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ジェンダーフリーと小さな家族史

曾祖父の名前をタケジと言う。漢字で書くと「竹治」。明治の男だ。

「明治時代」と言えば、それだけですごく遠い世界のように思う。歴史で言えば「文明開化」とか「明治維新」とか、あのあたりの話。当時の日本の家庭がどんなだったか、私はよく知らない。知るはずがない。生まれるずっと前の話だ。

「昔の日本は、女性は夫を三つ指ついて出迎えるのが当たり前だったでしょう?家事はすべて女の仕事で、ねえ?」
以前、年配の女性にそう同意を求められたことがある。それはどうだろう。実情を少しでも知ろうと家族に聞いたところ、少なくとも「米を炊く」という家事に関して言えば、タケジの仕事だったと言う。曾祖父は、台所仕事をする人だったのだ。

妻である曾祖母の名前は「ヒデ」、漢字で一文字「秀」である。明治の女にしては珍しい漢字の名前を誇っていた彼女は、果たして三つ指ついて夫を出迎えたのだろうか。着物を普段着とし、裁縫を得意とした曾祖母。残っている白黒の写真を見る限り、気の強い女性だったんじゃないかと思う。この人が夫の前に正座し手をついて、出迎えることなどあったのだろうか。

時代を下って祖父母の代になると、家事は完全に2人のものだったらしい。祖父は昔も今も、皿洗いや買い物をこなし、家計の管理を請け負う。やらないことと言えば料理くらいだ。それでもいざとなったらカップラーメンくらいは作る。祖母とは共働きだったので、こちらも三つ指ついて出迎えたりはしていない。

母に尋ねると「誰もそんなことしてなかったね。ヒデばあちゃんは忙しい人で、縫物の仕事を受注してた。それでいつも両手がふさがっていて、じいちゃんを出迎える余裕なんてなかった」とのことで、少なくとも三代さかのぼっても「すべての家事をこなし、両手をついて夫を出迎える」女性は見当たらない。というより、ほとんど全員がなんらかの仕事を持っていた。

いま、森元首相(首相だった時代を実はよく知らない。自分にとっては、オリンピックで浅田真央選手を揶揄した人)の発言が波紋を広げている。それに便乗して「男が悪い、おじさんが悪い、日本が悪い」と言う人たちもいる。私は、米を炊いている曾祖父を想像してみる。お釜で米を炊く時代だ。筒で火に息を吹き込むために、釜の前でしゃがんでいる。その人は間違いなく「日本のおじさん」だ。

私は、人と人が幸せに生きていくことについて考える。縫物の仕事で家計を支えた曾祖母について考える。考えて何が出てくるわけでもない。だけど考えずにはいられない。昔の女性が抑圧されてばかりだったのか、男性は抑圧してばかりだったのか、昔に学べることは何もないと片付けていいのか。ある属性を指さして「悪い」と叫ぶ前に、自分にできることはないか。そんなことを、ずっと。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。