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呪いの合言葉、Remember Pearl Harbor.

 1941年12月8日の真珠湾攻撃の背景については、諸説ある。
 まず1928年、山本五十六が、真珠湾攻撃を提唱したのが初めとされる。
 また合衆国で、アーネスト・ジョゼフ・キングだけが、真珠湾攻撃を予測した訳ではない。ちょうど彼が、大学で論文を書いていた時期、とある演習が、ハワイで行われていた。
 1932年2月7日、ハリー・アーヴィン・ヤーネル少将(注74)は、ハワイ沖で演習を行った。空母レキシントンとサラトガが参加した。演習内容は、ハワイ空襲で、約150機による空母艦載機で、ハワイの基地を空襲すると、どうなるかであった。実験的な要素が強い。
 演習の結果、奇襲は成功と判定された。
 陸軍の飛行場は、完全に破壊されたと見なされた。停泊中の海軍の艦艇も、全て撃沈と見なされた。だが異論もあった。航空機による爆撃で、そこまで戦果が上がるのかと。なお航空機による雷撃は、真珠湾の水深が12mのため、浅過ぎたので、不可能と判定された。
 だが帝国海軍は、魚雷の改良と柱島での猛訓練で、水深12m以下でも雷撃を可能にした。
 いずれにしても、ヤーネル提督としては、大いに警戒すべき事案だと考え、この研究を推し進めようとしたが、1939年には退役者リストに入っていた。1941年には軍に呼び出されて、現役に復帰したが、今度は違う部署に回され、ハワイの件は話題にならなかった。
 このヤーネル提督による実験的な演習は、かえって、脅威に対する認識を妨げた可能性がある。報告書を読んだ者は、被害の見積もりが大げさに見えた。あくまでこれは演習の話だと。だから、アーネスト・キングの真珠湾奇襲の危機感は、より滑稽に見えた。
 そういう意味では、実機演習までやったのに、生かせていない。研究が不徹底だった。
 なお帝国海軍が真珠湾奇襲を行った時、米軍の電報で、「This is not drill.」(これは演習にあらず)と流れた。これは、あまりに意外な不意打ちだったからではなくて、背景として、基地の人たちに、ヤーネル提督の演習が、まだ記憶にあったからかも知れない。
 また真珠湾奇襲の時、ハルゼー中将の艦隊で、伝達ミスがあった。英語話者で、ネイティブスピーカー同士にもかかわらず、「No carrier in sight」(視野に空母なし)が「Two carriers in sight」(視野に空母2隻)と、誤って伝達された。当然、艦隊は迷走した。
 単なるミスかも知れないが、これもヤーネル提督の演習が、記憶にあったのかも知れない。
 なお車椅子の大統領は、1940年に重要な人事も行っている。太平洋艦隊司令長官のジェームズ・リチャードソン大将が解任された。理由は、車椅子の大統領と意見が合わなかったからだ。
 リチャードソンは、太平洋艦隊の主力をハワイに置いておくのは危険、と大統領に進言していた。日本海軍による奇襲を警戒すべし、と言っていた。だが逆に、彼は解任された。
 不意打ちではあったが、人々の頭の中に、恐れがあった事は、間違いない。だが実際に起きると、人々は驚き、酷く感情的になった。それが呪いの合言葉、Remember Pearl Harbor.だ。
 
 1941年12月7日午前、レイモンド・スプルーアンス少将は、ハワイ近海を航行していた。合衆国太平洋艦隊、第5巡洋艦戦隊を率いている。ちょうど、帰投途中で、真珠湾に向かっていた。だが友軍から通信があり、ハワイの基地が攻撃を受けている、と報告が上がった。
 「急げ。近くに敵がいるかもしれない。警戒を上げろ」
 スプルーアンスは、艦隊を増速して、真珠湾に帰還した。
 港に到着すると、すでに戦闘は終わっていた。フォード島桟橋のBattleship Row(戦艦通り)が燃えているのが見えた。合衆国が誇る巨大な戦艦群が、殆ど傾いて、炎上している。
 スプルーアンスは、上陸すると、副官を一人連れて、救出活動を見て回った。
 至る処で、戦艦が転覆したり、着底していた。船体から流出した重油が海面で炎上し、周辺に流れて広がっていた。鉄が燃える臭いに混ざって、人が燃える臭いも混ざっている。
 「……酷い臭いですね」
 副官がハンカチで鼻を押さえた。スプルーアンスは、「ああ」と短く答えて、頷いた。
 だが間違いなく戦場の臭いだ。この悪臭は生涯、付いて回るだろう。スプルーアンスは、戦艦の被害状況から見て回った。一砲雷屋として、気になったからだ。
 戦艦アリゾナ、オクラホマは撃沈されて、完全に破壊されていた。復旧不可。
 戦艦ウェストバージニア、カリフォルニアは撃沈されて、海底に着底していた。復旧可。
 戦艦ネバダは撃沈を回避するために、自ら座礁していた。復旧可。
 戦艦テネシー、メリーランド、ペンシルベニアは被弾して、火災が起きていた。復旧可。
 空母は、出払っていたため無傷だったが、合衆国太平洋艦隊が受けた被害は、甚大だった。
 特に戦艦アリゾナは、かなり破壊されていた。復旧は不可能だ。廃艦にするしかない。死傷者は、乗組員1,177名のうち1,102名だった。全体の戦死者2,334名の約半分を占める。なお今日でも、船体から漏れ出したオイルが、時々海面に浮かんでいる。アリゾナの涙だ。
 「……合衆国が一度の攻撃で、これほどの被害を受けた事はないですね」
 そうかも知れない。しかもいきなり本土攻撃だ。王手を掛けてきたつもりなのだろう。
 「大統領からの声明がある。よく聞いておけ」
 スプルーアンスは、副官にそう答えた。その頃、ホワイトハウスでは、政府高官はカンカンに怒っていた。奴らは俺たちがズボンを下げて、座っている処を襲って来た、と言っていた。
 車椅子の大統領は、真珠湾攻撃を聞いた時、日本人がやりそうな事だと答えた。そして翌日の議会演説で、日本は締結するつもりがないのに、わざと和平交渉を引っ張り、攻撃して一時間後に、宣戦布告して来たと伝えた。これは騙し討ちだ。戦うしかない。米国民は湧いた。
 車椅子の大統領は、1940年11月に三選している。当時は憲法に規定がなく、三選を制限していなかった。そのため1944年11月、戦時中とは言え、異例の四選を果たす。この大統領は、あなたたちの息子を戦場に送らないと言って、三選を果たし、結局息子たちを戦場に送った。
 8日夜、空母エンタープライズが帰港した。猛将ハルゼー提督の乗艦だ。
 スプルーアンスは、副官を連れて、上官に挨拶に行った。だが機嫌が悪く、苛立っていた。
 「何に怒っておられるのですか?」
 ブル・ハルゼーの視線の先には、標的艦ユタがあった。元戦艦だったが、海軍条約のため、標的艦になった。日本軍は戦艦と誤認して、撃沈、完全破壊している。スクラップだ。
 「……あそこはいつもエンタープライズがいる場所だったんだ。クソッ!」
 ハルゼーは呟いていた。運命のいたずらで、今回空母は全て助かった。
 「良かったではないですか。空母が無事で」
 ハルゼーは目を剥いた。何かよく分からない言葉で、勢いよく罵った。そして言った。
 「……奴らの言語は、いずれ地獄だけで話される言葉になるだろうよ」
 それはシュールな光景だ。あの世の地獄で、日本語は主要な言語になるのだろうか。
 帰り道、副官がスプルーアンスに話し掛けてきた。
 「……大統領の演説を聞きました。日本人は本当に卑怯な奴らですね」
 「だがアドミラル・トーゴーは、敗将ロジェストヴェンスキー(注74)を見舞い、ジェネラル・ノギ(注75)は敗将ステッセル(注76)を称揚した。騎士道ならず、武士道という奴だ」
 スプルーアンスがそう答えると、副官は少しの間、黙った。
 「……日露戦争と今次大戦は別物ではないですか?」
 「いや、同じだと思う。同じ考えで戦っている。連続性はある」
 真珠湾攻撃は、見事な技術で、完璧に遂行された、と基地の将兵から聞いている。これは日本海海戦と同じパターンで、徹底的な訓練から生み出されている。一糸乱れぬ艦隊運動か、針の先に、爆弾を落とすような飛行技術の違いだけだ。基本、同じ考えから来ている。
 彼らは、戦争を、剣道とか柔道とか、武術の鍛錬の延長線上で、考えているふしがある。どこか前近代的で、精神論がある。だが実際の戦いでは、平気で不意打ちもやる。彼らの精神論はどこか間違っていないか。そこには勝てば、何でもよい、という考えが透けて見える。
 「……今回、彼らに、正義があるとは思えません。底が浅いというか、無頼漢です」
 日本帝国が唱えるアジアの解放、白人からの植民地支配脱却には、正義があるかもしれない。だがそのやり方はよくない。これは不意打ちで、騙し討ちだ。大義を掲げるなら、もっと堂々戦うべきだろう。スネーク・アタックがその答えなら、彼らの大義は霞んで見える。
 彼らは国際連盟でも、大義を述べたが、受け入れられないと分かると、席を蹴って退席した。松岡洋右の演説は、アングロサクソンかと思うほど、見事な英語だった。だがそれだけだ。
 「あの島国に何があるのか分からないが、我々は竜退治に出掛けなければならない訳だ」
 スプルーアンスがそう答えると、将旗を掲げた重巡洋艦ノーザンプトンに帰って行った。

 コロラド級戦艦ウェストバージニアは、太平洋戦争、最初の餓死者を出していた。
 大破着底した後、倉庫に取り残された者が三名いた。この者たちは、倉庫の真水と非常食で、1941年12月23日まで生存していたらしい。1942年5月に船体を浮揚した後、判明した。戦争飢餓と言えば、よくガダルカナル島の戦いが取り上げられるが、米軍の方が先だった。
 真珠湾の戦艦で、一番活躍したのは、戦艦メリーランドかもしれない。1944年10月24日、スガリオ海峡で、日本の戦艦山城を共同で撃沈している。1945年4月、コロラド三姉妹の次女であるメリーランドは、三姉妹でスプルーアンスの麾下に入り、沖縄戦に参加した。
 だが特攻機が、戦艦メリーランドの第三砲塔に体当たりして、大きな被害が出た。
 「我戦闘航行支障なし」
 戦艦メリーランドは嘘を吐いた。無論、戦艦大和との決戦に挑むためだ。結局、堂々たる戦艦同士の撃ち合いはなかった。スプルーアンスも、もう砲雷屋ではなくなっていた。戦争全体の戦略を考える立場になっていた。だから対日戦を通じて、深く考えざるを得ない。
 Remember Pearl Harbor.これは復讐の感情だ。だが復讐は正しいのか?
 この種の熱狂は、最終的に、一体どこに行くのだろうか。戦争が終わったら、忘れ去れるものなのだろうか。それとも亡霊のように蘇って、合衆国の未来を何度も祟るのだろうか。
 戦士した将兵たちは、アーリントン墓地などに埋葬される。それは日米ともに同じだ。だが英霊は彷徨う。彼らの感情は消える事はない。彼らが納得するまで無限ループする。だから、騙し討ちはよくない。騙し討ちは、死後の世界がない、という前提に基づいている。
 もし死んで、その人が跡形もなくなり、死後の世界もないなら、不意打ちは正しい。殺人が最上の解決策になる。だが世界はそんな風にできていない。正義はある。不義は正される。
 そして幽霊は現れる。戦艦テキサス、ノースカロライナ、ニュージャージー。これらの戦艦は、ホーンテッドだ。今でも旅行会社が、一泊二日のゴーストツアーを組んでいる。一夜のゴーストハンターになれるらしい。キャッチフレーズだ。料金は150ドル前後だ。安い?高い?
 古い軍の制服を着た幽霊に会うとか、船乗りとしてアドバイスしてくれる幽霊とか、様々だ。音が鳴るとか、会話が聞こえるとか、頻繁にあるらしい。だからツアーが成り立つ。
 この合衆国の戦艦の幽霊たちは、もしかしたら、陽気かも知れない。だが日本人はどうだろうか。生真面目な彼らの事だ。きっと怨霊になっている。間違った精神論を振りかざし、自己主張する。彼らの神、民族神もちょっとおかしい。所謂、日本人精神年齢12歳論だ。
 だから、スプルーアンスは、竜退治に出掛ける。日本という竜を斃すのだ。
 
注74 Zinovij Petrovich Rozhestvenskij(西暦1848~1909年) バルチック艦隊司令長官
注75 乃木希典(のぎまれすけ)西暦1849~1912年 帝国陸軍大将 水師営の会見で有名
注76 Anatolii Mikhailovich Stoessel(西暦1848~1915年) 陸軍中将 旅順要塞司令官

          『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード99

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