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終即始。さよならの季節


「誰にでもなれないものがある、それは自分だ。」


どうしてそのように考え出したのかは、未だに覚えていないし、わからない時がある。


器には、容量がある。


その容量を越えれば中身は溢れ出し、いずれ器が壊れてしまう。


その器を無理やりに、素人が継いで直そうとしたりすると、形が歪になり、そしてそのまま同じ使い方をしていれば、また同じ壊し方をし、それを繰り返していけば、なおのことその器は元の形を忘れ、さらに歪な形になる。


しかし、その歪な形を「歪な形」と、くくりつけるものはいつの時代でも「常識」とかその類であり、その歪な形が「美しい」と感じる事や人もいるのが事実だ。


また、その継ぎ方に慣れていけば、素人といえど少しは上手くなっていき、そこそこ綺麗になっていく。

同じような使い方をしなければ、壊れることも減っていき、それを覚えていけば、壊れなくなる。


今となってはただひたすらに、「生きる」「生きていく」ということを、皆は思い、それに忠実に行動し、実行しているかもしれない。


しかし、僕は一度、死の縁を経験している。


それは16の時から、むしろ生きることを放棄していたのかもしれないな、と思うことがある。


16の僕は常に一人だった。


学校へ行くときに、ウォークマンから流れるAIR、SPIRAL LIFEの曲を聞いていると、気怠く学校へ行く気にならなくなり、その行く途中に家があったYという友人がいた。


そいつも同じく、どこか「生きる」ということを適当にしていたやつで、それが後にバンドをするようになる事になるとは、そのとき考えていなかった。


そいつと知り合い、ギターをしていた僕はそいつをベースに引き込むことになり、そのままずるずると朝からそいつの部屋でベースとギターを弾いていた。


そしてそこから僕の非行ではない、傍目からしたら「非行」の道が少しずつ始まって行った。


「ぼんやりと浮かんだ雲を見上げて、巡り合う人をずっと待ち続けてた」


なんて歌詞のような事もなく、ただただすぎる時間は、僕の器はそこから少しずつ容量が溢れていく。


金もない高校生は、校則で無許可であるにもかかわらず、家は片親で金を頼れないない為に、自分で稼いでいくしかなかった。


そしてギター、バイクにのめり込んでいき、ファッションも好きだ、と、バイト代は親に最低の学費をその時から月の給料日に渡すようになり、そのあとはその費用にどっぷり使い込んでいくことになる。


器は段々と、さらに加速して容量ギリギリに中身が増えていく。


17の僕は、まだ一人であった。


「俺は他の家の奴らと違う」という劣等感と勝気な心が、尚更音楽とファッションと、家の中以外での暴力を加速させて行った。


とにかく金を持ってる「金持ちの生意気な息子」が気に入らなかった。


その時の事を知る奴らにもこんな話はしたことがないが、そういう感じでもそういう事を人にいう事はなかった。


「そういう事を人に吐けば、それは弱みになる」


という事をずっと思っていた。だから何も言わず愛想よく、仲間を助け、音楽やファッションを楽しみ、ただ流れるウォークマンの音楽がマイブラに変わり、pre-schoolにかわり、段々と、高校に行かなくなった。


昼はスーパーで、美容室で、夜は焼肉屋でバイトし、高校生でバイト代はゆうに10万円を超えて行った。


朝高校に向かう同じ高校の生徒を尻目に、原付を飛ばしバイトに向かう。


溜まる場所はにはギターやベースのアンプ、ドラムが増えていき、機材と共に積もる吸殻の数。


「夢や希望」「精一杯生きる」とかの歌詞なんて刺さるはずもなかった。爽やかなバンドの歌詞なんてその頃の僕にはもう響くはずも無かった。


この年になって今でも、あの場所にいた時の事を思い出すことがある。


溢れ出したモノのことを気づく事もなく、ただひたすらそれを垂れ流し、器はそのままで、ただひたすら内容物を人が吐瀉するように、垂れ流していく状況になっていた。


「私、変わっていくのね。僕、変わっていくんだね」


なんて言葉すらも信用できてないくらい、「僕が僕である為に」、同年代より働き、金を稼ぎ、ギターは一番上手くないといけない、喧嘩は強くなければいけない、ファッションは着られてはいけない、「俺が服を着てやっている」としてなければならない、そう思っていた。


18の僕は、そうしていよいよ周りには信頼されていたかもしれないが、器としては、ほぼ全ての場所に亀裂が入り、少しずつそこから勝手にモノが流れ出していた。


事実この頃、今の僕からは想像もできないが、身長179cmにして体重が57kgほどになっていた。


秋の文化祭が終わり、バンドも「進学を理由にやらない」となり、僕だけは先に推薦を決めていた為、何もやることがなく、尚更に一人になって行った。


僕は小学生の時から書道をやっていて、たまたま中学終わりでいったん落ち着いたのだが、その時の先生が高齢の為、たまに顔を出していた。


その先生が、「久しぶりに書いて行ったら」と僕に言った。


それも半紙ではなく、「どうせやるなら大きい字を書きなさいよ」といい、では何を書こうか、というときに、「これを書いてはどう?」と出してきた力強い字で書いたお手本が


「終則始」


であった。終わり、すなわち始まり。


物事が終わるとき、新しい物事が始まる、という意味だ。


先生は勘がいい人か、それとも僕にこの字を教えたかったのかは聞けなかったが、


「終わりに強くなりなさいよ、終わりって、終わる時は辛いけど、それが新しいことが始まるって考えたらワクワクするような人になりなさいよ」


そんな事を僕に言った。


自転車で小学生の時に門戸を叩き、その自転車がバイクになった時を先生は、僕のずっと先にある何かを見ていたのかもしれない。


僕の3年間でしていたことは、役に立つことは何も無かったのか。


その時はそう思ったが、今はそうは思わない。


「最後にバンドで思い出作ろうぜ」


と誰かがいい、その溜まり場でビールケースにベニヤ板を引き、簡易的なステージを作り、ライブを皆でやることになった。


僕のバンドは文化祭のメンバーではなく、最後にと楽器ができる友人の中で、街一番の不良がメンバーの、ある意味僕らの中での最強のメンバーで、ミッシェルガンエレファントをやることになった。


ボーカルが最初から、今だから言えるが、出番前の景気付けの酒にのまれてしまい、1番めのSISCO〜バードメンに移ったくらいから歌えなくなり、15曲ほどやる予定から、4曲目から僕がギターを弾きながら歌い、6曲目の世界の終わりが終わった時に、「もうやめだ、やめ!」と、その時高校三年間、カートコバーン気取りで、一番大切にしていたフェンダーのジャガーとジャズマスターを、叩き折ってステージを降りた。



その時、今までの全てを、いったん全て壊したのだ。


人は、「積み重ねてきたものを力にできる人がいて、そこに挫折を繰り返し自己を確立させていく人」と、「今までの事を破壊をし続けては直し、それを繰り返していく人」がいるとすれば、僕はおそらく後者であろう。


そうして僕の人生は、そこから新しく始まった。まるで陶芸家が、気に入らない器を金槌で壊すように、3年間のことを全て壊した。


18の僕は、4月の電車に揺られながら大阪に向かっていた。


少し継ぎ目が増えた自分の器が、その先どうなるか、それはまたどこかで書こうと思う。


2月という季節は、暗く、そして少しずつ3月に向けて別れを感じ出す。僕は未だに2月があまり得意ではない。


しかしもうすぐ齢40を迎えるにあたり、「そういう事を人に吐けば、それは弱みになる」になる人間にも少しずつ変化があり、「弱みを少しは素直に出せる」ようになり、友人にお願いをできるようになった。


叩き折ったギターを「かっこいいから飾ろうぜ」なんて言えるようにもなった。


それでも、諦めの気配がチラつき、移りゆく季節というものは、いずれその時が来る。


壊す時、あなたはどう思うのか。その手で金槌は振り下ろせるか。


どのような人と、有形無形のモノとの別れが来たとしても、それは全て物事の始まりである、という事を思っていて欲しい。


その壊して行った自分の器が、いずれ自分の「歪なのか、美しいかは人が決める器」になり、それが生きる糧なのだ、という事を。


思い描いたモノが、こんなはずじゃ無かった、と思うことなんて本当に山ほどあった。


何かを思った夜に、何かを壊してしまった事も山ほどあった。


人生は早く、短い。


自分の弱さを受け入れる、それは決して恥ずかしい事ではない。


むしろそれは美しく、自分を少しは成長させてくれる。強くさせる為に。


だから人には、無理に直す事も、壊す事も僕は止めないし言うつもりもない。僕のような人間は、卒業文集なんてものは、心の中に置いておけばいい。


僕の器の形は、それこそ人から見たら歪すぎて見るに耐えかねないかもしれないが、継ぎ目が多すぎて強度が鉄釜ほどある。むしろ同じ器としても数が少なければ、継ぎ目がある器は価値が高いものもザラにあり、それは全て見る人によるし、歴史がそれを証明している。


傷だらけなほど強いものはない。


そして、どんなことがあっても、さよならに強くなれ。


終、則それは始まりである。


もしも俺がもう少し強くなれたら
愛想笑い繰り返す無表情な毎日を
受け入れたままで
咲き誇るあの花のように
心に咲いた大切が戸惑いを追い越して
始まりに満ちた晴れた日が
必ず来るから
Life is short time.
Time still goes by.
いつかまた思い出すのは
目の前に咲いたソレが
幸せと感じられる 日のこと
引用:G-FREAK FACTORY "EVEN"



Bisei



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