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蓋然性という曖昧さ

この記事は個人的まとめです。

「蓋然性」なる言葉


稀に遭遇しては、その度にどうだったと迷います。

使う人は高い頻度で使うんですよね。

この記事では、こちらの本を参考にしています。
「蓋然性」の探求,ジェームズ・フランクリン,みすず書房,2018 (kindle)

一般的な定義では、

蓋然性 = ある事柄が成立するかどうかの確かさ
この確からしいさを数値化したものが確率である。
高確率のときに「蓋然性がある」といわれる場合がある。

ただ、

この「蓋然」という語は掴みにくい。


その理由は、
必然」「偶然」という意味を、多くを含有してしまって捉えているためなのかもしない。

また、「確率」なる語の対象領域の定めにくさも関係しているのかもしれない。

蓋然」を端的にいえば、

  • 原因や理由はともかくとして、

  • 起こり得る確率は確実だとは言い切れないこと

を指している。

物事の頻度を表現する際に、
わたしたちが「多分」と言ってしまう感覚に近いと思う。

「多分」と発する時、
わたしたちはその起こり得る確率に具体的な数値を検討していない。

絶対に起こるとまではいえない。

「蓋然性」を多用する人は、このような意味で「多分」の代わりに使っているのかもしれない。

そして、発生する事象は演繹的帰結が保証されている。
むしろ、起こる事柄を帰納的に知っている。

「卵を割ったら、ペンケースに入っているはずの消しゴムが出てきた」
なんて事象を蓋然性の言葉では語らない。

極端なケースであっても、「卵を割ったら、雛が出てきた」程度である。

少なくとも因果関係が保存されていなければならない。

ひとまず、「蓋然」を説明するには、因果関係なる概念が必要になるのが判明した。

一方で、

「必然」の対義語としての「偶然」がある。


偶然」は、因果関係のない事柄が起こることを指している。

ただし、偶然では、その発生の頻度、確率が度外視されている。

そして、偶然な事象は無数に存在しえる

因果関係がなく、思ってもいなかった事柄が起こる、
これを「偶然に」というからだ。

因果関係のない事象は、「偶然に」起こった時に、どんどん生成される

むしろ、

$$
\frac 1 {偶然の事象すべて}
$$

で、確率が定義されるといってもいい。

サイコロをふる場合でいえば、
少なくとも1から6のうち、どれかが「偶然」に出る。

だから、それぞれの「偶然」の確率は、$${\frac 1 6}$$となる。

「サイコロの目が奇数、もしくは偶数となる」それぞれの確率であれば、
それぞれ「偶然に」奇数か偶数の2つの事象に限られ、$${\frac 1 2}$$、もしくは$${\frac 1 2}$$である。

極端にいえば、なんらからのサイコロの目が「偶然」に出る確率は、

$$
\frac 1 {どれか1つ} = \frac 1 1 = 100\%
$$

ともいえる。

もっとも、サイコロが割れるなんて「奇跡」をわたしたちは通常考慮しない。「偶然」とはいえ、わたしたちは偶然の範疇を暗黙的に限定はしている。

因果関係とまではいえないけれど、なんらかの関係性を考慮して、事象をアブダクション(仮説的推論)をしてはいる。
※ 「アブダクション―仮説と発見の論理,米盛裕二,勁草書房,2007

「蓋然」と「偶然」の語が持つ属性


として、

  • 因果関係

  • 数値としての確率

が考えられる。
表にするとこのようになる。

つまり、

  • 蓋然=因果関係を考慮し、確率は少なくとも100%ではない。

  • 偶然=因果関係を考慮せず、確率を度外視する。

ややこしいのは、

  • 必然=因果関係は考慮され同時に高く、確率は考慮され同時に高い。

と、
以上がわたしの解釈です。

最後に

浅はかかなとも思えるけれど、現時点ではここまでしか書く能力がありませんでした。

引き続き、noteを書き続けて、論考(アタマの中)を

  • もっと的確に

  • 伝わりやすく、

  • そして短く

書けるようになればと思います。

「蓋然性」の探求』を全然読み込めていないです。
これも反省点。

追記 「アブダクション」という語を使ってしまいました。

力不足です、申し訳ありません。
参考文献として「アブダクション,米盛裕二」が基本書ですが、

の方がわかりやすいかもしれません。


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