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自分ごとに含まれてゆく他者、他者との時間

https://note.com/fumiken/n/n5637e5055080?sub_rt=share_pw


古賀さんのこの記事を読んだ時にすぐに思い出したのは、平野啓一郎さんのこのスピーチだった。
"Love others to Love Yourself"

https://youtu.be/n7Z6KyTeouY?si=ix3K50MXuvMKcdua

自分が彼/彼女と過ごせなくなって悲しいと思うのはなぜなのか。それは、彼/彼女と過ごせなくなるということは、彼らと過ごしていて楽しい、豊かな感情が湧いて満たされると感じていた自分とも、もう会えなくなると思うからだ。

古賀さんは「友だち」についてここで述べているが、平野さんのスピーチとの共通点は要するに「自分にとって大事な人」の存在について語っているということだ。

「この人といる時の自分がすきだ」と思える状態は、その人生においてとても満たされる時間だと思う。そして、自分一人では感じることのできない感覚だ。他者といることで感じることのできる自分の存在。その自分を俯瞰して感じることがきるとき、自分は生きていると感じることができるのだと思う。

一方で「人間の関係にはおわりがくるものだ」という平野氏の言葉に、ぐっと打ちのめされる。それは時の経過による自分と他者の間のお互いに対する感情の変化のためだったり、死別のためだったりする。
それを繰り返していくことが自分の人生を生きることだともいえる。すくなくとも私の場合はそうだ。
そうだとしたら、自分にとっての大事な他者とどれだけ出会うことができるのか。一時的だとしてもつながり合える関係性をもてるか。それがその後の自分の時間の中にどれだけ影響を与えるかということが、とても大きな、自分の人生をつくる大切なこととなってくる。

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