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「よる」と「よりそう」と「よりかかる」

 おはようございます。こんにちは。こんばんは。学生ライターのめておーらです。ライター業務をしていくための機材が不足していることに気づきました!パソコンだけあればいいと思っていた・・・。
 その機材を買うにもお金がない。ということで資金集めに動いている毎日でございます。ちなみに先月ライター収入で1万円達成しました!今月も達成できそうです。一歩ずつ前進しています。



「よる」「よりそう」「よりかかる」

 さて今日はここのところずっと頭から離れないことを書いていこうと思います。タイトルにもある通り、「よる」「よりそう」「よりかかる」という言葉です。
 皆さんはこの言葉にどんな字をあてはめますか。私は「寄る」「寄り添う」「依りかかる」ですかね。どれも似た意味を持ちますが、全然違うニュアンスを持っているのです。今日は寄る、寄り添う、依りかかる。この3つの単語で人間関係について少し語らせてもらいます。しょうもないオチだったら申し訳ありません。

人間関係のジレンマ

 最近あるミステリードラマで「ヤマアラシのジレンマ」というものを思い出しまして、というのも授業で聞いたときには文字並びだけ覚えて実感が伴わなかったものですから、受験勉強を終えて頭からおさらばしていました。
 「ヤマアラシのジレンマ」とは、針を持っているヤマアラシ同士にとっては近づきたいけどお互いに傷をつける可能性があるから近づくことができない、その例えを人間関係に照らして表現したものです。そのドラマでは愛情や共感が憎悪に変わっていく、近づきすぎたことで自分の理想像になってくれない相手を殺してしまうという展開でした。
 この場合殺人を犯した人は相手に「依りかかって」しまったんですよね。はじめは「寄り添う」だったのに。私自身、大学生になって人に「依りかかっていた」ということが分かって申し訳なさを感じていることもあります。人間関係の距離感、近づきすぎると自分のエゴを人に押し付けてしまう、そうはいっても「寄らず」に生きていくことはできません。
 このコラムでいいバランスを保つことについて考えていただけたら嬉しいです。またこれまで「依りかかって」いたかもしれない人々にこの場を借りて心の供養と禊ができたらいいなと自己満足ですが、書き記しておきます。

「寄る」「寄り添う」「依りかかる」

 人間関係を良好にするためにはどうしたらいいでしょうか。私もまだ答えは分かりません。しかしこの3つのバランスが大事なのではないかということはこれまでの経験からして理解しました。
 「寄る」とは「近づく」こと。「寄り添う」とは「もたれかかるようにそばに寄る、並行した形で続く」こと。「依りかかる」とは「よりどころとする、依存する」こと。私は「依りかかる」ことが多かったのです。
 「依りかかる」は前述した意味だけではないと思います。周りの目を気にしていい気になったり、心が沈んだり。そういうことも「依りかかっていた」と言えるのではないでしょうか。周りを気にしてふるまって、いい子に見せたいとなりきって。中学校、高校時代は、実は自分の芯がない状態だったのかもしれません。だから一匹狼が怖かった。他人に存在を否定されるのが怖かった(今も怖いですが)。いじめを受けても学校に休めなかったのは、自分の居場所が失われるのが怖かったから。誰かに肯定してほしかった。他人からしてみればいかに自分勝手で都合のいい人だったか、今思うと後悔と羞恥の思いでいっぱいです。
 高校生になってその気持ちはコントロールできたものの、やっぱり自分を動かす原動力として「誰かに肯定してもらいたい」という気持ちは変わらなかったような気がします。一部の人に依りかかって多分その人を困らせた。謝りたいですが、恥ずかしさのほうが勝ってしまい何もできず終いです。
 本当に最近になってようやくこのように気づけたのです。生活の変化にも慣れてゆとりが持てて、このドラマを見て、高校生時代を振り返るきっかけもできて。いろんな偶然があってずっと頭の中で考えていました。大学生になっても誰かに「依って」しまったのは間違いありません。でも自分でも少し大人になったような、今はそんな感じがしています。

「依りかかる」前にセーブし、「寄り添う」関係を構築できるまで

 人生において「依りかかる」相手がいるのは幸せなことです。だけど、他人にその立場を求めてはいけない。今は家族のみ、そのような立場に置くことを意識しています。そして「寄り添う」立場にいる人は友人ですかね。愚痴やたわいのない話をして、お互いにストレスの吐き出し口にできるような、しかしあまりプライベートな域まで達しないように心がける。それだけで十分幸せなんです。
 今も「誰かに憧れられるような生き方をしよう」と思っていますが、「誰か」というのは特定の人ではなく、「不特定の誰かに」と思っています。そう思うことで他人に過度な期待をしない、自分でボーダーラインを引いています。
 人は「寄ら」ないと生きていけないけど「依りかかり」すぎるのもよろしくない。私は今更ですが、自律できるよう取り組んでいます。自分を律して浮き沈みしない、自分に芯の持った女性になりたいです。

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