「校正業界のよくないところ」として、X(旧ツイッター)上にこんなポストが上がっていた。

 つまり、自分の出した仕事が最終的にどうなったのかを確かめないで終えている人が多い。けれどもそれはよくない、ということだ。
 言うまでもなく当たり前。
 上記のポストにこんな返信をしている人もいた。

 そう、わたしもそうしている。紙のゲラを納品する場合には、それをスキャンしてとっておく。完成した本(見本紙)を送っていただいたら、手元のデータと突き合わせて検証する。そうでない場合は本を自分で買い求めて、pdfファイルと照合する。そうしなければ、自分のコメントがどのように処理されたのか知るすべがないではないか。
 たまに、初校が回ってきたゲラを再校で見られるときもある。ラッキーなケースだ。
 この場合は、自分が出した疑問に対し、編集者と著者がどう反応したかがわかる。著訳者によっては、資料を添えて「こうだからこう書いた」と返してくれる方もいる。あるいは、「そうなんですけど……(原著にそう書いてあるのでここはそのまま訳した)」ということもある。こういうのはとてもありがたい。
 なぜ自分の指摘が余計だったのかがわかったり、これを指摘したのは余計なことではなかったと安堵することもある。さらに、自分が見落としたことを編集者が書いていて「あっそうか。そういう観点でも見なければいけなかった」と反省することも。
 スキルというのは、フィードバックをもらって、それを繰り返して向上していく。そうしなければ成長はない。
 だから、初校だけ、あるいは再校だけを見る場合には、出来上がった本と照合して自分の納品データと照合することにしている。
 英語教材の場合は、本なら上記のようにすればよいのだが、模試や確認テストなどの場合は、なかなかフィードバックを見る機会がない。完成品を送ってほしいと編集者に頼むのも気が引ける。先方の忙しさが容易に想像できるのと、すぐわかる形で最終データが保存されているかどうかが不明なためである。
 従って、模試などを納品したら、間を置いて自分のデータをもう1回見ることにしている。そうすると「ああ、ここは余計な指摘だった」「これは指摘したほうがよかった」などと気づくことがある。
 完成品を見ることができない場合は、せめてこうしてセルフフィードバックをしている。文字通り、自分自身の生き残りをかけてやっている。それによって、次はもっとよいものを納品できると信じるしかないのである。そういえば、先月校正した本が発売になったので書店に買いにいかなければ。

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