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66年前の図面から3Dモデルへ「カープの聖地」旧広島市民球場はデジタルの世界にどう蘇った?

はじめまして。株式会社ホロラボの松川元希(まつかわげんき)
です。ネット上ではげんきとして活動しています。

この記事は、先日広島で開催されたイベント「旧広島市民球場デジタル再現企画 ~HIROSHIMA GATE PARK 実証実験企画!デジタル上に、あの光景を再び~」の振り返りイベント「HIROSHIMA GATE PARKと最新技術でよみがえる旧広島市民球場 ~ HMCNイノベーショントーク」のnote版としてまとめ直したものです。

今回、体験会とトークイベントにおいて予想以上の反響があり、当日見られなかった方にも知っていただきたく、まとめることとなりました。

HIROSHIMA GATE PARKで当日行われたイベントの概要はこちら。

当時の球場を知る方に試していただいた時の様子
解体直前時と背景のビルがまだそんなに変わっていないため、よりリアルに感じられた
HMCNイベントのプレゼン時の様子
終了後の歓談会では沢山の方から質問を頂いた

自己紹介

簡単な経歴です。私は学生の頃、SCI_Arc(サイアーク)という学校で、空間デザイン+メディアアートの研究をした後、国内外の建築設計事務所で意匠設計に携わっていました。

学生の頃はこんなことをしていました。

現在ホロラボでは、XR体験上のコンテンツ制作や、NeRFを使ったモデル生成に携わっています。図面を参照する必要がある、もしくは空間意匠が重要なプロジェクトに関わることが多いです。今回は、図面読解の経験と、建築出身の人が普段使わないDCCツールを使える(Cinema4D等)ことからアサインさせていただきました。

話を頂いたときは…

最初にNTT都市開発株式会社様、NTTスマートコネクト様(以下クライアントと略記、敬称略)からお話を伺った時、今となってはおこがましい事ですが「まあ、図面がある感じなら、なんとかなるっしょ…!」とこんな風に思っていました。

今となっては当時の僕を叱りつけたい!そんなに甘くなかったぞ!

1つ問題を解決すると、また新しい問題が出てくる、そんな2ヶ月でした。

問題1:図面を「発掘」?

後になってクライアント様から伺ったのですが、当初はそもそもどこに資料があるのか分からない状態で、様々な方に声を掛けた結果、ついに広島市公文書館様に繋がることができたそうです。
(もちろん繋げてくださった方も大のカープファン)

その後、私に連絡が届くと共に、所有している建築図書(施工に必要な情報が載っている書類の総称)のリストを頂いたのですが、資料の総量が部屋1つ分あるので、ある程度当りをつけて選び出すことに。リストが予めあるなんて素晴らしい。早速中身を改めてみました。

球場に関する図書一覧。分類番号が4桁…

こちらのリスト「内容(黄緑のセル)」が図面の詳細なのですが…

全部同じですね

かなり大まかな情報しか書いておらず、どこの・何の図面かわからない状態でした。資料はこれだけだったので、ここではほぼ勘で当りを付けました。

「発掘現場」の様子。殆どはA1もしくはA2の紙媒体

当日は全2日で全てのページを閲覧し、図面が足りているか当てをつけて、付箋を貼っていきました。どんどんほしい枚数が増えていき、時間ギリギリまでクライアント様に手伝っていただきつつも、294枚を選出し、広島を後にしました。
(この後、問題4で大変なことになるととは、当時のげんきは知らない…)

もはや古文書

旧広島市民球場(以後「球場」と略記)は昭和32年(1957年)に第一期が竣工し、すでに66年が経過しています。したがって図面の劣化(黄ばみ、破断、にじみ)や情報の欠落が激しく、それらを手作業でゆっくりめくりながら確認していきました。

青焼き図面のもの(左下)や「とりあえずとっておきましょう」感のある、謎の一枚図面(右)
黄ばんでしまって字が読めないS32年の原図(左上)も
紙にダメージを与えてしまうので、付箋は紙を載せるだけ
風圧で飛んでいく!
これがないとできなかった貴重な情報を沢山集めることができた。
施工中の現場写真なども

また、劣化した図面をスキャンするには高度なスキャンとレタッチの技術が必要でしたが、カンプリ様のご協力のもと判読可能となり、図面デジタル化が可能になりました。

PDFを頂いて、中身を軽く改めつつ「へーこんなになってるのか」と余裕だった当時のげんきは、クリスマスケーキを食べながらRhinocerosを立ち上げました。

問題2:球場、サグラダ・ファミリア問題

図面のデジタル化も終わり、早速図面のモデリングに取り掛かるわけですが、その前に大事な工程があります。それは「読み込み」です。

「2008年に球場全体がどうであったか」を示す図面が存在しないので
頭の中で組み上げる必要がある

実は、球場は大小合わせて10回ほど新築・増設・改修・修繕を繰り返しており、且つ全体をまるごと改装したことがなく、サグラダ・ファミリアのように少しずつ改善を繰り返した建物だということがわかりました。

つまり、2008年の取り壊し直前を再現するには、頭の中で1957年から遡って、工事の5W1Hのタイムラインを理解する必要があります。なぜなら設計者は、外観や配置図等の簡単な図面を除いて、その工期において必要な部分のみ図面を引くからです。この読み込みに関しては予想以上に矛盾や補完に最も長い時間がかかってしまい、2週間程かかりました。

終わった頃には、僕のおやつはとっくにケーキからお雑煮の煮汁を使ったカレーうどんに変わっていました。しかもまだ読んで理解しただけです。

294枚の一部。コンビニでPDF印刷しまくってたら
後ろのおばちゃんに怒られた(ごめんなさい)

通り芯は命

建築図面には「通り芯」と呼ばれる、寸法の基準線、設計図の設計図のようなものがあります。例えば、壁や床の位置を決める時は「線Xから100mm内側」のような指示ができます。建築物全てに影響する最も大切な線です。

製本図面をデジタルスキャンしたものは必ず歪みが生じるので、単にで線をなぞってデジタル化する方法は使えません。図面に載っている数字を読み取って、数値入力で線を引きます。今回は、通り芯からモデリングまでRhinocerosを用いました。

図面は大きく分けて、平面図・断面図・立面図の3つがあります。この内、断面と立面図は平面図に対して垂直に立ち上がります。実際に、Rhino上でもこれらの通り芯は立てて使いました。

モデリングをある程度進めて初めて気づく矛盾もあり、手戻りも多発しました。

デジタル化した図面を印刷紙たもの。赤を入れて重要な用法を頭に入れていく。
上の図面をデジタル化したもの。画面の両端の赤線が、黒線と大きくずれているのがわかる。
これは数値入力で補正されたことを示す
内野スタンド側の断面を建てたとき(左)スタンド席は断面形状が5パターンもあるので、全てを把握し、適切に配置しなければならない。断面図の平面図に対する位置関係も図面から読み解く必要がある

問題3:通り芯合ってるの?合ってないの?

通常の新築工事に使う図面は、レゴに同梱している冊子のように、全て揃っていれば問題なく建てられるような情報が載っています。つまり、自分の頭の中の完成イメージを図面と照らし合わせ、整合性を調節する役割があります。図面の線よりも数値を信じるのが基本です。

以下のスクショは、スタジアムの配置図(上から見た間取り図のようなもの)です。前述の通り芯は、実はホームベースの五角形の角と❸と❹の点から全て引かれています。基準線の更に基準となる点です。

これらを元に、内野側(ホームベース寄りのV字の方)の通り芯を引いていたのですが、少し違和感がありました。外野側(ホームベースから離れている側の円弧部分)の内径と合わないのです。これではグラウンドの緑の壁に不自然な段差が生じてしまいます。

❸と❹を使うと外野側の内径と合わず、スタジアムの緑の壁に段差が生まれてしまう

これほど複雑な形でカーブが多い建物になってくると、線同士の幾何学的なバランスもデリケートになってきます。工期も複数回あることから「ははーんコイツは寸法のキリの良さ(大抵5000等のキリが良い数字で設計する)は犠牲にして、線から逆に寸法を引っ張ってくるパターンだな?」と思っていたのですが…

  • 寸法が図面と正しくなるように線を引くと、形が一致せず

  • 幾何学的な整合性が正しくなるように寸法を調整すると、図面が合わない


つまり、どちらも信用できない図面の可能性でてきてしまいました。気づいた時には通り芯を半分ほど引き終わった頃だったので、天井を向いて「あっ…終わった…」と相当ショックだったのを覚えています。

解決策としては簡単で、今回はモデルの精度よりも思い出の想起が最優先であることから、❶と❷という「意図的な」嘘の基準点を隣りに設置することで解決しました。不思議なことに、この方法で外野側と内野側がピッタリ一致したので、当時の方も改築の際には苦労されたのかな…と思いを馳せるきっかけにもなりました。

山場を超えたことで、大まかな形のモデリングを終えたげんきは、いよいよディテールのモデリングに取り掛かります。

問題4:図面が足りない!

モデリングも後半になってくると、手摺や天板などの詳細部分のモデリングになってきます。図面は300枚程なので、言い換えると300箇所の見た目しかわかりません。全部の再現となると全く図面では足りず、頂いた写真を見ながら目視で作っていく作業になりました。ここまでは想定内です。

が…それでも全然足りない!

だれも「スタジアム2Fの裏の通路に立ててある手摺の金具のピッチがわかる角度の写真(正面から)」みたいなものを思い出に撮っている人なんていないのです。そりゃみんな正面入り口や選手を撮りたいですよね。

詳細部の見た目の整合性は写真で確認した

マイナーな部分の写真がない…そんなときに力になってくれたのが、広島を建築的に記録してくれた方のHPや、カープファンがYoutubeにアップしてくれた、当時の映像資料でした。

例えば、こちらのarch-hiroshimaさんのHPでは、正面入口の大階段など、設えに着目した写真が多数あり非常に役立ちました。ありがとうございます。

https://arch-hiroshima.info/arch/hiroshima/shimin_stadium.html
arch-hiroshimaさんのHP

また、Youtubeの動画も、解体直前の様子や、外構部から観客席に至るまでのノンカット動画をアップしてくれた方がおり、とても役立ちました。

リンクは実際に資料として観たYoutube動画のプレイリストです。
当時の熱気が伝わってきます。

これらの資料がなければ、お世辞抜きで完成することは無かったと思います。ファンの愛があってこその製作だったと思います。こうして、詳細部の情報を得たげんきは、Rhino上で球場を立ち上げることになります。

制作過程

最後に、製作途中のRhinoのスクショをいくつか共有いたします。


スタジアム下、躯体部分モデリング時のスクショ。シアンの格子がS32年時で、ピンクがS50年代の2階スタンド席増設工事で追加されたもの

これらのスクショは、こちらのS32年の構造(シアン)に対して、S50年代の増築構造(ピンク)はマトリョーシカのように覆いかぶせ、増築していることがわかるものです。構造図面も残されており、時間の経過と共に何が足されたのか知ることができました。

スタンド断面と外構部の途中。全てのパーツは構造にぶら下がるようにできている

スタンド部分の断面形状は5パターン程あります。プレキャスト(現場で型を作ってコンクリを流し込んで作るのではなく、工場で予め作った部品を現場で組み上げる施工法)を用いて、つなぎ目を目立たせず、通路に位置を持ってくる工夫を知ることができました。

構造図(左)と外構部の見た目確認(右)
実はこうやって遠目で同じ角度から写真と見比べるほうが、細かい違和感にも早く気付ける

さらに、S50年代の構造部は、外側から内側に向かって微かに傾きをつけることにより、目立ち過ぎを抑えて上品にまとめ上げるよう、意匠的な配慮があったこともわかりました。

ダッグアウト(選手が控えておく部分)
立ち上げたモデル(左)と航空写真(右)

こちらは私が一番好きな写真です。長年使われることで出ている味の良さがうまく現れています。今回はこちらを意匠的な全体の基準として用いました。

最終的な完成モデル

総括と今後の展望

今回のような再現プロジェクトは、本物の球場を知っている方にとって、たとえ部分的な情報であっても記憶が蘇るトリガーになる、と強く感じました。私は、一般市民向けの体験会に参加することはできなかったのですが、現地では「昔の姿を残してくれるだけで本当に嬉しい」「懐かしい」などの声を頂いたとのことでした。この記事をご覧いただいた方も、よろしければ感想を寄せていただけると嬉しいです。

今後の展望としては、XR技術を用いた体験を、より多くの方に、様々な形で体験してもらうと共に、図面や写真資料が不足して作り切れなかった部分や時間の関係で再現していない箇所などを、ファンの皆さんからの情報をもとにより精緻に、より多面的に再現する次のステップが踏めれば、と思います。

謝辞

当プロジェクトは、沢山の方々の協力と幸運、カープ愛が重なってできたプロジェクトです。

機会を与えてくださったNTT都市開発様、NTTスマートコネクト様
資料の収集を手伝ってくれた広島バスセンター沖広様、広島市公文書館様
図面を最高の状態でデジタル化してくれたカンプリ様
いつも助けてくれた、すまのべパワーのチームメイトの皆様
Youtubeに思い出を残してくれたカープファンの皆様
この場を借りてお礼申し上げます。

ありがとうございました!

使用したソフト

モデリング(形作り)
Rhinoceros7
テクスチャリング(色塗り)
Blender
Cinema4D
Adobe Illustrator・Photoshop
ワールド作成
DOOR
その他補助
ChatGPT(抽象的な質問や自作プラグイン作成)

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