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自分が何者かわからなくなったので、キャリアの棚卸しをしてみた

2022年、驚くことに今年で社会人8年目に突入するそうだ。

キャリアとしてとても特殊な経路を辿っているので、
自分でも「何者なのか?」ということが時々わからなくなる。笑

今回は自分の7年間のキャリアを棚卸しをして、今までの活動を書き綴ってみることにした。(ちょっぴり恥ずかしいけど。)

ー7年間のざっくり年表ー

1年目:新卒で会社に勤めてみた
2年目:会社で新規事業をつくろうとした
3年目:会社内で新しいことできないか挑戦してみた
4年目:正社員を辞め、新しい働き方を模索してみた
5年目:雇われ以外で、自分の力でお金を稼いでみた
6年目:個人から企業に対しての事業をはじめてみた
7年目:一から創った事業で完全独立→企業案件の拡大

ふむふむ…
こうして並べてみると、毎年新しいことに挑戦してるようだ。

それでは、そんな7年間をざっと4つに分けて振り返ってみよう…!

“とりあえず3年“の修行期間で見つけたメラメラ[1〜3年目]

大学卒業後3年半は、印刷会社の法人営業で働く。
配属は名だたる出版社のマンガ編集部担当。マンガ雑誌やコミックスを造る営業として、今まで読む側だったマンガの世界にお邪魔させてもらった。今思えばものすごく色んなものを見ることができた環境で、コンテンツづくりの最前線(編集部)やものづくりのリアル(製造現場)など、印刷会社の営業だからこそ関わることができた現場があった。

そんな環境での仕事は確かに充実したものではあったが(忙しくて充実していたとも言う…笑)、その一方で「このままでここで働いていて良いのか?自分がやりたいことはできているのか?」という不安が常にあった。

そんな中での一つの転機が、社内でやった新規事業開発プロジェクトである。

当時「シュリンクしていく出版印刷の事業部を立て直すべく、新規事業をつくろう!」と初めて立ち上がったプロジェクト。日々の忙しさに追われ燻っていた(?)ところを見かねてか、ありがたいことに唯一の若手としてメンバーに選出された。結果的にそのプロジェクトでは新規事業を立ち上げることはできなかったが、自分の中にあった炎のようなメラメラを垣間見ることができた。

それは、、、
「新しいことを考えたりカタチにするのはめちゃくちゃ面白い!」
「どうせ新しい事業を立ち上げるのであれば、会社じゃなく自分の手で、名前でやりたい!」
という人生初めてのメラメラ🔥

今思えば、これをきっかけに自分の行動が変わっていったのかなと。
直属ではないのになぜか目をかけて選んでくれたプロジェクトの部長には、本当に感謝である…(今更ながら…笑)

新しい働き方を求め、アラサー女の自分探し旅[4年目]

社会人4年目の夏、会社を辞めて半年間の無職期間を設けた。

会社を辞めてそのまま転職すると絶対に同じことを繰り返すのは目に見えていたので、とにかくリセットがしたかった。
「どのように働くのが自分にとってベストなのか?」「どのようにありたいのか?」「何をしたいのか?」「稼ぐとはなんなのか?」
自分探しの旅ように、いろんな人と場所に出会い、学び、新しい体験をしてみた。

その結果わかったことは、
「1つのことに縛られたくない!欲張りでありたい!」
「自分で仕事を生み出したい!」
という自分の気持ち。

無職期間を終え、ファーストステップとしてパラレルキャリアという道に進んでみた。

(無職期間の終わりについては、こちらのnoteでにて↓)

パラレルキャリアからハイブリッドキャリアへ[5〜6年目]

自分で事業するならマーケティングについて学んだ方がいいのでは?と考え、Web広告系の会社に勤めコンサルを始めた。

そしてパラレルキャリアとして、仕事をしながら自分でも小さなビジネスを始めることにした。ワークショップの開催や代理店事業、業務委託のWebマーケティング、記事制作、ロゴ制作、、、などなど、自分ができることでお金を生み出してみた。

初めて自分で生み出した金額は5,000円。初めてにしては結構嬉しい額。もちろんこのお金だけでは生活はできないが、お金をもらったという事実は変わらない。
雇われること以外でお金を稼ぐというのは0→1を生み出すようなものであり、その最初の一歩を踏み出すことができたのだ。

そうした小さな成功体験を積み重ねることで、自信がついて、次のチャレンジへと繋がっていった。

会社で働く仕事も週5→週3に変えてみた。
仕事を変えたのはインハウスマーケティングの実務経験をしたかったからでもあるが、もっと自分の時間をつくりたかったというのがある。その時間で、今までのビジネス経験を活かして好きなものを収益化していこうと動き始めた。

そんなこんなで、ライスワークとライフワークをがっつり分ける働くパラレルキャリアから、好きなものをライスワークとしても結びつけきちんと収益化していくというハイブリッドキャリアへの挑戦が始まった。

(ハイブリットキャリアの始まりについては、こちらのnoteにて↓)

“プロデュース“というやり方に出会い、仕事の幅を広げる[7年目]

ハイブリットキャリアの出発はP-aRt[ぴーあーと](動画制作ユニット)の立ち上げ。

「私たちでもイラストを使って動画つくれそうじゃない?」という個人事業主仲間(のちのビジネスパートナー)の一言から、お互いに好きな「絵を描くこと・ものづくりすること」を収益化することにチャレンジした。

今まで積み上げてきたビジネスの経験を生かし、その結果わずか2年でお互い仕事を辞めて独立できるレベルまで収益化することができた。

この結果を生み出せたのは、「プロデュース」というやり方に出会ったからだと思う。動画制作をきっかけに様々なご縁がつながり、ライセンスビジネスの先駆者である方(誰もが知っているキャラクターやコンテンツの仕掛け人)と一緒にプロジェクトを立ち上げる機会をいただいた。そこで、コンテンツが活きるかどうかはプロデュース次第であるということを学び、その役割は自分にあるということ、そして自分がやりたかったことだったと改めて認識した。

そこからのP-aRt[ぴーあーと]は、クリエイターとプロデューサーで役割を分けて制作するようになり、依頼の幅も個人から企業、そして大手企業案件まで広げることができた。P-aRtの動画をどうしたら依頼主の悩み解決に活かせるか頭を使っていくのが楽しくなって、動画も形をどんどん変え、最終的には2人アニメーション制作会社のようになっていた。コンテンツ企画、キャラクター制作(キャラ立ちするように相関図なども作った)、声優さん探し、シナリオ・絵コンテ制作、アフレコ依頼、撮影、編集・・・などなど。クリエイター視点ではなくプロデューサー視点になったからこそできた進化だと思う。

このP-aRtの成功から、「プロデュース」により興味を持った。

そして現在。

3つのチャレンジを始めている。

①プロデュースの幅を広げる
自分ができることをもっと広げ、よりビジネスを大局的に見られるように、新しいプロジェクトに参加させていただいたり、もっと多くの人の才能を磨けるように、自分で新しいサービスをつくってみたりしている。

②求められていることを進化させる
以前から個人活動としてやっていた面刺[めんし]ワークショップ(アートで自己表現をするワークショップ)。その活動に共感して、協業したいとアプローチしてくださった方と一緒に活動を始めている。自分が作ったプロジェクトや得意を求めてくれている人にどう還元できるか、今まで以上に考えている。

③自分の夢をプロュースする
私の夢の一つが、「アパレルブランドをつくって、自分の服を着て旅をする」である。そのために、昨年から服飾の学校でデザインの勉強をしている。勉強したことで自分の夢を難しく考えてしまっていたが、とにかくシンプルにやりたいことをやってみようと最近思えるようになった。とにかくやってみる。

***

と、7年間分のキャリアを棚卸ししてみた。

長々と書き綴ってしまったが、総じて言えることは、「ちゃんと自分から変化して柔らかく生きている・・・!」ということ。
「水のように柔らかく生きる」がモットーな自分にとっては嬉しいことである。

現在のチャレンジもどのような変化が起こるかわからない。
その記録も含め、またnoteでまとめられたらと思う。



結局、私は「何者」にもなりたくないんだろうな。

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