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【書評】アナーキストの銀行家

フェルナンド・ペソア『アナーキストの銀行家』(彩流社、2019)


「独創的な晩餐」

ベルリン美食協会の会長ブロージットが〈独創的な晩餐〉を催すと宣言し、会員に対し、晩餐会に招待するので、〈晩餐の独創性を見つけてみろ〉と挑戦する。この晩餐を開く理由は、少し前に自分とフランクフルトの街の五人の青年との間にあった言い争いであると説明する。はたして晩餐のどこに独創性があるのか。〈独創〉と名がつけば何でも許されるのか。ペソアにしてはめずらしい狂気を扱った作品。


「忘却の街道」

詩的散文で語られる闇夜の空間の無方向感。散文詩といえるかもしれない。空も地面も見えぬ。感覚としてあるのは、馬の足音と降る雨。その雨の描写。

とても細かい、降っているかどうかもわからぬ雨で、しずくも雨粒もなく、いつまでも宙を漂い、降らずに止まっているような雨だった。

馬の足音の描写。

音は、くりかえしながら、だんだんと耳から遠のいていった。というのも、しだいにそれを聞くわれらの内部にとけこんでいったからだ。

「われら」? ほかにだれかいるのか。しかし、それが複数の人間かははっきりしない。その描写。

この騎馬の大軍まるごとすべてが、ひとつの人間の孤独なのだから、だれひとり同行者ではなかった。われらはひとつのまとまりではなかった。

このような散文ともつかぬ詩ともつかぬことばを読んでいると、だんだんと気が遠くなってくる。それは快感にちかい。


「手紙」

「夫たち」と似た文体。訳者・近藤紀子の筆の運びには舌を巻く。背中にこぶのある十九の女性が「アントニオ様」に宛てて書いた手紙。余命数日の彼女はこれを相手に届けるためでなく、「あなたがわたしに書いた手紙であるかのように、この胸にしまっておくため」に書く。日がな一日窓辺にいるだけの彼女を家族も疎む。その描写。

たしかに母親や姉妹もいて近所づきあいもありますが、むこうはだれもわたしたちのことを相手にしたがりません。それがふつうだし、それが家族というものです。こんな骨のねじれた人形になにがいるっていうんだい、そうだれかが言うのをいつか耳にしたとおりです。

「わたしたち」? いったい仲間はだれ。「家の者にはとんだ厄介者で、みなしかたなく辛抱している」ような存在がほかにもあることを、彼女は本能的に知っている。


フェルナンド・ペソアはこの上ない詩人として知っていたが、このような短篇も書くことは知らなかった。いろいろな名とスタイルで創作する異名者(エテロニモ)として知られるペソアは天才という言葉でも足りない。

#書評 #短篇 #ポルトガル #ペソア

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