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昨年までとこれからと


10年ほど前から
違和感があるものを少しずつ手放して
もうほとんど手放せたかなぁ


そう思っても
まだまだ手放せていないものが出てきて
昨年はとことん自分と向き合いました


noteのおかげが大きかったです


素敵なみなさんから
たくさんの気づきをいただいて
シンプルな思考になれた気がします


そうなると手放すことが明確になる
自分で気づかないふりをして
蓋をしてきたこと、思い込んできたことに


「ん?あれ?おかしくない?」
ってことがたくさん出てきて


本当は行きたくないのに。。
本当はもう会いたくないのに。。
本当はもう付き合いたくないのに。。


でも、断るのも悪いし
でも、いまさら縁は切れないし
でも、波風立てるのも。。


そうやって
心と行動を一致させてこなかったことが
まだまだあることに気づきました
(ほとんど人間関係だったな)

心と行動が一致できない最大の理由は

「嫌われる勇気」がない


そもそも大切にしてくれない人たちに
好かれる必要ある? と自分に問うてみる


誰からも嫌われたくない気持ちは
想像以上に自分の中にあって

そもそも、どうして
そんなに嫌われるのが怖いんだろう。。


自分と向き合っていくと
小さい頃の記憶が蘇る

まだ私が小さかった頃
隣に住む父方の祖父母の家に
毎晩「おやすみなさい」を言いに行くのですが


父方の祖父はいつも
ふたり妹たちの名前を呼んで(私は三姉妹の長女)
自分の右と左の膝の上にそれぞれ妹たちを座らせて
しばらく楽しそうにテレビを見るのが毎日のことで


そのとき私は祖父と妹たちの姿を
背後からひとりポツンと立って見ている


妹たちと年齢はそれぞれ2歳違いだから
まだ幼稚園だった私はとてもさみしくて
私は愛されない存在なのかな。。
小さいながらもそう思うようになって


それが何年も続いたけれど
祖父は私の名前を呼ぶことはなかったな


父と祖母は激しいモラハラ気質で
母はいつ怒られるかと心ここにあらずだったから
私がさみしい思いをしていることにも
気づく余裕もなかったから。。


私はどこかで
自分は存在する価値がないんじゃないかと
そんな中で「この家族関係でも愛されるには」


小さいながらも自分なりに
考えるようになっていったのかもしれません


相手を喜ばせるように動けばきっと愛される
そのために大人の顔色をみながら行動する
それが自分の中での当たり前になっていって


小さい頃からの癖や思い込みって
想像以上に根が深いのかもしれません
そのことにも気づけていなかったり


大人になってから
生きづらさの原因を探っていくと
小さい頃の影響が大きかったのかも


ひとつひとつ向き合っていくと
「もう手放していいんだよ」と
小さい頃の自分に言ってた気がする
ポツンとさみしく立っていた小さなわたしに


すると重たかった鎧が脱げたようで
心はとても軽くクリアになっていく感覚
誰からも嫌われたくない気持ちは
すーっと消えていった気がします


昨年までが
心を整えるだったとしたら

今年からは
心を行動に移すように思う


ずっとぼんやり思っていたことが
少しずつカタチになりつつあるかな


いろいろ手放して空いたスペースに
必要なパズルが少しずつ集まる感じ


無理せずに自分のペースで
人生最後の日に後悔しないためにも
できることを行動に移していきたいな


そんなことを思うこの1月です
そろそろミモザの季節ですね!


ミモザ、お花屋さんで買うと結構なお値段なので

それだったらと
昨年、庭に植えたのですが

茎だけグングン伸びて
花が咲く気配はまったくない・笑
ほんまに咲くんかな〜?

こちらはお花屋さんのミモザです
春はもうすぐ

Merci 💛💛

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