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べネシアフレニア感想『観光客に罪を問えるか?』

※ネタバレ注意※

1.まえがき 

 まず、この記事はスマホで書いているので、多少の誤字脱字や、散らかった文章の意味などは、ある程度許してほしい。

 “べネシアフレニア“を知ったのは、今より少し前の事だ。その時は「なんか格好良いキャラが出てくるホラー映画だなぁ」としか思わなかったが、いざ鑑賞してみると、その深いテーマ性に驚いた。

 鑑賞後にスマホを取り出し、この記事を書いているので、何から書くか、何を書こうというのは決めていない。それでも読むという方は、どうかお付き合い頂きたい。

2.見た目はホラー、中身は複雑

 もしもあなたが、この映画を“ハロウィン“や“13日の金曜日“と同じ様に、“金髪の美麗な白人俳優が殺人鬼から逃げ回る映画“だと考えているのなら、それは少し違う。

 エンタメとしてそういった側面があるのは確かだが、この映画のキモはテーマ性にある、と個人的には思う。「何文化人気取ってんだこのオタク野郎」と蔑まれるかもしれないが、読み取れたのだから仕方がない。だから、少し語りたい。

 尖ったビジュアルの殺人鬼からの逃避行……の裏にあるのは、イタリアの抱える「オーバーツーリズム」の問題だ。

 物凄く単純化して表現するのなら、街を訪れる大量の観光客に、元来根付く文化などが破壊される、みたいな感じ。

 おそらく、まぁ、この記事を読むのは日本のユーザーなので例えに出すが、日本の京都もこれに近しいというよりそのものの問題を抱えているのだ。

 本来、市民に向けて提供されるはずのバスは観光客がすし詰めになり、文化的に重要な場所は奇天烈な格好をした人間が、スマホのカメラ越しにそれを見ている。

 これに憤慨した町の住民が観光客を追い出そうとする、というのがこの映画の概要である。と、自分は読み取った。

3.観光の光と闇

 さて、そうはいっても、観光客を追い出すことなどできない。例え市民がやろうとしても国が死にもの狂いで止めるだろう。

 理由は簡単で、観光というのはカネになるから。今日では、街どころか国の経済を回すのに観光というのは、今や切り離せない必要不可欠なもの、として考えられている。

 では、そんな考えが蔓延する世界で、“観光客“を“文化を汚染する生物“として、罪に問えるのか? ということが、問題になる。

 観光は金を産む。観光は産業を活性化させる。観光は問題を生む。観光は文化財を“消費“する。

 行政としては、金のなる木を手放すわけにもいかない。だが、そこに住む住民にとっては、それは面白くないことだろうし、反発したくもなるだろう。

 この映画に隠れるテーマ性は、そんな市民達の葛藤を映し出しているかのようだ。当たり前だが、詳しくは映画を見てほしい。

4.感想

 頭の中の思考を言語化し終わったところで、この映画の感想を書こうと思う。とはいえ、文章力も表現力も無い自分の感想など、誰が読むのかとはなるが。

 早速だが、ホラー映画として、かなり好きだ。ゴア表現がガッツリあるから、というのも勿論ある。例えば、人間の首が飛ぶ。だが、それだけじゃない。

 何というか、この映画に対する感想は、言葉にしづらいのだが、要は、全編に渡って映画に漂う雰囲気が気に入っている、のかもしれない。

 “主人公達が、得体の知れない何かに襲われている“という、パニック映画に近い雰囲気と、これでもかと差し込まれる暴力表現、そしてピエロのデザイン。

 何をとっても、私としては、ホラー映画として“べネシアフレニア“に高い評価を下したいのだ。

 テーマ性については、先程散々述べたとおり。

5.総評

 素晴らしいホラー映画だった。完璧なエンタメ性を持ちながら、ストーリーの根底には、少し重苦しいテーマがある。だが、それでいて、ホラーは疎かになっていない。

 少なくとも自分は、この映画に時間を使って後悔はしていない。

 ので、まぁ。鑑賞してみてはいかがだろうか。

 ただ、グロテスクな表現と、光の明滅が苦手な人間だけは、気を付けて鑑賞してほしい。目がショボショボした。



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