経験者が考える場面緘黙症アレコレ③話せない理由。「他人が怖い」の裏に潜む、「他人と対峙した時に自分を見失う」ことの恐怖について


「場面緘黙症は緊張が強いから話せない」という言葉を聞くと、一般の人は、自分に取って苦手な上司や、目上の人と会った時の緊張感などを思い出すかも知れない。

だが、元場面緘黙症(&薄ASD)の私に取っては、目上の人などへの緊張感と、クラスメイト、身近な友人などと会った時に感じる緊張感や違和感などは、別物という感じがする。

緊張を強く感じる性質、というより、大勢の人の前でのスピーチや、偉い人に会った時の緊張感などと、そもそもの質が異なる。

場面緘黙症を発症した当時のこと。

私は、年少で幼稚園に入園したと同時に(もしくは記憶にないけれどそれ以前に)おそらく場面緘黙症を発症したのだが、その時にどう感じていたかを文章にするのは、中々難しい。

一言で言ってしまうと「固まった」なんだけれど、他人をどう見ていたか?というところなどを細かく見ていくと、自分の中でも少しずつ形になって来ている気がする。

まず、幼児期の自分も直感的に分かっていたのは、「周りの子たちと自分は違う種類だの生き物だ」ということ。(もちろん、「なんかちがう」ぐらいしか感じていないけれど)

そして、それはとても怖いもので、その怖さの正体は、「他人」ではなく、「自分が分からない」「自分が消える」という感覚。

この頃は、「他人」を「人間」と認識することは出来ており、他人の視線にも勿論気づいてはいたが、自分がそこにどう交れば良いか分からないし、集団に飲み込まれるような恐怖感を感じていたように思う。

「あなた」と「わたし」ではなく、「あなた」と「あなたを見ている何か」という感じ。

相手に興味を抱き、自ら関わろうとするするためには、相手との共通点や、繋がるための「とっかかり」を見つけなければいけないが、私にはそれが全く見えなかった。


もし今、目の前に得体の知れない宇宙人かなにかが現れたとする。
おそらく、多数の人は恐怖を感じるだろう。その宇宙人が自分のことを見、近づいてきたらますます恐ろしく、身動き出来なくなるかも知れない。

自分との共通点や興味がないものは、受け入れるのに時間がかかる。身振り手振りを観察することで、その宇宙人が好意的で自分に危害を加えるわけではない、ということが分かったとしたら、そこで初めて相手と関わってみたいという興味が芽生え、自分からもアクションを起こすかも知れない。

私は、幼稚園で周りの子供たちをじっと「見て」はいた。会話を聞き、仕草や外見などを観察していた。
が、「怖い」という意識しか持てなかった。
何か語りかけられると硬直した。

そこに、自分との共通点を見つけられず、語るべき言葉が思いつかなかったから。

家族が横に来ると、そこには「わたし」という人間が帰ってきた。

慣れ親しんだ家族といる場では、私の身体は自由に動き、思ったことを話すことが出来た。それは、それまでの生活で、相手の挙動を予測できていたし、母親には異常なまでの執着があったから。(母がいないと生きていけないという思いは、10代後半まで待ち続けていた)


宇宙人という例を出したけれど、幼稚園では周りの子供たちはそれぞれ話しかけ、日が経つに連れてワイワイ楽しく遊んでいるので、自分のほうが「異質」だという意識が強くなった。

自分の姿かたちを頭でイメージすることは出来ていたが、声を出せず、動けず、無表情な自分を一日中感じていることは、苦痛以外の何物でもなかった。

年齢とともに、「自分」への意識は変わっていくものの、自分に取っては、他人への恐怖感は幼児期が一番激しかったと感じる。

小学校1年という年齢で声を出したのは、その辺りから他者と関わりたい欲が芽生えていたからかも知れない。(その後も失敗を繰り返すのだが…)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?