社会のすみっこコミュニティはどうすればうまく続くのか【あいまいなもの】

色んな小規模のコミュニティに参加したり、たまに立ち上げたりしてきて感じた難しさについて書きます。(対面とオンラインの両方あります。)
人についての話がメインです。

注意点として、私個人の主観的な意見が大半で、また一部の人にとっては不快に感じる(と思われる)内容を多分に含みます。


白黒はっきりつけないグレーなつながりがあればなぁ

社会という大きなコミュニティの場合、「君はそういう人じゃないよね?」の正解を求める暗黙の多重チェックにより、そのコミュニティにそぐわない人は排除されます。
それは就職活動しかり、一部の友達付き合いや恋愛、結婚、ビジネスなど人間の社会活動のほとんど至る所で見られる働きです。
ただ、私はそれが全てだとは思いたくないですし、何より自分はあまりそれに適合できていない人間だという自覚があります。
「みんながいいと言ってるからいいんだ」という考え方は子供の頃から何よりも嫌いです。

そこで、私が期待しているのは白黒はっきりつけないような、グレーでゆるやかな小規模のつながりです。
ほどよくつかず離れず、お互いの大事にしている部分には下手に踏み込まないような、適度なコミュニティがあればいいなと思ってます。
目的はあってもいいですが、無くてもいいです。
できるだけ損得抜きのあまり意味のないコミュニティの方がうまくいく気がします。
というのも、全体を無視して自分だけは得をしようという心の働きがコミュニティを破壊することにつながるためです。(下に書いた「繊細な加害者」や「恋人、家族語り」の部分と関係します。)
また、その方が自分を大きく見せるための嘘や見栄が意味を持たない場所になっていいかなと思います。
虚言は「君はそういう人じゃないよね?」の多重チェックをハックするための必殺テクニックですから、それができるだけ存在しない空間の方が平和です。

(参考)フリーライターの鶴見済さんが継続的にされている活動が、適度なコミュニティを作る上で参考になるのではないかと期待しています。


「繊細な加害者」ほど渇望しているのに連帯ができない

私はここで、コミュニティ存続のためには無視できない、ある特徴をもつ人達のことを「繊細な加害者」と呼ぶことにします。
「繊細な加害者」の特徴は以下の通りです。

  • 自分の見えている世界が全てだから、それがひとたび脅かされると相手に対してどこまでも執拗に苛烈に攻撃を加えます。

  • 自分の被害には過敏ですが、自分の加害には極めて鈍感です。

  • そのコミュニティとは場違いな自分の価値観を執拗に過剰に主張し続け、腫れもののように扱われています。

  • 一方で他人が大切にしている価値観を平気で否定していることに気づきません。

  • 相手の行動を許すとか自分の過ちを認めるといったことや、自分と他者の間をとった思いやりのあるアサーティブなコミュニケーションができません。

  • コミュニティの全体最適化などは考えられず、自分の希望を満たすためにコミュニティを破壊するまで積極的に行動を取り続けます。

  • それでいて、自分は常に被害者の側の人間だと信じて疑いません。

  • 周りから指摘されるとすぐに「他人への配慮」を盾にして、気に食わない人を運営に排除させようとします。

  • そんな人間が自分勝手に行動しているのを運営は止められず、次第にうんざりしたり嫌な思いをした人達が離れていきます。

  • コミュニティが閉鎖された後は、また次のコミュニティへ参加し、同じことを繰り返し続けます。

「これってあの人だ」と思い当たる人、きっといますよね?
これまでもこういう人はほぼ例外なくコミュニティを崩壊させています。
コミュニティを存続させるためには、こういった人に働きかけてどうにかしようとかルールを作ろうなどと考えない方がいいと私は思ってます。
こういった人は自分より格上だと認識した他人を妬みつつも崇拝して際限無く施しを要求し、それでいて自分と同格以下だと認識した他人を嘲り自分を上位に置くことがあります。
その結果、他の人まで影響されて攻撃的になってしまい、複数のトラブルが連鎖してしまうことさえあります。
経験上、どういう関わり方をしても良い方向に転ぶことは基本的に無いと言えます。

以前参加していた50人規模の趣味のコミュニティで、2~3人が上記のような発言や行動を取り続け、トラブルに発展し、コミュニティが何度も閉鎖されることがありました。
あげくトラブルの原因を作った張本人の1人が「次に作るコミュニティにも私を呼んでくださいね」と言っていたのを見て、他者を全く思いやらずにただ執着する姿に恐怖を感じると同時に、こんな小さな場所でさえ嫌われているその姿に悲しさを感じました。
真の孤独とはこういうものなのかもしれません。

運営の方が何度も「配慮を」「お互いの譲り合いを」と言っても、それが意味することを理解できない人やスルースキルの無い人が必ず一定数います。
その人達は先天的な特性や環境、後天的な疾患、能力、対人経験の不足などが原因でそうなっていることが多く、その人自体を否定する気は全くありません
人はみな誰しもそういった性質を持っていますし、程度の違いの問題です。
ただ、コミュニティ内で「繊細な加害者」の程度が強い人に他の人が我慢して譲らされる一方なのはおかしいし、必ず限界が来ると言いたいだけです。

コミュニティ存続のために運営ができることは、「繊細な加害者」が2度と物理的に関われないようにはっきりとした拒絶を示すことぐらいです。
根本的な解決や状況の改善は、個人などが運営する小規模なコミュニティにはどうこうできることではありません。
それは医療や福祉の問題です。
どうしようもなく正しい理由で誰からも好かれない人でも救いの手が差し伸べられるのが、社会という巨大なコミュニティにおける医療や福祉の働きです。
なので、小さなコミュニティで運営はその他多数の参加者に度を越えた傾聴や配慮を強いてはいけません。
それは何の解決にもなりません。
中途半端な対応は誰にとっても望まない結果につながります。

ただ、発言や行動がどこまで行ったらアウトなのかを判断することは、誰にとっても実に難しい問題です。
配信者のモデレーターみたいに AI や外部に委託して、排除する機構をコミュニティの外に置くとかもあまり現実的じゃないですよね。
コミュニティを続けるには多数の節度を守れる人達のために、どうしても一部の人達を排除することが必要です。
これは仕方がないことです。
強さの無い優しさは誰も幸せにできません。


恋人や家族語りは本人以外求めていない

基本的に、すみっこのコミュニティに来る人は全体的に孤独な人が多いです。
そうでなくても趣味について話したい、一人で参加したいという人が多いです。
そんなコミュニティの中で、「恋人が~」「家族が~」と高頻度で発言する人がいますが、どういう意図なのか未だによくわからないです。
自分のSNSで発信してくれとしか言いようがないです。
コミュニティの外部の人の話をされても本当に反応に困ります。
人ってそんなに他人の知り合いのことに興味ありません。
本人以外は誰も得してないです。(本人も得してるんですかね。)

こういうことを言うと、孤独な人間が僻んでるだとか言われるかもしれませんが、みんな言わないだけで困惑しています。
事実、そういった恋人や家族についての発言や愚痴に対して、教えてあげたがりな人や親切な人がついアドバイスをしてしまい、そのことに突然不快感をあらわにして口論になりトラブルが起きたことが何度もあります。
これはアドバイスをした人の行動も良くないですが、そもそも何のリターンもないコミュニティで赤の他人に共感ボランティアをさせないでください。
「へー大変なんですね」としか言いようがないですし、そういうコミュニケーションにおける正解を求めているのなら本当に困ります。
人間はいいね!を返すためだけに存在しているボットではないからです。
そういうことはもっと余裕のある相手か、お金を払って利用できるサービスでやってください。
適切な場所なら問題がない行動でも、すみっこのコミュニティには共感ボランティアできるだけの余力や能力が備わってないのでトラブルの元です。
排除までする必要があるとは思いませんが、こういう人が増えるとコミュニティの自然消滅に近づくので何らかの牽制が必要な気がします。


運営は共感性がなくてズレているぐらいが続く?

これまでに何回か趣味のコミュニティやカフェなどに参加してきました。
その中で、なぜか運営が「独自の理論やルールを主張して共感性があまりなくズレている」ようなコミュニティはそこそこ続いているような気がしました。
具体的には言いませんが、そういうコミュニティやカフェは Google マップなどで具体的な口コミレビュー付きで批判されていることが多いです。
もし運営が何らかの当事者であったとしても、客観性や他者性をある程度持っていない場合、そこへ参加した人は大きな傷を負うことになるかもしれません。
レビューの平均点数が高くても、低評価の口コミに本質が表れていることがあります。
そのレビューが「そう」なのか「そうでない」のかを見分けることが、人間にとって大事な能力なのだと痛感します。
しかし、そこへ行くような人ほど、この能力が不十分だったりします。
そのためか、客観的な視点を持つ人ほどすぐに見切りをつけて離れ、後には判別の能力が不足している人が残り、結果的に運営にとって都合のいい方向に強化されたコミュニティが作り上げられていきます。
このように、運営があまり共感性がなくズレているようなコミュニティには、ある意味でコミュニティ存続における敵を排除する機能が備わっているために存続できるのかもしれません。


参加の敷居を上げることでトラブルは防げる?

匿名性の高いコミュニティはうまく存続していない気がします。
実社会とオンラインの悪い所どりのような感じで、中途半端にすぐ口論になるし、トラブルを止めることも難しい印象です。

これはオフラインのコミュニティだと少しましになる気がします。
例えばWebサイトやこくちーずなどのサービス経由での申し込みだと、個人情報を入力する必要があり、そこで参加の可否を運営が決定することができます。
これは参加の敷居を上げることで、トラブルの防止に一役買っている仕組みです。
ただ、あまりやりすぎると「君はそういう人じゃないよね?」のフィルターが強く働きすぎて、ゆるいつながりのコミュニティからはかけ離れてしまいます。
私もそういった集まりは少し行きづらさを感じてしまうので、もう少し敷居を下げたいところです。


おわりに 「結局のところすみっこのコミュニティでも…」

結局のところ社会のすみっこのゆるいコミュニティでも、それを脅かす人を排除しないとうまくいかないのではないかと思ってしまっているというお話でした。
これもある種の「君はそういう人じゃないよね?」のフィルターであり、どこの集まりでもそういったことをしないといけないのかと、悲しい気持ちになります。
それでも、諦められないんですよね。
今日はダメでも…いつの日か…って。(ハンジ)

他人とのつながりを何より欲しているのに自分のことだけで精一杯な人ほど、他人とつながれる機会を自ら無下にしていく様をこれまで何度も見てきました。
いつものごとく人間って孤独だなと思う次第です。


(おまけ)
社会のすみっこコミュニティで孤独になる作品
それでもあなたは赦せますか?


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