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エブリバディ is ウインナー

子どもを見ていると、時々その姿や言動の中に自分のDNAが確実に受け継がれているのを感じてヒョエエとなるのだが、逆にさっぱり理解できない点もある。

最近の育児は、毎日泣き出したい気持ちでひたひた。何なんだろう、幼児男子という生き物は。

絶賛反抗期の長男をはじめ、疲労を生み出す要因を数えたらキリがないけれど、中でも私の活力をごっそり奪っているのが、彼らの「競争意識」だ。ん?対抗意識?どっちでもいい。

日本でいえばどちらも幼稚園児、2歳差の兄弟。本当に、もう本当に競ってばかりなのである。朝起きたら30秒後には開始。どちらが早くトイレへ行ったか、朝のヨーグルトに手を付けたか、四六時中もめてばかりいる。はしゃぐ勝利者をなだめるのも、泣き出す敗北者をなぐさめるのも、私の仕事。あれ、このゲームに私自身が勝つにはどうしたらいいんだっけ。

かと思えば、園の送迎で車を出すときには、どちらもなかなか座りたがらない。そこは争わないのかよ。

彼らを見ていて「私って競争意識がないのかも」と、この年齢になって初めて気付いた。羨ましいとか、そういった感情は人並みにある。でも、負けず嫌いかと問われれば諦めは早いほうだし「この人に勝ちたい」と人物をピンポイントで狙い定めた覚えがない。

思えば、生まれ育った環境が、兄・私・弟で、兄とも弟ともやや年齢差がある上、異性なのだ。兄と弟も10歳以上離れているから、同性でも競争相手の対象にならない。それぞれが、良く言えばマイペース、悪く言えば自己中心的に育った。

だから、息子たちの競争っぷりを目の当たりにすると、一周まわって感心の境地に至る。こんなにも誰かに勝ちたいってエネルギーを生むのね、と。まぁ、そんな余裕のあるとき特有の大らかさは24時間中の2分ぐらいだが。

大事件が起きかねない、と思う。絶え間ない騒々しさにうんざりしつつ、逆に目の届かない場所で静かすぎても「……もしかして息の根を止めたのでは!?」と不安になる。

私の口が悪くなるばかりなので、優しいお母さんになりたいと育児本を開いてみる。なのに、こうやって声をかけてみましょう〜と温かく提案してもらう内容に対して「それができれば苦労はせん」と悪態をつく始末。もう読むな。

否定言葉はいけないと聞くし、もちろん最初は私だって朗らかモードでスタンバイしている。しかし、こちら生命維持スレスレを生きる幼児男子、ガソリンスタンドだろうが駐車場だろうが本能のままにかけっこを始める生き物だ。そんな悠長に構えとられんのである。

ゆっくり歩こうね

走らないんだよ


走らんでってば


走るなー!!!!! 
※激オコ

幼児に耳なし。アメリカの街中で奇声を上げるジャパニーズ女。肯定的な言葉を使うぞ!と10秒前に掲げた決意が一瞬にして消え去ってしまう。朗らか is gone…。

勝った方、特に長男が「うええええい、ぼくのかちぃ〜!!!」と絶妙に腹が立つ喜び方をするものだから、いつも「どっちが勝ちとか負けとかないんだよ」と息も絶え絶えに言うのが常というか精一杯だった。

歳が近い男子がいる家庭はだいたいこんなものなのだろうか。わからない。競争社会、つらい。勝ったら飴玉とかもらえるならまだしも、何も報酬がないのにどうして競えるのか。

いや、褒美があるから頑張るという発想の私が、むしろ汚れちまった大人なのかもしれない。正しく競争意識を持てれば、成長の養分にはなる。


***

毎朝、毎晩、そんな調子で過ごしている中、いつもと同じように次男をプリスクールへ送った日のこと。

ここは、赤ちゃんから6歳まで受付OKであり、兄弟や姉妹で通わせている家庭も多い。あるとき、所定の場所で次男が靴を履き替えていたところ、まさに既視感ありありの、歳が近そうなブロンドヘア兄弟がやってきた。

目の前で、ゴングが鳴った。どちらがはやく靴を上履きにチェンジできるか競っているようだ。あぁ、このおうちも同じなのね。ママさん、目の前に同志がおります…。

園は2階建てになっており、用意ができたら地下のプレイルームへ連れて行くのが決まりだ。再び争う兄弟。ダダダダーッと前につんのめりそうな勢いで下り階段を駆けゆく二人に、ママさんはこう声をかけた。

「Everybody is Winner!!」


思わず、ハッとママさんの顔を見てしまった。そんなポジティブな言い方もあるの!?私は、争わないでくれとか、勝ち負けじゃないとか、そういう物言いばかりしており、どちらも勝ちだという発想は一切持っていなかったのである。

なんだか、とてもアメリカらしいなぁと思った。褒めて、褒めて、伸ばす教育。あなたはいつもキュートで、クレバーで、スペシャルなのだと手放しで肯定し、子ども自身を尊重する。彼らの「勝ちたい」気持ちを否定しないのだ。

なるほど、なるほど。いたく勉強になり、しばらくはそのママさんに会ったら声かけに耳を澄ますようになった。

<子どもが着替えなければならないシーンで遊んでいるとき>

・私の場合→「ねぇ、はやく着替えようよ」
・ママさんの場合→「Is there anything I can do for you?」


<子どもがなかなかズボンを履けずに苦戦しているとき>

・私の場合→「ん?できんと?(と言いながら履かせる)」
・ママさんの場合→「I'm here to help you! (と言いながら履かせる)」


ママさんの言葉がもつ大きな包容力たるや。子どもを信じて、意志や気持ちを大事にしつつ、困ったときは必ずそばにいるという安心感。アメリカ環境で育つ人の自己肯定感が高い理由、わかる気がする。

それに比べて何なんだ、私の投げやりな物言いは。もっと観察してみよう。一人で悩まなくても、本を読まなくても、身近な場所に子育てのヒントは溢れてるのだと思った。そういえば、私はアメリカの人が子どもに対して持つ優しさや温かさ、愛情深さにいつも救われている。


***


学習は実践へ。相も変わらず競争を繰り返す兄弟。就寝時、どちらがはやく子ども部屋へたどり着くか、争いながら駆け上がっていく子どもたちに言ってみた。

「Everybody is Winnerだよ!」

長男は振り返りつつ「ええーちがうよ、Winnerはひとりだよ」と不服を言って走り続けたけれど、次男はなぜか気に入ったようで、ピタッと足を止めて歩き出した。どちらかというと負けず嫌いは長男だから、本来おっとりしている次男は競争に巻き込まれる側なのかもしれない。

その後も、争いはなくならないが、長男が「うええええい、ぼくのかちぃ〜!!!」と大袈裟に喜ぶたびに、次男はニコニコと私に微笑みながらこう言うのだった。

「ねぇママ、えぶりばでぃずウインナーよね?」


"ウィナー"ではなく、"ウインナー"としっかり言っているのを聞いて、しまった…と思う。私のwinnerの発音が悪かったために、英語が達者な次男まで、焼いておいしいアレの言い方になっている。ちゃんと意図は伝わっているのだろうか…。

気に入った彼がこのフレーズを言うたびに、頭の中にぽこぽことウインナーが浮かぶ。でも、まぁそれでいっか。誰もが、ウインナー。みんな、おいしい。平和で穏便に過ごせるのであれば、それが何よりもwin。

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