス」というものによるものとのこと。ああ国内出張で体壊して、免疫が弱っていたんだろうな。

病室に移動してすぐに点滴が開始された。これから10日間ステロイドを点滴で入れて治療していくそう。まな板の上の鯉という感じで、おとなしくしていた。
職場に連絡をとらないと!と思い、パソコンを開いて上司にメールを打つ。時差が8時間あるから、なかなか直接話すことは難しくて、メール。目が閉じられないから、目を開け続けてパソコンを見ていると涙があふれてきて、視界がぼやけて、なかなかメールの文章が進まない(すぐに先生からはパソコン使用禁止を推奨される)。その後、保険会社(日本の保険ではなく、国連で加入している海外の民間保険会社)に電話。アジア地域の担当デスクはマレーシアにあるらしく、マレーシアに電話して状況を説明。
これらの連絡は入院中も数日間続いた。結果的に、職場では傷病休暇を使えることになった。保険もちゃんとカバーされるとのこと安心した。 

インドネシアから私と一緒に日本に来てくれていた夫が日本には1泊でインドネシアに戻る。悲しくて不安。家族と離れて何をしているのか、体を壊してまでする仕事なのか、色々と考えてしまう。

ステロイド治療の副作用

ステロイドの点滴の副作用で驚いたのは、とにかく眠れないこと!!私は通常だとけっこうよく眠るほうなんだけど、入院中全然眠れない。睡眠導入剤をもらって飲んでも2時間で目が覚めてしまい、夜中にもう1錠もらうも、また2時間で目が覚めてしまう。頑張って眠ろうとしても、最終的に朝の4時くらいには目が覚めてしまい、眠るのをあきらめる。 
朝5時過ぎになると院内の人の動きが感じられるので、点滴を引きながら院内を早朝散歩するのが日課となった。

早朝院内散歩

お気に入りは2階の産婦人科の前にある漫画を読むこと。産婦人科はちょうど耳鼻科の向いだから、漫画があることを知っていた。そこで、「コウノドリ」という漫画を1巻からあるだけ全部読破。読み進むにつれて、自分は実は子供が欲しいという思いを封印していたんだなということに気がつく。夫と離れて一人単身でアフリカでアフリカの子供の支援をしていたけど、「あれ?何で他の子供の支援してるのだっけ?自分は子供本当は欲しいんだけどな。」と思う瞬間が何度もあったのを自分で押さえつけていた。漫画の中に、出産にはタイムリミットがある、というような内容の回があって、子供をもつなら、今だ!と直感して、ステロイドの副作用による異様なハイテンションもあって、啓示を受けたような感覚になった。

定期的な検査では言われたことがほとんどできない

定期的に、ベル麻痺の程度を図る検査をするのだけど、「これできますか」と先生が言うことのほとんどができない。例えば口をおの形にする、とか目をつぶるとか、口笛をふく、とかだったような。
点数を聞く前に、だめなことがわかる。この点数によって予後がどうなるか予想できるらしいが、できなすぎて不安になる。

ベル麻痺の治療をしても、麻痺が治らないこともあるとのことで、不安で不安で、何をしたかというと、やっぱりググって誰かが書いたブログを読みまくった。(目が乾くからあんまり携帯見れず、ちょっとね。)でも不思議なことに、その当時、「ベル麻痺」などと検索してでてきたブログは、ベル麻痺治療後、予後があまり芳しくない方のものが多くて、読んでいて余計に不安になってしまった。ずっとこのままだったらどうしよう、という思い。

親友への感謝

親友たちが、東京からお見舞いに来てくれると言ってくれたけど、この顔を見られたくなくてお断りした。そしたら、手紙をくれたり、おもしろいラジオ番組(私が目が乾くから読み物は無理と伝えたから)をいっぱい教えてくれたりした。嬉しかった。辛い時に寄り添ってくれる人がいること、こんなにありがたいことはない。

母の手作り弁当に支えられた10日間

フリースペースで母と食べる夕食が毎日の楽しみだった。母が毎日夕方に手作りのごちそうを持って病室に来てくれた。一日中病室にいると気が滅入るでしょ、と言って、面会用のフリースペース(飲食可)に一緒に行く。私の大好きな食べ物ばかり作ってきてくれた。母が面白いことを言って笑いたいのに、顔が笑えなくて、私がおもしろいことを言っても左の顔が固まっているから、母でさえ、その顔を見て母の顔も固くなってしまうんだな、と感じたのを覚えている。
この夕食があったから、乗り切れた。ありがとう。
(続く)







 






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