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「老子」から大谷選手と水原通訳の関係を考える


物事は全てバランス



皆さん、おはようございます。

今日は、「老子」から大谷選手と水原通訳の関係を考える」

というテーマで綴ってみたいと思います。


以前、「天下みな美の美たるを知るも(良いものは悪いもの)」

というテーマで書いたことがあるんですが、


例えば、人工的に美しく見える物は、


実はとても不自然であり作為的であったりします。
また永遠に続くものではありません。


また、その裏には、

必ずと言っていいほど、
汚いものがあったりします。


また「勧善懲悪」という言葉がありますが、
それは「悪者」がいて「正義」が際立ちます。

良い者は、悪者がいないとやっつけることができないんですね。


ですのでそれは、

勾玉のように互いの存在があって初めて成立しているんだ、
老子は言っています。


例えば、

「ある」と「ない」
「高い」と「低い」
「難しい」と「易しい」
「長い」と「短い」

など、

それぞれの概念が片方だけですと、成立しないものです。


それは良い意味での「依存関係」であるし、
物事がバランスによって成立しているということです。


そしてそんな中で、

自分の都合の良いところだけを切り取って得ようとすること

「欲」だと言えます。


「ラーメンとか甘い物などばかり食べていたら健康を損なう」
みたいな感じでしょうか。

あんまり口に合わない野菜などもバランス良く食べないと
体調を崩したりします。


そう、世の中全て「バランス」で成り立っているのです。


そんなことを踏まえ、
この大谷選手と水原通訳の関係を考えますと、


あながち、起こるべくして起こった現象ではないかと思うのです。

大谷選手の輝かしい功績の裏で、
水原通訳の悪行が起こった。


それほどに、

大きな責任をを一人で抱えていた、
水原通訳のプレッシャーは図り知れないものであり、

ギャンブルは、

そこから解放されるための手段であったとも
言えるのではないでしょうか。

(もちろん、水原通訳のやったことはいけない事です。
あくまで現象として解釈しています。)


そしてそのバランスの悪さの始まりは、

「貴族の道楽から始まっている」と老子は言っています。


貴族が金品を欲しがってあれこれ工作し出したことで、
人民の欲望を煽らせてしまったと。


ああ、なんか切ないですね…。


だからこそ私たちは、

もしかしたら自分の不安や欲望は、

外部の何かによって掻き立てられているかもしれないと、


世の中を客観視することも大切なのです。


そして、

水原通訳のやってしまったことを考えますと、
かばう事もできませんが、


でも確かに言えるのは、

水原通訳が大谷選手を支えていた時があったからこそ、
今の大谷選手がいるという事ではないでしょうか。

※4/14追記

この記事は3月29日に投稿させていただきました。

その後、驚愕の事実が次々と判明するに至り、水原さんの裏でしていた行為にかなりショックを受けてしまいました。

赤の他人の私ですが、それでも自分の立場に置き換えますと、大谷さんのショックは計り知れません。

大谷さんには、ただただ、今後の益々の活躍を祈るばかりです。






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