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機能不全家庭の小学校時代

今回からは、日記と幼少期から子供部屋おばさんに至る現在までは別記事で書いていく。

私は東京生まれ、東京育ちの39歳、機能不全家庭で育ち今思い返せば精神的に安定していた時期などない。物心付いた頃から生きづらさを感じながら生きてきた。

以前の記事に、親父の《幻覚事件》は書いた。その続きから書いていこう。

今思うと、あれはアル中の症状なのか、統合失調症だったのか、分からない。

あの事件から記憶が飛んいて、思い出せるのは…小学6年生ぐらいの時に、初めて《死んだはずの母親》に会いに行った事。まぁこれも勿論、いい思い出ではない。

私は地元から電車とバスを乗り継ぎ、前に親父の手帳から盗み見ていた住所へ向かった。
何故、母親だと分かっていたのかは覚えていないけど、とにかく会いに行った。

それも小学校の時の友人に、付き合ってもらったのは覚えている。友人は《なつこちゃん》だったかな…?地味目で、今でいう陰キャ。大変失礼だが、私とは真逆のような子だった。

彼女と二人、道に迷った記憶もあるが、この記憶も断片的で次に思い出せるのは、母親の家に居る私。
母親はただ気まずそうな顔。決してハッピーな再開ではない。更に私には妹が出来ていた。

初めて母親に会った時の感想は《会いに来てはいけなかった》と、子供ながらに感じた。

当時の母親は、再婚後に妹が生まれるも離婚。実家に戻っている状態だった。妹の父親も酒乱だったらしい。つくづつ馬鹿な女だ。
私は今でも母親を許していないし、親とも思っていない。その出来事もゆくゆく書き残していこう。

そんな、《会いに来てはいけなかった》と感じさせる親なんて、別に要らない。
そこからまた、相変わらず記憶が飛び飛びで、私は親父から逃げるように飛び出し、公衆電話に居た。そこから母親に助けてほしいと電話していた。

この事件はもう、私は中学生になっていた…。小学校の卒業式も中学校の入学し当初の記憶もない。ただ、いじめっ子をいじめている記憶はある。

母親に助けを求め電話した日にそのまま迎えに来てもらい、母親の家へ行った記憶がある。

そこから気が付けば、転校し私は母親の家で暮らすことになる。苗字も変えての転校だった。たぶん中学校2年生ぐらいの時だと思う。

地元の中学とは違い、マンモス学校で私の学年は6.7クラスあったきがする。
ヤンキーやギャルも多く、転校生というだけで初めのうちは皆が声をかけてくれた。
新しいスタートは悪くなかった気がする。
だがそれもつかの間、私はそもそも《真面目》ではなかったから、転校を機に当時流行っていた、オキシドール染めをしたり、ブレザーだったためスカートを短くしやすかった。

転校前の学校がは、ジャンバースカートのセーラー服。スカートを短くするのは切らなければならなかった。
何より、小さい中学校、先輩から即目を付けられ、靴下もハイソックスは駄目、髪型にしろ、服装にしろ、先輩の目の方が厳しく面倒な学校だった。

その反動で、転校後は早々に好き勝手やり始める。もちろん同級生や先輩から生意気と目を付けられる。

学校でも家でも居場所はなかった記憶しかない。

母親と暮らした日々も短かった気がする。どのぐらい一緒に住んだんだろう…そこの記憶すらない。
実際は、母親の母親、私のおばちゃんと、母親の妹の双子の姉妹、私の種違いの妹との6人暮らしだ。まぁ。母親の妹達にも私は嫌われていた。あの父親の子供だから。

やっぱりココにも居場所はなく、母親との暮らしも苦痛でしかなかった記憶しかない。

そしてある日、親父から母親の元へ電話が入る。私は電話に出た。
帰ってこい』親父からそう電話越しに言われた記憶はある。

私は父親の元へ帰った。あんだけ殴られていても父親は一人しか居ない。私は、あんな父親でも愛していたんだと思う。

私が帰ると、親父は私の目の前で泣いた。

○○、ごめんな、悪かった』と言いながら泣いていた。私の名前を呼びながら泣いていた。

私も泣いた。二人でただただ泣いた。
今も思い出しながら、私は泣いてしまう。

親父の元気な頃、私がまだ小学校低学年ぐらいまでだろう。祭りが大好き、神輿が大好き、海が大好きな人だった。
三社祭も連れて行かれてたし、神輿をよく担いでた記憶がある。

書きながら思い出した。あいつが笑ってる顔、はぁ悔しいな。この歳になってまでまだあいつに泣かされるなんて。本当に悔しい。
あいつの元気だった頃、思い出しで泣くなんて。
もう、開放してよ…。もういいでしょ。あの日から25年も経つんだから。

二人で泣き合った日から、また地元での親父との二人の生活が始まる。その頃にはもう、生活保護になっていた。親父は一日家に居た気がする。
その時に見つけた親父が書いていた《メモ》を思い出す。

何が書いてあったかと言うと…
〇月〇日○○:○○ トイレ
    ○○:○○ めし
    〇〇:○○ トイレ
その時あった事 ~~~~~

上記を毎日書きなぐっていた。これは、私が家を出て、母親と暮らして居た時の物。
そのメモのような日記に…
《○○ごめんな 戻ってこい》と…私の事も書いてあった…。
あのメモを見つけた時は、こんな弱い父親を見た事もなかったし、とても苦しくなった。親父を一人残してしまい申し訳ないとさえ思ってしまった。
親父にこんな思いをさせてしまったと。

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