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験なき 物を思はずは 一坏の 濁れる酒を 飲むべくあるらし

人は何故酒を飲むのか。

あるいは各種ドラッグに手を出すのか。

自分は気持ちを高揚させる為、あらゆる不遇を忘却する為、もしくは緊張感を取り除く為に、といった場面が多い。

恐ろしい程に寛容な人々のおかげで、まだ酒を飲むことを許されているが、私は典型的な酒で失敗する人間である。

神戸で酩酊し、大阪に行って飲みなおそうとしたところ、間違って寝台車に乗り込んでしまい、そのまま静岡の「富士」まで行ってしまったり、

台湾ツアーの前日に、「明日早朝集合やから早めに抜けるわ。」と言い参加した飲み会で酩酊し「何で帰るねん!まだまだいくやろ!!」と荒れ散らかし、最終的には飛行機のチェックイン時間に遠くの駅で目覚めたり、

車庫に閉じ込められたり、給料日に給料袋の入ったカバンを盗まれたり、東京駅の植え込みで中東のお兄さんに「コンナトコ、アブナイヨ」と起こされたり、本人と気づかず某超有名アーティストに説教たれたり、他にも書けないような事も諸々と...

なのに何故飲み続けるのか。

前述したように忘却する為に飲んでいるのであって、そこにおいて学習を引き合いに出すのはナンセンスである。

馬鹿になる為に酩酊しているのであって、酩酊している自分に対して尊敬の念を持ってもらおうなどとは一切思っていない。

幸い、普段は殆ど飲まないので"中毒者"ではないと思うが、コミュニケーションツールとして酒に"依存"している事実は否めない。

そんな刹那的に飲んでいる自分だが、何とも良い瞬間もある。

突然の友人の呼び出しに自転車を漕ぐ夏の夜。
到着後にグーッと喉を通るビールと馬鹿話で笑っている姿で頭がいっぱいになる。

淡色の下心が揺れる冬の寒い1日の終わり。
熱燗ですっかり熱くなった頬、「ごちそうさん」と出た店先、冷たい夜風でフッと引き戻されるあの感じ。

待ち合わせ場所に向かう車窓の景色、路地裏の赤提灯、昇る煙、ネオン、斜め向かいの席から覗く人間劇場、終電間際の喧騒もなんだかんだ愛おしい時がある。

酒にはどこか儚くも消えそうで消えない景色がある。


今回のテーマにあたって素晴らしき歌人を見つけた。

大伴旅人(おおとものたびと)

という人物である。

験なき 物を思はずは 一坏の 濁れる酒を 飲むべくあるらし
これは、「思ってもかいない物思いをやめて、酒を飲むのがよい」という意味の歌である。

上記の歌も含む「酒を讃むるの歌」を十三首詠んでおりこれがまたどれも素晴らしい。

生ける者 遂にも死ぬる ものにあれば この世なる間は 楽しくをあらな
「どうせ死ぬなら、生きている間は、楽しくやらねば」
これなんかはまさにmementomori(死を想え)的。

今も昔も人は思考し、疲れ、忘れようとする。

毎日は辛く悲しい。

それでも我々は生きていかなくてはならない。

死ぬことも、すぐに変わる事も出来ない、弱い我々にとって救済でもあり、ささやかな自殺もどきでもある酩酊。

時には笑って、時にはぐずぐずに泣いて、我々は今日も酒を飲む。

全国の肝臓リスト(レバー)カッターの乾杯が少しでも明るい音で響けば良いなと心の底から願う。

黙然をりて 賢しらするは酒飲みて 酔泣するに なほ若かずけり
「黙りこくって賢いふりをするのは酒を飲んで酔い泣きするのにやはり及ばないものだ」

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