メンヘラ継母に虐待されつつ執着という名の愛情たっぷりに育てられたバツ1シングルマザーの私が、さいたま小4男児死体遺棄事件の容疑者に思う。

初めてのnote投稿が、いきなりこんな重い内容になるなんて私も思ってませんでした。もっとライトなとこからスタートしたかったのですが、今じゃないといけない気がして。

最近、子どもの虐待死のニュース多いですね。直近では、さいたまの小学4年生の男の子の死体遺棄事件がありましたね。まだ容疑者の発言が二転三転していたり、罪が確定している訳ではないのであまり断言する訳にもいかないですが、おそらくこの義父が殺害したのでしょう。男児が虐待されていたかは不明ですが(一部報道では身体に痣などはなかったとは言われていましたが、痣がないからといって虐待されていないと限った訳ではないですからね)、ひも状のもので首を絞めるという手法は、どこかに殺意があったのではないかと感じてしまいます。幼い命を奪う行為、決して許されることではありません。ただ、容疑者が取り調べの際に言った「本当の親じゃないのにと言われ腹が立った」という言葉に思い当たる節があって、この記事を書くに至りました。

私は幼い頃に両親が離婚し、5歳の頃に父が再婚した家庭に引き取られました。父と義母はお見合い結婚でした。父は暴力的な人でしたが、私のことを溺愛していたので再婚相手の選定基準は「私をきちんと育ててくれそうな人」だったそうです。それもどうなのって感じですけど。父と義母は結婚し、新婚時代をゆっくり味わう間も無く私がそこに加わり3人家族となりました。もちろん、一緒に住む前に何度か顔合わせもしています。義母からその時の印象を聞くと、とにかく私は子どもらしくない子どもだったそうです。2歳頃から両家祖父母のみならず、多数の親戚の家をたらい回しにされて育ったためか、だいぶスレていたそうです。しかも5歳ともなるとしっかり自我も芽生えていますし、何より物心がついている訳ですから、目の前にいる「お母さん」と呼ばされている女性が本当の母親ではないことはしっかり理解しています。最初はものすごい違和感でした。どうして、お母さんでもない人を「お母さん」と呼ばないといけないのか。一緒に住んでいるけど、この人は私のお母さんじゃないと。そんな私の気持ちは、うっすらと義母に伝わっていたのではないかと思います。さらに父方の祖父母、親戚一同からの「きちんと育てろ」という圧力も凄まじかったようです。今になって考えればそんなことは口実で、嫁いびりの大義名分として私を利用していただけのような気がしますが。田舎とは往往にしてそういうものです。そんな中にあっても父が助けてくれることはなく。もともと責任感が強く悲観的な義母は次第にそのメンヘラぶりを加速させていきました。

結婚当初は、新たに子どもを作る予定にしていたそうですが、義母はとても身体が弱く、一度流産してから諦めたそうです。専業主婦で趣味といえば庭いじりくらいしかない義母の執着心は、一気に私に注がれました。おそらく、どれだけやっても誰からも認められない、そればかりか周りからは責められ、挙句私もいうことを聞かないというストレスも多分にあったのではないかと思います。義母はことあるごとに私を虐待するようになりました。

日常の小さな暴力はもちろん、目覚まし時計でくるぶしを殴られたり、掃除機で頭を殴られた時は血が吹き出しました。そろばんの角で殴られた時には、そろばんの枠が割れ玉が弾け飛んで、その日のそろばん教室を休まざるを得ませんでした。遊びに夢中で帰宅時間がほんの少し遅くなった時は、喉元に包丁を突きつけられたこともあります。

父や祖父に言おうものなら、倍以上になって返ってくるので、いつしか私は自分1人で抱え込むようになりました。小学1年生の精神にそれは少し重荷過ぎたようで、私は自家中毒を起こし毎食後嘔吐を繰り返していました。もちろん学校給食後もです。しかし、それすらも誰にも言えないのです。食後にこっそりトイレに行って吐いていました。トイレに間に合わず嘔吐してしまい、保健室に連れていかれた時など最悪です。吐いたことが義母にバレたらどうしようということばかり考えていました。

でも、虐待ばかりで地獄のような幼少期だったのかというと、そうでもないのです。

まず義母はとても料理がうまい。糖尿病の父の身体を考慮しつつ、バランス良くさらに父や私の好みの料理を作ってくれる。しかもそれがめちゃくちゃ美味しいのです。

そして、行事ごとをとても大切にする。誕生日はもちろん、ひな祭りや冬至、夏至、クリスマスなど季節の行事なども丁寧に祝ってくれました。

とても愛情深い一面もあります。幼少期にまともな環境で育っていない私は、虫歯だらけの口腔崩壊を起こしていました。さらに歯並びもガタガタ。女の子でこれはダメだと、きちんと歯科医院に通わせてくれ、歯列矯正までやらせてくれました。今から35年以上前です。まだ歯列矯正はそこまでメジャーではない時代で、我が家も決して裕福ではないにも関わらず、です。これは本当に感謝しています。また、当時歯列矯正の器具をつけた子はほとんどおらず、私はその珍しさから、クラスメイトにいじめられていました。そんな時義母は、担任の先生宛てに手紙を書いてくれたのだそうです。歯列矯正とはどういうものか、なぜやる必要があるのか、娘がどういう状況か、それを踏まえてクラスメイトに説明し、いじめをやめさせて欲しいと。これは、最近になって父が教えてくれて知りました。当時義母は37歳くらいだったと思うのですが、もし自分がその年齢だった時に同じ状況だったとして、果たしてそこまでの考えに至っただろうかと、そもそも自分が産んだわけではない子どもにそこまでの事をしてやれるだろうかと疑問に思うくらいです。

それは、自分が母親になり、子育ての大変さを身を持って実感した時に気付きました。

もちろん、しつけと称しての虐待や暴力はいけません。それによって子どもの命が失われてしまうことなど言語道断です。

しかし、子育てには不安やストレスが多くあるのも事実です。我が子であってもそんな状態なのに、人の子を育てるというのは本当に凄まじい覚悟がないとできないことだと思います。でも、その覚悟や責任感が行き過ぎた時に起きる虐待もあるのではないかとも思います。私の義母のように。

もしかしたら、さいたまの事件の容疑者もそんな1人だったのかもしれない。亡くなった男の子が生前「新しいお父さんは優しくていい人」と言っていたと報道で見ました。本当かどうかは分かりませんが。もしそれが本心からの言葉であれば、心が締め付けられるような思いです。容疑者は本当のお父さんに少しでも近づこうと努力をしていたのかもしれない。本当の家族になりたかったのかもしれない。供述が明らかになっていないので憶測でしかありませんが…。

容疑者である義父にはもっと力を抜いて欲しかった、もっと大人になって欲しかったと思います。きつい言い方かもしれませんが、本当の親子になんて一生なれないのですよ。血が繋がっていないのですから。最初から親子や家族になろうとしなくていいと私は思います。無理な関係構築は例え相手が子どもであっても軋轢を生じさせます。それは双方の精神衛生上良くないことです。かと言って放置もいけませんが。そのバランスは本当に難しいと思います。でも、時間をかければ本当の親子を超えた関係になれることもあるのです。私と義母…いえ、母のように。

私は今は、母に心から感謝をしています。感謝してもしきれないくらいです。母も血の繋がっていない孫をとても大切にしてくれます。

被害者である男の子にも、新しいお父さんとそんな未来を味わって欲しかったと思います。

心からご冥福をお祈りします。

そして今現在、血の繋がらない子どもを育てているお父さんお母さんが少しづつでも関係を構築して素敵な家族になれますように。

ここまでお読みいただいてありがとうございました。


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