ひとつの小さな挑戦~翻訳してみる~

しばらく前からポール・オースターが好きで、今も読んでいる。ユダヤ系アメリカ人作家、彼に会った吉本ばなな氏いわく「ナイスガイ」なのだそうだ。そんな彼の作品を主に翻訳しているのが、東京大学教授の柴田元幸氏である。『生半可な學者』というエッセイ集で、講談社エッセイ賞を受賞している人だ。この作品は未読だけれど、他で読んだ柴田氏のエッセイは、いい意味で脱力していて軽やかで、読みやすい文章だった。

オースター作品の柴田訳に文句があるわけではない。彼の翻訳に惹かれたからこそ、原書を見てみたいと思って、いくつかは英語で読んでいる。中でも『孤独の発明(The Invention of Solitude)』に収録された「見えない人間の肖像(Portrait of an Invisible Man)」が気に入っているので、今回は、その冒頭を試しに自分で訳してみた。その結果が以下である。

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「透明人間のポートレート」

真理を探究する時は、思いもよらないことに備えよ。真理は見つけ難く、見つけたとしてもお前を当惑させるからだ。
──ヘラクレイトス

ある日、そこに人生がある。例えば一人の男がいて、非常に健康であり、老いてもおらず、病気をした過去もない。すべてがあったようにあり、いつもと同じように続いていく。彼はある一日から次の日へと進んでいき、彼の仕事を気にかけながら、自分の前に広がる人生をただ夢見ている。そしてある時、突然、死が訪れる。男は小さな溜息を残し、椅子の内でくずおれる。それが死だ。その性急さは思考の余地がない。精神に、それを慰める言葉を探すチャンスも与えない。私たちには死しか残されていない。死ぬ運命にある私たちにとっての、どうしようもない事実。

Paul Auster, The Invention of Solitude, Penguin, 1988(訳:メルシーベビー、2019.4.13)
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"Portrait of an Invisible Man" を「透明人間のポートレート」にした。
「見えない人間の肖像」だと、「見えない」が「人間」にかかるのか「肖像」にかかるのか、最初見たときピンとこなかったのだ。冒頭のヘラクレイトスの言葉は、ギリシャ語原文を探したけれど、まだ見つからない。どこからの引用なんだろう。

語学が少しでも好きだったり得意だったりする人は、自分での翻訳を積極的にやってみたらいいと思う。原文と翻訳の差を楽しむだけでなく、語学の勉強にもなるし、既成の翻訳の訳者が何を考えているのか、なんとなくわかったりして面白いのだ。

ちなみに柴田氏の訳はこちら。

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「見えない人間の肖像」

真理を探し求めるにあたっては、予期せぬものに出会うことを予期せよ。真理は見出しがたく、見出されたときには人を途方に暮れさせるものだからだ。
──ヘラクレイトス

ある日そこにひとつの生命がある。たとえばひとりの男がいて、男は健康そのものだ。年老いてもいないし、これといって病気の経験もない。すべてはいままでのままであり、これからもこのままであるように思える。男は一日また一日と歩みを進め、一つひとつ自分の務めを果たし、目の前に控えた人生のことだけを夢見ている。そしてそれから、突然、死が訪れる。ひとりの人間がふっと小さなため息をもらし、椅子に座ったまま崩れ落ちる。それが死だ。あまりの唐突さに、思考が入り込む余地もなければ、慰めの言葉を探す余裕もない。我々に残されるのは死だけであり、我々自身もいつかは死ぬのだという厳然たる事実だけだ。

ポール・オースター『孤独の発明』柴田元幸訳、新潮文庫、新潮社、平成27年、p.9

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比べると、自分の訳のほうが直訳調なのがわかる。こなれた日本語にするって大変なことで、教養が必要なことなのだよなあ……。柴田氏は、安易なカタカナを使わず、ほとんどの単語を忠実に日本語に移し替えている。自然とそうなるのか、意識しておられるのか知らないが、日本語が堪能であることは、漢語の教養があることが同じである。レベルが高い。

生意気にも自分の訳を載せるのは気が引けるけれど、ひとつの小さな挑戦の記録として投稿する。読んでくださった方、ありがとうございました。

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本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。