わたしの仕事でいちばん多いのは英語教材である。学校や予備校専門で用いられる参考書、問題集、模試に加えて、書店で一般向けに売っているものもある。
 教材作成の仕事のなかに翻訳もある。英文の日本語訳例を作る仕事だ。
 翻訳というと、一般的には出版翻訳を考えるだろう。書店に行くと翻訳書の棚にずらっと本が並んでいる。あれが出版翻訳書であり、訳者は出版翻訳者などと呼ばれる。英語力、日本語表現力、教養のすべてで高レベルが要求される分野である。
 ほかにも翻訳の仕事はあり、市場が大きいのは産業(実務)翻訳である。特許の各種書類や契約書、報告書といえばイメージが湧くだろう。この分野は専門知識が勝負(と、言われている)。
 さて、教材翻訳の話である。初めてこのジャンルの話をいただいたのは8年ほど前になる。何千という英語の短文があり、それに訳をつけたり、ほかの人が訳した文をチェックしたりという仕事だった。
 教材というからには、英単語ひとつひとつの意味が訳に反映されていないといけないのは、指示がなくてもわかる。だが、わたしが自分の訳でも、ほかの人の訳を直すうえでももっとも多く言われた台詞が「品詞を合わせて」だった。「英語と日本語で品詞が合ってないから合わせて」。つまり、形容詞は形容詞、副詞は副詞、動詞は動詞に訳すということだ。
 教材を使うのは高校生や中学生。彼らは、例文と訳をセットで見る。このとき知らない単語があれば、単語の意味も例文で覚える。そのためには、英単語と日本語の訳の品詞が同じであるのが望ましい。
 だがこれが意外と厳しい。
 教材翻訳の原文は、英語のネイティブライターが書いたきっちりした英文である。産業翻訳によくある「原文の質がいまひとつで、文法もめちゃめちゃ。何が言いたいのかよくわからないので推測で意味を取った」ということはない。また出版翻訳のように「著者の意向で延々と長かったり癖があったり、独特の描写が続き、それに意識を合わせて読解するのがたいへん」ということもない。教材翻訳は、英文読解としては簡単なのである。
 だが、教材には教材の大変さがある。暗黙の了解なのだろう、教材プロパーの人はだれでも「品詞合わせ」の訳文を無意識に作っている。が、翻訳者としてやってきた人が教材翻訳をすると、そういう訳文にはなっていない。これはこれで、ひとつの訓練が必要なのだと思う。
 それから8年が経ち、さまざまな教材で訓練してきたわたしは、今だからこそ、このことがわかる。そして、「品詞対応」の訳文を作ることもできるようになった。しかしいちばん多いのは、ほかの(品詞対応の原則を知らないか、知っていてもそのための訓練を受けていない)人たちの訳文に手を入れること。これが、わたしの主な仕事のひとつである。

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