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新生活。 無理はしてしまうものだから

産後ケアの施設でこれを書いている。

「産後リゾート」みたいなおしゃれなホテルではなく、建物は木造で古い。それでも掃除は行き届いており清潔で、何より人とご飯が優しい。旦那さんが、ここ1週間は仕事に集中したいと言うので、乳幼児を連れて連泊することになった。

助産師さんに「赤ちゃんお預かりしますね」と言われて、整えられた部屋に一人になる。少し楽な気持ちになる。楽になるってことは、いままでが張り詰めていたということで。

ああ、疲れてたのか自分。家にいて、赤ちゃんとずっと一緒の生活に。
そんなことにようやく気づいて、こういうことってあるよなあ、と肩を回した。

家でも睡眠は取れていた。体は産後のダメージから回復しつつある。だから大丈夫だと思っていた。大丈夫疲れてない、旦那さんが家事の多くを担っているし、そんな自分は恵まれているほうだ。

でもゆっくりと疲弊していた。育児なんて初めてのことで、沐浴も授乳も試行錯誤の日々で。精神的な負荷がないわけないんだ。と、いまさら気づく。睡眠が取れてるからいいとか、そういう話じゃなかったらしい。

新生活っていつもこんな感じだ。働き始めで気張っていたら、調子を崩して救急車で運ばれたり。新しい部署で張り切って働いていたら、無理がたたってコロナにかかったり。

いつも自分では大丈夫な気でいる。そうじゃないから、体のほうが先にエラーを訴える。

4月から新学期で新生活で、自分と似たような境遇のひともいそうだ。春の陽気はスタートを切るには幸先がよくて、つい頑張りがちだけど、同時に疲れもたまる。知らないうちに。

初めてのことはなんだって慣れない。慣れないことはストレスがたまるものだから、まずは疲れを自覚していこう。これは、過去と今の自分への呼びかけ。自覚のないものは対処することもできない。

産後ケアのため入った部屋は、広くて日光がほどよく入る、いいお部屋だった。短期滞在のための場所だから、余計なものは置いてない。その簡素な感じがいい。物で溢れかえっている、自分の部屋とは大違いだ。

こういう部屋に住めたらいいな、と思う。こんなことを考えたのは久しぶりだな、とも思う。疲れているときは、自分が何をしたくて何を望んでいるか、わからなくなるんだよな。そんなこと考えてるヒマあったら、目の前のことをなんとかしなきゃ!って思ってる。

それは疲れ始めなのであって、なんならもう結構、疲弊しているかもしれない。やりたいことや好きなことに、思いをめぐらせる余裕がなくなる。

できることなら、一旦日常を離れられるといい。ホテル代わりの施設にひきこもるみたいに。それができなくても、本当にダメになれば救急車が運んでくれるが、それは避けたいところだ。

日常的な「あれがしたい」「これがしたい」「これはやりたくない」という気持ちを大切にしていくこと。こういうのを地道にしていくと、心身ともにゆっくり回復する。経験則で知ってる。だからやる。

家にいるとき、本当は旦那さんの作る下手な食事(ごめん)は食べたくなかった。そんなこと言い出すのも申し訳ないので、罪悪感から黙って食べるのも気持ちが重かった。広い清潔な部屋で、ようやくそんなことに気づく。

旦那さん、家事をやってくれてありがとう。でも帰宅したら、炊事は私がやるよ。あと、今すぐでなくても将来、もっと広くてきれいな家に住もう。いまの社宅も悪くはないけど。

なんて、少し遠い将来の希望を語れるようになったら、ちょっとは回復したということ。

とりあえず家に帰ったら、どうにかして部屋を片付けたい。着ない服や下着を捨てて、部屋の空気を軽くしたい。それくらいの「したい」から、ゆるゆると始めていければ、本格的にダウンする前に少しは元気になれるだろう。

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新生活をたのしく

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。