「誰にも知られない時間」を知っている。
今までに上野千鶴子さんや宮台真司さんの本は読んだことがあったが、今回初めて岸政彦さんの本、『断片的なものの社会学』を読んだ。社会学も文化人類学も、どちらも好きなテーマだが根本的に方向性が違う学問である。文化人類学が自分のコミュニティから外に出て他文化を理解し、その差異を認識することによって自文化の理解を深める学問だとすると、社会学は自分の所属するコミュニティの内側から研究する学問である。
誰にも隠されていないが、誰の目にも触れない
人生は断片的なものの集まりで出来ている。誰の目にも触れる場所にあるのに、誰の目にも止まらないような物語が集まって出来ている。
「失われてしまったあとに見出されたもの」
「失われてしまったあとに
見出されなかったもの」
「そもそも最初から存在もせず、
それゆえ失われさえしないもの」
「そこに最初から存在し、
そして失われることもなく、
だが誰の目に触れないもの」
世の中は何事でもない断片的な出来事の集まりである。厖大な数の意味のない出来事の繰り返しである。だからこそ、岸政彦はロマンチックやノスタルジックと最も対極にある、徹底的に無価値なものにこそ、興味をそそられるようだ。
どこの誰が書いたのかも分からないブログの、他愛ない一日の報告。それこそまさに、誰にも隠されていないが誰の目にも触れない、徹底的に無意味な事柄かもしれない。
何事でもないような出来事が、世界中で星の数ほど起こっていること。そしてそれらの出来事は常にそこに存在しいつも目の前にあること。この厖大さに思いを馳せながら、今日もブログを更新する。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?