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デンマーク家庭で感じた民主主義

デンマークを始め、北欧は選挙の若者投票率が高いことで有名だと思う。
例えばデンマークでは、20代の投票率が安定して7割を超えている。日本で一番投票率の高い年代とされている60代でさえも、7割程度なので、いかにデンマークがすごいのかが分かる。
投票率が高いということはつまり、若者の間で社会や政治に関する関心が高いということだ。実際にフォルケ留学していた頃のデンマーク人同級生達は社会に対して、自分の意見をしっかり持ち、議論することを好んだ。
「選挙に行くのなんて当たり前でしょ!」って感じだ。

それはなぜか?

教育や社会システムなど、色々と要因は考えつくのだけど、今日は私がデンマーク人の友達の家に泊まりに行って感じた、「家庭の中の民主主義」を話そうと思う。

食卓に上がる話題

まず私が驚いたのは、普通に夜ご飯を食べながら政治の話をすること!
私がお邪魔した時は移民政策の話から始まって、そこから高福祉を維持すべきかどうかを議論していた。友達のお父さんは右派寄りで、お母さんは左派寄りっていうまぁ真逆の状態で、とっても熱い議論が展開された。
それでもって、時たま「それであなたはどう思う?」と振ってきて、意見を持つことを求められる。
そして子どもからの意見にもまたしっかりと耳が傾けられ、尊重される。
年齢や親子関係は関係なく、お互いに平等に議論が進んでいく様子はとっても興味深かったし、楽しかった。
この友達ファミリーが変わっているわけではない。
他の友達に「親と政治の話する?」って聞くと、「うん普通にするけど?」って答えが帰ってくることが多かった。
こうして日常の生活の中で、政治や社会について自然と議論する文化がデンマークにはある。
自分の意見を、誰かに聞いてもらえる経験を家庭内で積み重ね、「意見が社会に聞き届けられる」という実感を得ながら成長していく。
その日常の繰り返しの中で、彼女らにとって社会や政治に関心を持つのは、とっても自然な事なのだろう。

因みに私は家族で政治を議論した事はほぼ無い。

結構そういう人多いんじゃ無いかと思う。

意見の否定≠人格の否定

先述の通り、友達のご両親は政治的思想がお父さんが右派寄りで、お母さんが左派寄りっていう真逆の状態。
「もしこんなにも立場が違う2人が議論したら、喧嘩に発展して、すっごい険悪なムードになるんじゃないの…?」って思っちゃう。
もちろん2人とも議論の時は真剣そのもの。だけども、一度議論が終わればとっても仲良しだった。
たぶん、「意見の相違」と「人格の否定」が違うものであるって認識が無意識のうちに共有されているからだと思う。

「意見の否定」≠「人格の否定」が成立するのって、受け取る側も否定する側もどちらも歩み寄らなければいけないこと。
受け取る側は、「意見への批判であって、自分の人格を否定している訳じゃない」と理解しようとする必要があるし、
否定する側は、「意見への批判をするべきで、人格の否定はしないようにする努力をする必要がある。

食卓での議論も、言わずもがなこの認識が前提にある。
「2人とも意見が真逆ですね!」と私が言うと、

「意見は理解し合えないけど、私たちは夫婦だよ」

と答えてくれたのが印象的だった。
この認識が共有されてると、議論が個人的に取られる事もなく、攻撃の場になる事もなく、非常に建設的で、一言で言うと「からっ」爽やかになる気がする。だから、気軽に議論が発生しやすくなるのだと思う。

日本で「政治の話は重い、めんどくさい」と言われる所以は、「意見の否定」≠「人格の否定」の認識が甘いのが大きな理由だと思っている。

まとめ

こうして日常的に政治や社会について日常的に議論する場所が家庭の中であったら、
そりゃ関心も高くなるし、選挙にも行くようになるよなぁと思った話でした。

ちょうど友達の家に泊まりに行った日が、友達の誕生日でした!
デンマークでは誕生日の人がいると、家の前に国旗を出すみたい。それからバースデーソングで朝起こしに行って、朝ごはんにケーキを食べるのも伝統のよう。

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デンマーク流の誕生日を祝えただけでなく、デンマークの難民受け入れ問題やright wing movement、いじめ問題やソーシャルワークの話など沢山出来て本当に楽しかった。
また絶対にお会いしたいな。

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