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ある在日コリアン作家とその家族の貴重な「ファミリーヒストリー」~「密航のち洗濯:ときどき作家」(宋恵媛・望月優大:文・田川基成:写真)


2024年1月刊

先日発刊されたばかりの本著を、非常に深い感慨と共に読み終えた。これは在日朝鮮人文学研究者の宋恵媛氏・ライターの望月優大氏・写真家の田川基成氏三人の協働による第一級の「ファミリーヒストリー」と言っていいだろう。
在日コリアン作家:尹紫遠(ユン・ジャウォン)とその小説「38度線」のことは前に翻訳家:斎藤真理子さんのウェブ連載で知ったが、1911年と日本の植民地支配が始まってすぐの頃に生まれたこの人は私の祖父母とも同世代。12歳の時に渡日したのが朝鮮総督府による「土地調査事業」で先祖代々の土地を奪われての困窮が要因なのも、当時の多くの渡日朝鮮人に共通するところ。それからの民族差別を受けながらの社会の最底辺での苦闘と、「徴用令」を逃れての帰郷と朝鮮北部への移動~そこでの日本の敗戦と「解放」~ソ連軍の暴力などを逃れて米軍政下の南へ~1946年再びの渡日~戦後混乱期で在朝日本人も正規の渡航船では持ち込める資産が限られるため、「密航船」で日本に帰る者も少なくなかった状況・・・
戦後も貧困から抜け出せないまま、ある日本人女性との出会いと結婚~それが長く衆議院議員も務めた大物政治家の孫で名門一族の女性だったことはまるでドラマのようだが、その一族との縁も切れて、生まれてきた子供も含めて家族総出での洗濯屋稼業~日々生活に追われる中でも諦めない執筆活動~結局、小説家・文学者として大きく名を成すことはなかったが、この作家の人生とその家族のその後は、在日コリアン含め「この国で暮らす外国人」のひとつの典型・象徴のようでもある。
私は、私より10歳ちょい上の長男:泰玄(テヒョン)氏が朝鮮学校・夜間中学・夜間高校と苦学しながら上智大学に進学し卒業後は外資系金融機関に就職~その後の国籍変更への葛藤などに特に共感を覚えた。
そして、尹紫遠の妻:登志子が老いてからはハンセン病療養所「多摩全生園」でボランティアをしていたというのを読んで「ああ!」と思いを巡らせた。ここは確かドリアン助川氏の小説「あん」のモデルとなった施設であり、シンガーソングライター沢友恵さんも度々訪れているはずで、そして彼女の祖父は尹紫遠とも親交があり彼を支えてもいた詩人:金素雲である。何か「一つの輪が繋がった」気がした。人の縁とはつくづく不思議なものである。
そして、国家・国籍・民族・ジェンダーなど様々な「隔壁」と「支配・被支配関係」が戦後混乱期にどのように人々に影響し、それを引き裂いてきたか~この著作でも当時からの日本の入国管理等法的措置の変遷について詳しく記されているので、そうした問題を考えるきっかけとしても非常に優れた「時代を超えたルポルタージュ」である。超おすすめなので、一人でも多くの人に読んでほしい。

2023年5月刊

<付記>ちなみに日本の出入国管理の法的変遷については昨年5月に出された上記研究書に詳しい。昨年6月にSNSに上げた簡潔な書評を再掲しておく・・・  

「著者は朝鮮大学外国語学部卒業後、一橋大学大学院で社会学博士課程修了~現在は上智大学特任助教。新進研究者がこれまでの先行研究を踏まえながら、特に戦後日本で「地方自治体・地域社会」が出入国管理体制の整備・構築にどう関わってきたかを詳細に論じていて、大学時代から日本の出入国管理については折に触れて学んできた私にとっても、新たな学びある良書だった。

まず戦後のGHQ占領統治下にあって、1947年5月2日(日本国憲法施行前日)の「外国人登録令」によって朝鮮人及び一部台湾人が「当分の間、外国人とみなす」存在とされたこと~そこから1952年サンフランシスコ講和条約締結による日本の主権回復とそれに伴う外国人(主に朝鮮人)の正式な「日本国籍喪失」。この時の法的根拠が一片の民事局長通達のみだったことなど、戦後の日本の「出入国管理・国籍管理」はかなりの期間「曖昧なマージナル状態」が続き、そうした法的統一感なき混乱が、機関委任事務として実際の「外国人登録」業務に当たる自治体職員にも大きな負担となっていく。私は、大阪・兵庫・東京のような朝鮮人集住地区ではなく、むしろ地方において外国人登録促進のための協議会などが次々結成されていく様が意外だった。また、窃盗などの日本人犯罪者が朝鮮人に「成りすます」事例なども。

そして特に印象的なのが、長崎県の「大村収容所」~そもそも戦後混乱期に朝鮮半島から「密航」してくる者を収容・送還するために作られた施設だが、その「密航」とは元々在日朝鮮人(というか植民地支配期は「日本人」)であったりその家族であったりした者が多く、そうした者が「国境」で隔壁を設けられることの不条理。また、当時の日教組主導による平和教育の一環として実施された小学校の「作文教育」とそれをドキュメンタリー映画化した「大村収容所に収容された子供たちと日本の小学生の交流」~共感と反感の相反する感情の中、それでもこうした交流が草の根的に促進されていたことは、今更ながら重要なことだったと思う。

著者がこの一連の論考で紐解いていく「戦後の出入国管理の形成期」~そこでの主に朝鮮人(韓国人)に対する国家としての処遇は、そのまま現在のこの国の「出入国管理行政」に繋がっていく。今まさに「入管法改悪法案」が現政権によって強制的に成立させられようとする危機的状況の中、改めて「排除の論理」ではなく「人権擁護と包摂の論理」による入国管理行政・難民行政が少しでも実現されるよう、切に願う。

<付記>これは著者の大学院での学位論文等が元になっているが、彼女は一橋大学大学院では中野聡現学長や米国史専門の貴堂嘉之教授、朝鮮近現代史専門の加藤圭木准教授など、優秀な研究者に指導を仰ぎながら研究者生活をスタートしたようで、今後の活躍がますます楽しみな一人である。」 

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