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大人の階段を登る途中

前回の続き

中学生になる頃、母が帰ってきた話。

当然、私は受けれる事はできず

母は、一言 帰ってきてあげたのに

なんなのその態度と言い放った。

そして、人が急に変わったように

泣いてごめんね、ごめんねっと言った。

この状況に、涙すら出なくなったのはこの頃からかも。

現在も、余程の事がない限り 涙を流す事はない。

謝ってきた母に、寄り添う気持ちは、若干あったものの

父がいない3人家族になり状況は、更に悪化していく。

母は、夕方から厚化粧をして仕事に行くと言い

朝方帰宅する毎日。 そう、水商売だ。

金銭面で行ってたのかもしれないけど、何か違う予感をしていた。

そして、毎日毎日 母はイライラし暴言、暴力が私に向けられた。

離婚が成立してない上に、生活費とかも父が渡してなかったのでは

ないかと、大人になって気がつく。

昔は、虐待なんて言葉なかった。あったかもしれないけど

私の記憶にはない。正直、父と上手くいかなくなってから

今で言う虐待は、数年間されていた。

アルコールを飲んだ日は、特に恐ろしい事が起きる。

母は、酒乱だ。

毎日、毎日 眞露と言うボトルを

数本開けていた。些細な事で怒りのスイッチが

入り、眞露のボトルを振り回し 身体をそれで

叩いてくる。眞露のボトルって、物凄く 痛いの。

骨折とかはなかったけど、身体中、あざだらけだった。

誰にも相談できなかったから、耐えるしかなかった。

眞露のボトルが割れた時の処理は、当然 私。

その割れた先で、お前なんか死ねって 何度言われたか。

親ってなんなんだろって何度も思った。

お前なんか、産まなきゃよかったと言う言葉も

何度も言われた。 

現在は、色んな本に子供に言ってはいけない言葉として

よく見かけるが、言われ続けた私には

もっと早く

母が気がつく言葉で伝えて欲しかったと思う。

そんな事がありながらも中学生生活は、なんとか

やってこれた。

それを支えてくれていたのは、友達だ。

4人のグループだったが、当時から理解してくれてた。

今も、子を持つ親として3人との交流も続いている。

それを、よく思ってない母は 学校から帰宅すると

意味もなく、暴力をふるい お前が悪いと言い

1時間以上それが続く。 そして、夜

仕事へ出かける前に、家の事全部やっとけよ!と

出かける。夜は、本当に休める時だった。

中学時代は、とにかく いじめにあった。

理由は、小学校の頃から 鍵っ子だった事と

親が若いと言う事。

親と21歳離れている。

その頃の世間は、若い親=デキ婚 恥ずかしい

みっともない そんな子供だからと言ういじめ。

それは、それは もう 今考えたら

自殺してもおかしくないレベル。かわいいレベルでは

なかったよ。 自分がどう回避してきたのかも

分からないレベル。学校に居場所がなかった。

机?ないよ。教科書?ゴミ箱にあるよ

上履き、外履・・・あれ?ないみたいな。

ドラマみたいな事が、普通にあった。

家でも、居場所なくて 学校でも居場所なくて

昼休みとか、業間休みとか 本当苦痛でしかなかった。

何かのイベントでの決め事には、えっ!みたいな顔されてさぁ。

私が、何かしたのなら 謝る事もできるけど

相手から一方的にされる しかも団体でね。

1人だとしてこないんだよ。団体になると

なんでもありみたいな。

先生に言っても、聞いてもらえなかった

あなたが悪いと。

何が悪いのか本当に分からなかったし

友達も、普通の事してるだけでなんで

こんなことになるのかと言ってた。

そんな中学校での生活も記憶障害なのか?

記憶がほとんどない。

自分がやられた事は、覚えてる。

誰が、やったのかとかね。

そんな記憶、いらない。

そのせいで、今後も色々な壁が私を襲う

次回に続く。






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