ひとりで社会を破壊しようとする映画の人物についての偏見による感想【あいまいなもの】

最近、友人たちと2週おきぐらいにウォッチパーティーで映画を観ています。
私はこれまであまり映画を観てこなかったので、友人たちのオススメ作品を前情報なしの状態で観ていると、そのどれもが面白く、いつも刺激を受けています。

私がそこで観た作品は、以下の4つです。
『太陽を盗んだ男』
『機動警察パトレイバー2 the Movie』
『バックトゥーザフューチャーの3作』
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

映画好きの方からすれば、これらはだいぶ偏った視聴リストに見えるかもしれません。
ただ、前提知識が皆無な私には、これらの作品はどれも新鮮で、非常に面白い発見に溢れていたように思います。
今回は、特に『太陽を盗んだ男』と『機動警察パトレイバー2 the Movie』の2作品(と少し『Joker』)について、「ひとりで社会を破壊しようとする人物」に着目して初見の感想を書きます。



前提条件:私の映画鑑賞歴

あまり観ていません。

  • 幼少期は、図書館のビデオコーナーでドラえもんの劇場版をずっと観ていました。(今度、『無限三剣士』についての感想を書きたいです。)

  • 小学~高校は、『ウルトラマン』『TRICK』が好きで観ていました。また、CSか何かで偶然観た『ミスト』があまりにショッキングで、映画が苦手になりました。

  • 大学では、友人の影響もあって『シェイプ・オブ・ウォーター』『JOKER』などを劇場で観ました。ただ、最も印象に残っている作品は、『そして誰もいなくなった(1945年 アメリカ)』です。ネット上で無料公開されていたのをふと見たところ、とても面白くて夢中で観てしまいました。なぜ、あのとき自分がこの作品に魅了されたのか、言語化はまだできていませんが、なんというか「チープさ」「愉快さ軽快さ」「恐ろしさ」が、淡白な映像と演出ではあるものの、いいバランスで組み上げられているからでしょうか。映画って面白いと思わせてくれた作品であり、私にとっては印象深い作品です。


『太陽を盗んだ男』と『機動警察パトレイバー2 the Movie』は対極にある?

この2作品内の「ひとりで社会を破壊しようとする人物」についての感想をそれぞれ書きました。

城戸誠(『太陽を盗んだ男』の登場人物)

  • 信念がない小心者で行き当たりばったりな子供という印象
    ただ能力は高く、嫌な日常の中で理想の行き場を失った結果、原爆を作り上げてしまい、目標もなくラジオの投稿コーナーにて「原爆でやるべきこと」を聞いてしまう
    大きなことをなそうとしているが、その大きなことを描くための源がない

  • 鏡に向かって「お前は誰だ?何がしたいんだ?」と問う

  • 子供っぽい立場から沢井(ヒロイン)と恋愛?をする
    沢井を海に投げ込むシーンが印象的
    沢井の「あの人は私たちに夢を売ってくれたのよ。私その夢を大事にしたいの」という発言から、ヒロインは危なっかしい突発的行動男に夢を見ちゃってるように見受けられる

  • 「どうして俺を選んだんだ?」「あんたはただの犬だ」「この町はもう死んでいる、だから殺して何になる」から、山下警部の「お前が一番殺したがっている人間はお前自身だ」というやり取り
    序盤の皇居バスジャック犯の老人には、死んだ家族の無念に対する信念があった
    だから警部は生死をかけて決死の闘いを挑んだ
    城戸はそれを近くで見て、警部に強く正しい父親に対する憧れや依存心のような感情を持ったのではないか?
    その後に原爆という膨大な力を持ったことで、自己に対する後ろめたさを無視することで憧れと侮蔑のコンプレックスを抱え、上記の「あんたはただの犬だ」という発言につながったのではないか?

  • 警部からは犯人はずっと大したことない子ども扱いで、「叱ってやらないと」と言われていたが、最後には城戸が生き残った
    メタ的な感想としては、異様なタフさを持つ山下警部は戦前の日本の英雄を象徴する人物として、意図的に過剰なまでに勇敢にタフに描写されているのではないか?
    戦後の視点から見ると、警部は正しい行いをしているはずなのに恐ろしい怪物のように見える
    共に死のうと警部に掴まれて飛び降りるシーンでは、死にたくないと無様に叫んでいた
    運よく?生き残った若い世代の城戸だが、被爆と戦闘による怪我によって身体はボロボロ、最後は原爆のタイムリミットを迎えて大勢を巻き込んで大爆発……
    行き過ぎた個人主義によって肥大化した自我が、周囲を巻き込み自滅していくことが、この国の未来なのだろうか?(と公開当時1979年の視点だと考えていた?)


柘植行人(『機動警察パトレイバー2 the Movie』)

  • 信念があり用意周到な大人という印象
    自衛官としてPKOに派遣された際に、発砲許可を得られないままゲリラからの攻撃を受けて部下を失ったことで、この事件を起こす
    レーダーに捕捉されない「見えない敵」によって、過剰な防衛体制を日常にした上で、突如として効率的な破壊をして支配をする
    軍に飛行船を攻撃させて墜落した飛行船から、殺傷能力のない「見えるガス」を放出し、不安感や攻撃をした国組織への不信感を最大化する

  • しょうもない大人の立場から南雲(ヒロイン)と恋愛?をする
    正直、ここは言いたいことが山ほどある
    最後の手ックス(※手をねっとりと絡める行為)からの、2人でヘリコプター同乗はふざけんなよ
    こいつの勝ち逃げすぎるし、南雲が子供部屋生活をして母と暮らしていることで、嫌な実感を伴って男に都合のいいじっとりとしたエロさを醸し出している感じがイヤだなと……
    私はパトレイバー本編を知らずにこの映画を観たのですが、南雲という1人の女性は白馬の王子様を待つ隷属的で幼稚な女にしか見えなくなりました
    「戦争の作品を好きな人間が考えるエロい女」って感じが私にはあまり合わなかったです
    こういう自己愛強い卑怯なしょうもないおっさんは、ただ情けなく終わってほしかった
    『少女革命ウテナ』のように(この作品も最近、初見で一気見したので感想を書きたい)


    【※追記】
    南雲しのぶ役の声優の榊原良子さんのインタビューを見ると、どこまで本当かはわかりませんが、やはり思うところがあったようです。そうですよね。
    https://spice.eplus.jp/articles/285200


さて、この2人はどちらも「ひとりで社会を破壊しようとする」登場人物ですが、私は対極にある存在だなと感じました。

城戸は、目的もなく手段だけを追求し、思いつきで目的を探し続けます。
当然それはどれもうまくいかず、飼い猫を亡くすわ、被爆するわ、捕まりかけてびびって逃げるわ、自殺にビビるわ、恋人?を亡くすわで、全てを失って最後には大けがを負って満身創痍で爆発によって死んでいきます。
1人の人間が大層な破壊をしようとしたところで、その前に待つ自分の空虚さと現実の小さな嫌なことの積み重ねによって、無様に足掻く様が人間らしいです。
城戸は大人ですが、ずっと子供っぽい振る舞いです。

一方で柘植は、目的のために緻密に周到に手段を講じていきます。
1人で真実に目覚めた気分になって自慰行為に耽り、幻の世界だと他者や社会をバカにして破壊し、美しい大きなことを成し遂げた気分になって、最後には唯一無二の女性から受け入れられて、街を眺めて「もう少し見ていたかったのかもしれんな」「この街の未来を…」とか言うわけですよ。
全てを手に入れて、本当にたちが悪いですよね。
柘植はずっと冷静で大人っぽい振る舞いです。

「ひとりで社会を破壊しようとする」映画は、ジェットコースターのように起伏の激しい展開や映像を観て気持ち良くなれますが、内省があってほしいですね。


【※かなり脱線】
『太陽を盗んだ男』から、サルトルの『エロストラート』を思い出さずにはいられません。
以下、『エロストラート』より一部を引用します。

おれが拳銃を一丁買って以来、万事はうまくいきだした。爆発し、音をたてる、あの器具を一つ、欠かさず身におびると、強くなったように感ずる。
――――――
おれは考えた、「おれの望むところは、つまり、やつらをみんなびっくりさせることだ」と。おれは子供みたいに陽気だった。
――――――
おれは人びとの背をながめた。その足どりによって、おれがそいつに撃ちこんだときの倒れ方を想像した。
――――――
おれの運命は短く、悲劇的だろう、とおれは信じはじめた。
(中略)
そのことが、過ぎていく「瞬間」に、莫大な力と美を与えるのだ。
(中略)
おれもまた、暗い生涯のはてに、一日、爆発するだろう。
おれは、マグネシウムの閃光のように、はげしく短い炎で、世界を輝かすだろう。

サルトル『エロストラート』

この後、結局この男は銃で人を撃ってしまい、最後には捕まりそうになって自殺しようとするも、それができないところで終わります。

「気まぐれで病的なやつは大きな力を手にすると、自分に飲み込まれて大したことをできないまま自滅する」
というのが、『太陽を盗んだ男』や『エロストラート』に共通するテーマだと思います。
サルトルの主張する実存主義を踏まえると、社会的な役割を果たす中で他者との関係の中から自己を削り出すことが、「自分を知る」という行為なのではないでしょうか。
したがって、自我が肥大化した者が過ぎた力を持ってしまうと、他者を下等な存在として見て拒絶してしまい、「自分を見つけたい」という答えからますます遠ざかるだけだということがわかると思います。
これって「筋トレをすれば圧倒的な力がついて全て解決!」みたいな主張にも通じるところがある気がするので、私はこういったことを言う人がやはり苦手です。


『Joker』は「あ、ジョークですよ」と子供のように笑っていただけの作品

『Joker』は上記の2作品と比べるとかなり新しい作品です。
そして、自分以外を丸ごとバカにすることが全てで、手段や目的が全く重要ではないというのが、この作品の特徴です。
私は当時、映画館で『Joker』の最後のシーンを観て、
「あーアホらし!ぜーんぶジョークでーす!無視したり勝手に分かった気になったりしてるけど、お前らにはオレの何もかも理解できねーよ!バーカ!!!あーおもしろ!全部しょーもねー!!!」
の笑みが言いたかったことなんだと、勝手に感じ取っていました。

多分、私も子供の頃に似たことを思っていたのだと思います。
逃げ場のない教室でただただ惨めな気分だったとき、仮病やわざとのケガでスポーツクラブを休んだとき、校則を違反して学校に官能小説を毎日持って行き続けたとき、学祭の準備を全力でやって当日に無断でばっくれたとき、フォークダンスだけばっくれてトイレに逃げたとき、そういった時に抑えられなかったあの笑みと近いものがあったのかもしれません。

あと、あの映画館で近くに座っていた大学生カップルの男へ。
キミは「オレもジョーカーかもしれん、やべぇw」と彼女に言っていたけど、それ今も有言実行しているか?
一つだけ言えるのは、キミは本当に何もわかっていない。
キミみたいなわかった気になってるやつこそ、Jokerはバカにしているんじゃないかな。
あ、ジョークですよ。


おわりに

以上、最近観た映画の感想でした。
映像の演出や世界観、人物描写や撮影のエピソードなど着目するべきことは多々あるとは思いますが、私は人間の姿に目が向きがちみたいです。
一方ある友人は、「映像の良さや世界観が好きで人物描写についてはどうでもいい」と言っていたので、人によって見方が全く違っていて違った感想が聞けて面白かったです。
私は自分の経験というゆがんだ色眼鏡を通して見た、人間に何よりも興味があるみたいです。
次は、どんな映画を観ようか色々調べていますが、オーストラリア映画の独特の暗い雰囲気に惹かれています。

それでは。


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