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ヘルパンギーナ!と叫ぶわけ

先日、子どもが発熱した。
朝イチで病院へ連れて行くと、ヘルパンギーナと診断された。
その日わたしは午後から取材だったので、看病を夫に任せて家を出た。

行きの電車では、ヘルパンギーナのことで頭がいっぱいだった。
でも、担当の編集者さんやカメラマンさんと会えたり、はじめましての方が素敵だったりと、取材そのものも雰囲気も楽しくて、仕事に集中することができた。
そして、取材場所から一歩外に出た瞬間、またヘルパンギーナのことが頭に浮かんできた。
帰り道でもずっとヘルパンギーナのことを考えて、乗り換えの原宿駅で「ヘルパンギーナ!」と叫びたい衝動に駆られた。

冷静に考えたら、子どもに適切な看病をして、夫と相談して仕事の時間を捻出し、それらを淡々とやればいいだけである。
こんなにヘルパンギーナに囚われる必要はないのだ。
でもなんだか、頭がいっぱいなだけでなく、心も動かされてるような、もっと言うと、ほんの1ミリだけ気持ちいいような感じがした。

✳︎ ✳︎ ✳︎
数年前に失恋したときのこと。
「つらいよ〜」と友達に話していたら、こう言われた。

「失恋ってつらいよね〜、でもさ、生きてる!って感じしない?」

目からウロコすぎた。励まし方が斬新。
そのときからわたしは、失恋に限らず、「つれぇ〜」という気分になったときには、それとセットで「生きてる!」と頭の中で言うようにしている。
「つらい、、、。……生きてる!」
という具合に。
これを続けていると、つらいときには「生きてる!」と叫びたくなるし、ほんの少し、1ミリだけいい気持ちになる。
つらすぎて生を感じるということなんだろうか。よく考えたらちょっとキモい?

そして、子どもがヘルパンギーナになったときも、この感覚に似ていた。

子どもがぐったりしててかわいそう。
スケジュール的に、明日は仕事しときたい。
しかし家族を最優先にしたい。
自分も罹らないようにせねば。
新しいシーツを出して、こまめにシーツを変えて洗濯しよう。
熱性けいれんについても調べておこう。
機嫌悪いだろうから夕飯は好きなものだけ出そう。
あぁやることがいっぱいある……。

と考えているときに、「生きてる!」と同じ感覚で、「育児してる!」と思った。
それがまだうまく言葉にできなくて、原宿駅で「ヘルパンギーナ!」と叫びたくなったのだ。

その後、幸いなことに子どもの体調は回復しつつあり、ホッとしている。
「生きてる!」「育児してる!」とハイになって叫べば、何でも乗り越えられると信じてる。

(トップの写真は小さいころのわたしです)

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