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No music no life ふとした風と音楽

どのくらい経つのかな?6年ぶりくらいだろうか?家を出て以来やっと「そこ」に足を踏み入れることができた。
息子と娘は年に何回かは会いに行っていたけど、私は見えない壁が立ちはだかっているようで行けなかった。

今年は娘一人では持ちきれないほどの梅ができたらしく、「持ちきれないから取りに来て!」とLINEが来た。「いいよ。行くよ。」と言いながらも「やっぱり一旦帰って来て!一緒に行こう。」と戻って来た娘と取りに行くことに。

お店はあのまま朽ちて、いい味がでている。
「よくやったよなぁ。」そこでの生活が蘇ってきて、胸のここんとこが苦しくて嫌になってしまう。胸の痛みで1キロぐらい痩せた気分。

同じように胸が苦しくなる場所が「ならまち」だった。私が生まれた場所でもあるけれど、父が事業で失敗して、家と店を無くして出ていった街。
しばらくは足を踏み入れるのも嫌で、遠ざかっていたけど今はそれを乗り越えてお店を展開することができている。

ならまちが20年かかったのに、6年で扉が開くとは!生きているうちは無理かと思っていたのに、よかった。

いろいろあるけれど、いちいち泣いていたら流れがとまってしまうので、とりあえず涙は浦島太郎の玉手箱のようにきっちり蓋をしておく。それを開けるのは一人の時の、ふとした風だったり、音楽だったりする。

今日もいいタイミングでプレイリストから流れたのはスカパラの「Dear my sister」
思い出は真っ黒け、さみしさはサビだらけ、呼び声は遠すぎて、泣き顔は飲みほした。

思い出はいっぱいで、さみしさに頼るなら、呼び声が聞こえたら、泣き顔をあげてくれ。

もと義父母の笑顔がやさしくてありがたかった。

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