見出し画像

誕生日を前にして

気がつけばまた誕生日を迎えます。
好むと好まざるとにかかわらず誕生日はやって来ます。
特に感慨は無く還暦を迎え、それから三度目の誕生日を迎えます。
「年齢なりの」といった概念がほんのこの数十年ほどで変わっていますね。
私が社会人をスタートしたゼネコンの世界、当時の営業畑で生きて来た先輩方の姿をよく憶えています。
癖のある先輩方は今の私と同年代でした。どの先輩もよく飲みよく仕事をしました。ナイスガイが多かったですよ。私は長い間一番下っ端だったので、どの先輩方からも夕方声がかかりました。知らぬ世界に連れて行っていただくのが嬉しく二つ返事でついて行ったものです。でも、当時の先輩方は今の私よりずっと大人に見えました。おかしな書き方ですが、もっと老けていました。そして多くの先輩方は退職して5年うちくらいには他界されました。
現在よりも医療が遅れていたりといった物理的な仕組みの違いもあったでしょうが、もっと何かが違っていたように思います。
仕事以外に自身の時間を大きく割く「趣味」のようなものを持つ先輩、自身や家族の時間を大切にする先輩は少なかったように思います。仕事以外に何も無かったのかもしれません。
終身雇用制度も変わり、「定年」の概念も違ってきていると思います。なんだかゴールが無くなったとでもいうのでしょうか。わたしに限って言えばゼネコンを40歳で辞めた時に定年は頭から消えたと思います。それまでは途中で会社を辞めるなんてことを思い浮かべることさえ無くがむしゃらに仕事をして来ました。でも、一たび辞めてしまえばそれまでのストレスは何だったのか、息子を育てながら食って行くために生きることを真剣に考えるようになりました。
そして、予測とは違う形で家族の介護・看病はやって来ました。
決して一人で耐えれるような時間ではなかったのですが、そこで開き直ることも身に付きましたし、諦めなければなんとかなるもんだと、なんだか悟りに達した感じでした。
それから今に至っています。
人それぞれ環境は違いますからすべてがそうとは言いませんが、人生なんとかなるものです。
ゼネコン時代の多くの先輩方の告別式に行き、喪主となっている奥様やお子さん方の顔をたくさん見てきました。憧れの営業マンだった先輩が認知症となり、天王寺駅でいつも同じ時間にスーツ姿で徘徊している姿も見ました。
人にとって何が幸せでしょうか。
家族の健康や末長い幸せ、そんなことは当然なこと、家族はそれぞれ自身で考えています。やはり一番は自身の幸せでしょう。好きなことをやって生きていく、ボケ防止のために気持ちばかりのストレスを感じることの出来る小遣い稼ぎの出来る仕事でもしながら生きていく、こんなことが私の幸せなのです。
日本経済を回していくのは現役世代の役目です。私は時々昼から酒を飲み気持ちばかりの日本経済の活性化に協力します。合気道への恩返しのためにこれからも稽古は続けます。竹のNPOは理事長へのこれまでの恩返しです。時々兄貴の顔を見に愛知まで帰ります。何かを続け、考え、飲み、食い、そして生きていくと思います。
思えば長く生きて来たものです。
63回目の誕生日がやって来ます。
時々行く難波の寿司屋、親父が一人でやっている寿司屋で早い夕方に一人酒を飲みながら考えていました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?