お母さんは危ういものだから
産後ケアの施設にいる。出産を報告した人たちは、次々にお祝いをくれる。優しく賢い人たちは、暗に陽に、これからの育児についてアドバイスをくれる。
親による子殺しは、母親によるものが圧倒的に多いこと。閉鎖的な家庭では虐待が起きやすいこと。母親と子どもがベッタリだと、父親が除け者になり、結果的に家庭の崩壊につながりやすいこと。
時に「子どもより夫が大事」と考えたほうがいいこと。それが世間の常識に反するように見えても。
みたいなことをあからさまに言うわけではないけれど、「だから産後ケア施設に入ったのはいい選択だった」と褒め言葉につなげつつ、やんわり「そういう統計もあるから気を付けよう」「なにかあったら人を頼るんですよ」と伝えてくる。
切羽詰まった──とりわけ母親は──子どもを痛めつけてしまうものだから、あなたも気をつけるのよ。子どもを見る人間は多いほうがいい、そうすれば子どもや親に異常があったとき、発見が早くなるから……。
そうですね。たとえ異常がなかったにしても、家庭の風通しはいいほうがいい。時には誰かがふらっと訪れて、家族だけの密室を換気してくれるといい。
これらのアドバイスを受けて──ってわけでもないけど、産後初めて、父が生まれた人を見に来ることになった。
「行って何がしてやれるわけでもないけどな、俺だってオムツくらいは替えてやれるぞ」
と言ってくれてるから、育児の負担がほんのちょっと減るかもしれない。そうでなくても、赤ちゃんは初対面のじーちゃんの顔が新鮮だろう。
新生児を、あぐらをかいた両脚の中に据えていると、なんだか幸せな気持ちになる。赤ちゃんは、体温があって温かくて、ときどきしゃっくりをする。
ずっと前に報道写真で、飢えてガリガリの女の子がハゲワシに狙われているものがあった。初めて見たときは中学生くらいだったか。当時はなんだか「ふーん」という気持ちで見ていた。
いま思えば、それは心痛む光景だとわかる。心痛む、と言っても「ふーん」が「辛いだろうな」になっただけで、相変わらず他人事ではある。それでも、それがどんな光景なのかは、赤ちゃんを産んで少しわかるようになった。
件の写真を撮ったカメラマンは、ピュリツァー賞を取ったあと自殺した。「撮ってる暇があるなら、どうしてその女の子を助けてやらなかった?」そんな世間の声が耐えられなかったらしい。
なんでいま、この話を思い出すんだろう。
いずれにせよ、子育てを助けてくれる人は多いほうがいい。見ているだけじゃなくて、実際に手助けをしてくれる人。そうして母親である自分は、他人に頼ることを覚えたほうがいい。
「他人にプライベートに踏み込まれたくない」とか言わないで、他力本願でいい。すべてを自分で背負おうとしたら、統計の中の母親たちのようになるかもしれない。閉鎖的な家庭で歪んでいく母親たち。
産後ケアの宿泊施設では、助産師さんたちが口を揃えて言う。
「辛いときは、私たちを頼って」
「ママがつぶれちゃうと、元も子もないからね」
お言葉に甘えて、施設にいるあいだは赤ちゃんを預け、自分は部屋で休む。授乳になったら呼んでもらう。泣いて手に負えないときは、また預かってもらう。調子のいいときは、二人で部屋で寝たり、なんとなく横にいたりする。
家に帰れば、また助産師さんのいない暮らしにはなるけれど、甘えられるときは甘えたほうがいい。たまに「赤ちゃんはお母さんに抱っこされるのが一番。育児を人に預けると、その子は愛情が足りなくなる!」って人もいるけど、そうですか。1日中抱っこしていられる母じゃなくてごめんな。強く生きてくれ赤ちゃん、わたしは部屋で休む。
でね、離れたところで休んでいる人間は、虐待も殺人もしないんだ。だから安心して寝ていて。
本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。