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人の不幸は蜜の味

ここ数年で人が味わう不幸が連続で舞い込んできました…時系列で書き連ねていきますが、とりあえず今も病気と闘いながら書いてますが、重く受け止めず、明るく読んで欲しいです!先に書いておくと全てここ二年の間の出来事です…

不幸の手紙

ある日、裁判所から手紙が届きました。本来はガクブルしながら開けるのかもしれないですが、見慣れなすぎて、逆に軽い気持ちで封を開けたのです。そこには遺産相続の文字が…!2000万と!もうお分かりかと思いますが、プラスじゃないですマイナス2000万です…いわゆる負の遺産です…

額もそうなんですが、この通知によって実の母親の死を知ることとなったのです。ただ、両親は中学の頃に離婚しており、連絡も特に取っていなかったので実感がないというか、「あ、そうなんだ」くらいの感覚でした。不誠実なのは自分でも分かっているのですが、実際の感情がそうだったのでしょうがないです…悲しんでますなんて嘘付く必要もないですしね。

娘の精神障害、そして

私自身も離婚しており、離れて暮らす娘がおります。精神障害という言葉が適切か分かりませんが、少し優しすぎる所があり、抜毛症になってしまいました。これがとてもショックを受け、私自身も軽鬱状態となってしまいました。毎日必死に改善策を考えましたが、当然特効薬なんてあるわけもなく、不安な気持ちを和らげてあげるために奔走する日々でした。まぁ実際は年頃の女の子には多いらしくて、お医者様もよくあることだから、親が気にしすぎると良くないといった言葉も頂き、次第に娘の状態も良くなっていきました。それに合わせて私の状態も良くなっていきました(笑)

娘関係のはダメですね…これだけは笑えないです。娘の前ではそんなこともあったねぇて感じで接してますが、内心はこうやって思い出すだけでも辛いです。この話だけは私の口から直接誰かに話すことはないです。プラスな話をするならば、当時精神的な病に対する本や体験談をひたすら読んでおり、それに対する理解は相当深まりました。私自身もそこまでメンタル強くはなく、理解のある方だったのですが、やはり社会に寛容がないかなと強く感じました。正直鬱病などは誰でもなりえる病気ですので、周りの理解はもっと必要であると考えています。外見は普通に見えますからね…

鬱状態の時、電車に乗るのがすごく辛かったです。満員電車は今でも乗れません。なので電車に乗る際は迂回するか、空いてる時間まで時間を潰してから乗っています。なんで病人の方が気を遣って生活しなければならないんでしょうかね?

一番腹立たしかったのが、ある時少しだけ密着する混雑具合の電車にどうしても乗らなければならなかった時がありました。時間にして20分弱程度なのですが、極度の緊張状態となってしまい、立つのもやっとでしたし、目眩が起きて吐かないよう必死で我慢していました。つり革のつかまる力も強くなり、強く握りすぎて小刻みに震える位でした。この状態が長く続くのはまずいと咄嗟に思い、少し力を弱めたのです。その瞬間、目の前が真っ白になりました…慌ててつり革を握り直したのですが、自分で分かるくらい顔面蒼白でした。窓に映る自分の姿は明らかに異常でした。

目の前の座席に座る女性はチラッとこちらを見て、すぐさまスマホに夢中です。隣の女性もこちらの異常さに気付いていたのですが、挙動不審の男と思ったのでしょう。やたら警戒する感じでこちらを見ていました。逆隣の男性は私に軽く寄りかかってスマホゲームに夢中でした。この周りにいた人たちはいわゆる今風の雰囲気で、恐らく会社や仲間内では給料が上がらないとか、上司の愚痴とか、女性差別について熱心に被害者顔で喋っておられるのでしょう。目の前の病人も助けられない人が、どうして自分の不利な立場を誰かが解決してくれるのでしょうか。私はこの日から指をくわえて待ってる人達に手を差し伸べることをやめました。自分から動ける人達と共に成長することを優先することにしたのです。

結局、その後は最寄りの駅で降り、心を落ち着けて深呼吸したり水飲んだりしてからなんとか帰宅しました。吐いたり、倒れたりしたら周りの人にも迷惑掛けてしまうので、なんとかそれだけは死守しました。想像以上に社会は冷たいのだなと改めて感じましたね。その代わり私は同じ境遇の人を見たら積極的に助けますが!

世界三大激痛

そんな日々を過ごしていたら、朝とんでもない目眩が!汗もびっしょりでした。前日まで何でもなかったのに…ただ、それも数時間経つと良くなってきました。風邪の始まりか何かか?と思って気にせず過ごしていました。

昼過ぎから夕方頃にかけてお腹が痛くなってきました。トイレに引きこもっていたのですが、その痛さが徐々に強烈に…あれはどれくらいの時間だったのか。痛さがひどすぎて時間の感覚が分からないですが、数時間経過する頃には息も出来ないほどの痛さになっていました。そこでトイレから何とか這いずり、スマートフォンを手に入れ、初めて救急車を呼びました。

電話を掛けたはいいものの、喋れません。息をするのもやっとなので、フゥーフゥーと唸っていると、電話先で異常を察知して頂き、答えやすい質問で何とか救急車を呼ぶことが出来ました(救急隊員の方はこういう状況にも慣れてるのかと思うのですが、やはり的確で凄いですね)

何故喋れないほどの痛さまで我慢したのか、と言われてしまいそうですが、腹痛だけでしたし治まるだろうという期待と大事にしたくないって気持ちがあって呼べませんでした…これは異常だ!という思いはあったので、そう思った時点で呼ぶべきでしたね…

救急車を呼んだ安心感で痛さは少し治まり、病院へ行き、結果は尿路結石でした。次の日も病院へ行きましたが、大きさが1mm以下ということもあり、自然排出を待つことに。あの痛さで1mm以下ですよ!?症例によっては10mmとかも有り得るらしいので、気を失うのではないでしょうか…そして尿路結石は世界三大激痛の一つであり、その痛さは出産を越えると言われています。その痛みは疝痛(せんつう)と呼ばれており、後から調べれば調べるほど恐ろしくなりました。二度と起こりたくない…

突如襲う吐き気

それも数日経てば治まり、仕事も再開しました。そんなある日、目覚める時に胃のあたりからゴボゴボゴボという異音が…何かせり上がるものを感じ、トイレへ駆け込みました…私、嘔吐恐怖症もあり、今まで吐き気は必死に抑え込んできたのですが、今回はそういうレベルではありませんでした。仕事は休み、近くの胃腸科へ。ウィルス性胃腸炎とのことでした。

次の日以降、来る日も来る日も吐き気が治まらず、寝転ぶとせり上がってくるのでソファで座りっぱなしの日が始まります…寝るのはもちろん座りながら、PCやゲームなども出来ないのでボーっとテレビを眺める日々です…食事もヨーグルトやゼリーだけでしたね…そんな日々が数ヶ月、半年と経ちましたが一向に良くなりませんでした。元気ってどういう状態だっけ?ってなるくらい気持ちも落ち込んでましたね…仕事も当然出来ないので辞めました。

少し話は逸れてしまいますが、半年くらい経過した頃、喉が異常に痛くなりました。のど飴や喉の薬を飲んだりしましたが、全く変わらず次の日にはツバも飲み込めないほどの痛みに…!全て吐き出していました。病院へ行くと、なんと喉の奥にフジツボのように口内炎がびっしり!!まともな食事が出来ていなかったのも原因の一つでしょう。痛み止めの薬は胃に負担が強いし、色々デッドロックしてる感じがしましたね…思い出すだけでも辛い…

で、さすがに治らなすぎだろ!と思い、別の病院へ行ってみました。胃カメラもやっていて、異常がない、胃腸炎の後遺症みたいなもので吐き気が続いているだけとの説明だったのですが、新しい病院にて諸々その旨も伝えると新たな病名が!

安倍首相も悩ませた機能性ディスペプシア

機能性ディスペプシアという病名であることが判明致しました。この病気、あまり理解がないのですが、吐き気が続いたり、胃がとても重く感じたり、平和な日常を過ごせないくらい辛いのです…あの安部首相も過去に発症しており、一度総理大臣を辞めております。総理大臣を辞めるほど辛いものなのです…

実際私も10ヶ月経過しておりますが、いまだに吐き気と闘っております。まともな食事は一応出来るようになりましたが、外で食べると吐き気が襲ってきた時に大変なので、外では食べれません。薬も手放せませんし、大好きなコーヒーも胃に負担が強いので飲んでません(泣) 最近やっと布団で寝られるようになりましたが、たまに夜中吐き気で起きてしまいます…人によっては完治までに10年かかる人もいるようですし、完治というものがあるのかどうかもよく分かりません…終わりがない戦いのようで不安にもなるのです。

最後に

ここまで読んで頂きありがとうございます!長々と稚拙な文章になってしまい、申し訳ないです。今現在も病気と闘っておりますし、尿路結石も再発しています…健康って本当に大事です。大金叩いてでも欲しいです(切実) 皆様も適度な運動、食事バランス、睡眠、大事にして下さい!発症してからでは遅いので!健康で文化的な生活のためにも!

最後になりますが有料エリアを設けさせて頂きました。特に何も記載しておりません。もしよろしければ購入頂ければと。10ヶ月以上働けていないので、これからの生活のためにもお恵み頂けたら幸いです。宜しくお願い致します。

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