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美味しい料理

乾麺というのは非常に具合の良い食べ物だと思う。

年中いつでも冷や麦が好きである。
母の湯がいた冷や麦はいつもゆで過ぎて腰が無かったが、まあ、それはそれで嫌いじゃなかった。なぜかこのつけつゆの出汁は椎茸だった。出汁ガラの煮干しの入ったままの味噌汁や切干し大根煮は好きじゃなかったが、干し椎茸の出汁の出ガラは好きだった。

乾麺のストックは私を安心させてくれる。
三輪素麵は無くなった頃にいつも自然と湧いて出て来る。スパゲティやマカロニはスーパーで安値を見つけると必ず求め、ストックを切らさない。その時食べたいだけの量を用意できるのもいい。とくに前期高齢者の年齢に近づいてきてからは日本のメーカーが決めるスパゲティの1束は私には多すぎる。

スパゲティのナポリタン風が好きである。
簡単でいい。トマトケチャップってのは優秀だと思う。ゆで時間はいつも長め、アルデンテよりも小学校の給食で食べたあの不思議なソフト麵くらい腰の無いのが好きである。具材はなんでもいい。でも出来れば玉ねぎには居てもらいたい。具材に火の通ったところに見計らってゆで上がったスパゲティを投入、炒め合わせる。味付けはケチャップと割と多めの少々の砂糖、粗挽き胡椒くらいだろうか。油はオリーブ、口のまわりが多少ギトギトするくらい入れる。

この先に備える。
良くない意味での相乗効果で物の値段はまだ上がるのであろう。
豊かな心を保つために乾麺のストックは切らすことのないようにしようと思っている。あとは乾物である。豆類、切干大根、海藻類、誰でも簡単に使える乾物を冷蔵庫、保存庫にストックしている。消費期限を確認しながら先入れ先出しで使っている。

食う、寝る、出す、誰もが当り前に行う営みをまた今日も繰り返す。本を読む、合気道の稽古をする、人と会い酒を飲む。こんな楽しみのベースがこの毎日の営みにある。ならば楽しみの質を上げるためにもこの営みの質を上げなければならないと思っている。そしてその質は、材料である物質としての質ではなく気持ちや考え、精神的な物であろうと思っている。
だから、本当に美味しいものは金のかかった物ばかりではないと思っている。

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