価値観の正体。発達障害者の正体。片付けの出来ない発達障害者。

こんにちは、もすです。
暖かくなってきましたね。国立大学の合格発表もチラホラされてきて、それに伴う受験生の反応をSNSで見ていると、とても懐かしい気持ちになります。毎年のことですが。

今回は「価値観」の正体と「発達障害者」の正体について解説していこうと思います。
「今回は二本立ての解説?」そう思った方もいると思います。しかし実はこの2つには切っても切れない大きな関係性があります。なぜかと言うと、

発達障害は、普通と大きく外れた能力や価値観を生まれつき持つゆえに、生きる上で障害(生きづらさ)を抱える疾患だからです。

これを自分は発達障害の定義だと解釈しています。ちなみにその定義で言うと自分は発達障害です。

その辺は②で説明するとして、今回も以下の3つに分けて解説します

①価値観の正体
②発達障害者の正体
③発達障害者と上手に付き合うには

先に結論から言っておきます。
「発達障害者は能力と価値観が歪な存在である。普通の物差しでは理解の及びにくいそんな膨大な存在と上手く付き合うには、その特性を理解し、尊重する事だ。」



①価値観の正体

wikipediaから引用。(スクショして引用すればマジで話が早い事に今回気づきました。)


簡単に言えば、
「価値観とは、物事の価値を測るための物差し」である。
こんな事は「価値観」という名前から容易に理解できる。しかし今回は、その概念をさらに追求していこうと思う。

まず当たり前の話だが、
・人間の数だけ価値観がある。
・人間は、自分の中の価値観を基にして生きている。
これらは当然だろう。

では、先ほど価値観は「物事」の価値を測る物差しといった。ではその「物事」とはなんだろう。
それは、お金や車、ブランド物、家?そんな有形かつ無生物だけの話はしていない。
では、人間や動物、植物、細菌、細胞?そんな有形かつ生物の話を追加してもまだ足りない。

感情や権利、地位、保険、行為、サービス、愛など、無形かつ無生物である概念的な物も含めて「物事」なのである。
要は、有形生物、有形無生物、無形無生物(無形である以上無生物なのは当然だが)、全て引っくるめて「物事」だという事だ。

これから自分が使う「物事」という単語は、「有形無形に限らない万物」という意味で用いていく。

ここまでは定義の確認である。本題はここからだ。


---人間は価値観により無意識に生きられる

「物事」を取捨選択する行為には必ず、コストとベネフィットという価値がついて回る。
(言うまでもないが、そのコストとベネフィットは必ずしもお金の様に有形ではない。嬉しい、疲れる、気持ちいい、気持ち悪い、めんどくさい、そんな感情も全て含めてコストとベネフィットである。)
(そしてこれも言うまでもないが、ベネフィット、つまり利益だけが価値ではない。コストも価値である。)

例を挙げる。

「部屋の片付け」という無形の行為がこの世にはある。
この行為は「片付ける労力というコスト」を支払って、「混沌とした状態を秩序の保たれた状態に変えるというベネフィット」を生み出す事だ。

このコストは、個人の能力や状態、部屋の状態、協力者の存在など、様々な要素により価値が変化する。(例えば片付ける能力の低いADHD患者にとって、片付けるという行為は高コストである。)

ベネフィットも同様に、様々な要素により価値が変化する。(自分だけが暮らす部屋なのか、同居者のいる部屋なのか、自分だけが暮らすが友人や異性を呼ぶ事が多いかなど)

そんな、変幻自在なコストとベネフィットという価値。それらを無意識的に天秤にかけて私たち人間はは生きている。
つまりコスパを無意識的に考えて生きているのだ。

ではどうしてそれを無意識的に行えるのか。それは当然、「価値観」があるからである。

賢い人間というのは、「物事を上手く天秤にかけられる人間」である。
それすなわち「コストとベネフィットを推し量るのが上手い人間」であり、
それすなわち「物事の価値を見抜く上質な価値観を持つ人間」である。


②発達障害者の正体

「発達障害は、普通と大きく外れた能力や価値観を生まれつき持つゆえに、生きる上で障害(生きづらさ)を抱える疾患」

自分は冒頭で自分の解釈をこう説明した。(参考までに、厚生労働省の言う定義は↓である。)

厚生労働省のサイトから引用。

自分の定義の方がわかりやすく都合が良いので、これから先「発達障害」という単語は自分の解釈の意味で用いていく。


---なぜADHD患者は「片付け」が出来ないのか

普通と大きく外れた能力や価値観とはなんだろう。
わかりやすい様に例を挙げる。

ADHD患者で「片付け」が出来ない人間は多い。
それは何故かと言うと、大きく分けて2パターンがある。

A:片付ける能力がないから

B:片付けるという行為にコスト以上の価値を見出せないから

Aパターンから説明していく。
これは原因として、
・ワーキングメモリの能力が弱く、物事に優先順位をつけたり、短期記憶が上手くできない
・片付けに集中ができない

こんな所だろう。特に説明は不要だと思われる。

問題はBパターンである。
これは能力の問題ではなく、価値観の問題である。(価値観も能力の1つなのだが、そこには目を瞑って聞いてほしい)

普通の人間からしたら理解し難い事かもしれないが、「秩序の保たれた部屋(片付いた部屋)より、「混沌とした部屋(片付いていない部屋)」の方が居心地が良いと感じる人間は存在する。
↑まで極端な例は少ないが、「片付ける労力というコスト」と「混沌とした状態を秩序の保たれた状態に変えるというベネフィット」を天秤にかけた時に、コストが勝るゆえ片付けない人間は大勢いるのだ。

簡単にいうと、ゴミ屋敷に10年間住めと言われた時、
普通の人間なら片付ける行為がベネフィット>コストとなるのに、
ADHDの人間だとコスト>ベネフィットとなる事があるのだ。

「出来ない」のではない。「しない」のである。ここにAパターンとBパターンで大きな違いがある。

AパターンとBパターンがある事は説明した。そしてとても大事な事がある。それは、AかBのどちらかの二者択一という二元論的にはほとんどならないという事だ。
価値観というのは能力から生まれる事もある。というよりそれがほとんどだ。
具体例を出すと、片付ける能力が弱い人間は片付けという行為が高コストとなる。
それはつまり、AパターンとBパターンは合併する事がほとんどだという事だ。いや、というよりも、能力の低さが先にあるからBとなる事がほとんどだ。



③発達障害者と上手に付き合うには

「片付け」はほんの一例である。
発達障害患者の生きる世界は、「能力と価値観の普通との乖離」の連続であり積み重ねなのである。
それにより生きづらさを抱える事こそが、発達障害なのである。だからこそうつ病をはじめ、双極性障害、統合失調症、パニック障害、不安障害、パーソナリティ障害など各種精神疾患に罹りやすいのだ。(発達障害由来で生じたこれらを、発達障害の二次障害と言う。)

冒頭で自分は発達障害だと述べた。
この根拠は、自分は普通からひどく逸脱した能力と価値観を持っており、それによる生きづらさを抱えているからだ。厨二病でもなんでもなく、事実としてそうなのである。

・片付けが出来ない。
・興味のない事に集中できない。
・興味のある事には過集中してしまう。
・忘れ物や無くし物を頻繁にしてしまう。
・じっとしていられない。
以上はADHD(注意欠陥多動性障害)の傾向だ。

・こだわりが強い。
・他人から自分と違う価値観を押し付けられる事に異常なほど反発してしまう。
・他人の気持ちに共感できる事が少なすぎる。(経験則により理解はできる)
例を挙げると、自分は敬虔な無神論者である。神を信じていないどころの話ではない。神やスピリチュアルを信仰する類の行為に強い嫌悪感を抱く。それは葬式などのマツリゴトだけでなく、クリスマス、バレンタインデー、元旦などのお参り、墓参りなど全てに対してそうなのだ。だがそんな事を誰かに言ったところで理解もされない。むしろ気味悪がられる事を経験則として知っている。だから自分は、そういう気持ちの悪い宗教観に基づいた行事ごとを、雰囲気を壊さないために楽しんでそうな顔や態度を作って生きている。
以上はASD(自閉症スペクトラム障害)の傾向だ。


自分語りはこのくらいにして、話を本題に戻す。

これを読むあなたが、定型(発達障害でない人間のことを指す)か発達障害者かは分からない。
どちらにせよ発達障害者と接する機会は人生において必ずある。特に発達障害者は、自分がまさにそうなのだから、接し続けていると言っても過言ではない。

発達障害者である自分が、そんな発達障害者と上手に付き合う方法を伝授したいと思う。それは、


---彼らには彼らの能力と価値観がある事を理解し、それを尊重する事

これに尽きる。特にこれを読む発達障害者にとっては自分自身と上手に付き合う方法であり生きやすくなる方法なので、是非耳を傾けてみてほしい。

ここまで読んでくれたあなたは、読む前から、
発達障害の定義について知っていただろうか。
発達障害者にはどういう人間がいるか知っていただろうか。
発達障害はどうして生きづらいか、考えた事があるだろうか。

恐らく発達障害当事者や家族、または精神医療に携わる人間でない限り、知らないし考えた事もないだろう。それはとても幸せな事だと思う。

人間は、「自分の知らない存在」ひいては「自分の理解の範疇を超えた存在」に対し本能的に恐れを抱く。おばけを恐れる人や、LGBT法案に過度に反対している人間は良い例だ。
恐れを抱かなくとも、無知なのに上手に向き合えるかと言うと答えはNOだ。だからいじめはこの世に存在する。


発達障害者は、多くの普通な人間の理解が及ばない膨大な存在だ。なぜなら彼らは普通ではないから、普通の物差ししか持ち合わせていない人間には理解に及べない。
そんな存在は、ある時は崇拝され、ある時は排他される。イーロン・マスクやビルゲイツ、スティーブ・ジョブズが発達障害なのは有名な話だ。彼らは発達障害でありながら、それを補って有り余るだけの能力があったから成功できた。
そんな存在は、上手く関わる事であなたに利益をもたらす。上手に関わることができて損はないのだ。

「敵を知り己を知れば百戦危からず」という言葉を聞いた事があるだろうか。これは自分の10個目の座右の銘である。

あなたがもし仮にイーロンマスクと商談する事になったとしよう。その商談を成功させる鍵は、イーロン・マスクの発達特性に気付く事だ。

あなたがもし仮に経営者として発達障害の部下を使う事になったとしよう。上手く使う鍵は、その部下の発達特性に気付く事だ。

あなたがもし仮に発達障害者だったとしよう。上手く生きる鍵は、発達障害というものに詳しくなる事だ。

それがつまり、「彼らには彼らの能力と価値観がある事を理解し、それを尊重する事」であり、「敵を知る事」なのだ。当事者にとっては、「己を知る事」。



まとめ


冒頭でも言いましたが、まとめの結論です。
「発達障害者は能力と価値観が歪な存在である。そんな理解の及びにくい膨大な存在と上手く付き合うには、その特性を理解し、尊重する事だ。」

これを読んだあなたは、発達障害者についての理解が少し深まったのではないでしょうか。
その経験は必ず糧になります。その知識により発達障害者を見抜くことが出来ます。すると、自ずと上手な向き合い方が出来る様になります。活かすも良し、関わらない様に避けるも良しです。

あなたが無知であるゆえに、理解の及ばない膨大な存在に対して危害を加える存在にならない事を、無神論者なりに祈っています。

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