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不意打ちの日本史

 議員一年生は帰国し、自分の書斎に戻ると、背後に気配を感じた。
 「直諫の魏徴か」
 ちょっと嫌そうな顔をした。その官吏は進み出て、慇懃に拱手礼をした。
 「……恐れながら、伏して申し上げます。主上が不意打ちをされましては、術中かと」
 「主上はよせ」
 臭そうに手をひらひら振った。主上とかいつの時代の話だ?ここは内裏(だいり)ではない。
 「……意見に対して意見で反す。これが議論でございます。椅子を投げるのは礼に反します」
 そんな事は分かっている。だが感情が先走った。不意打ちをせざるを得ない。
 「……君之外臣は、まさにその感情を指摘しております」
 うるさい官吏だ。これだから嫌なのだ。魏徴は。仙人の方が幾分マシだ。
 「2022年のアカデミー賞で、奥さん弄られて、司会者にビンタを喰らわせた奴がいた」
 とある黒人俳優のエピソードの話をした。全米が泣かず、本人が泣いた話だ。(注57)
 「……世界的に不評でございました。礼に反するがゆえに」
 「だが日本だけ、プラスの評価が、マイナスの評価を上回っている」
 ネットを検索した。必ずしも全てではないが、一部そういう調査結果もあるのだ。
 「……不意打ちでございました。だが司会者の対応も、礼に適ったものではない」
 合衆国だからな。礼も何もない。議員一年生は、指を走らせると、不意に微笑んだ。
 「見ろ。国連安全保障理事会の乱闘動画だ。アカデミー賞のビンタ動画を軽く超えた」
 とんでもない再生数になっていた。ミリオンどころか、ビリオンを超えている。
 「……老は嘆かわしく思います。聖人君子はこのような事を誇ってはなりませぬ」
 だが議員一年生の名前は、全世界に知られた。これ以上の売名行為はないだろう。
 「……まさかこれを狙っていたのですか?」
 魏徴はやや驚いた様子で、尋ねてきた。議員一年生は、「ははっ」と軽く笑った。
 「いや、そんな事はない。感情に任せて動いた結果、そうなっただけだ」
 「……老は天に向かって泣きとうございます。主上のなさる事ではない」
 相変わらず、うるさい官吏だ。もうこんな事はやらない。それから主上はよせ。
 「……どうして椅子を投げたのですか。あの椅子は床に備え付けでございました」
 人間の力で、引き抜けるものではないと言いたいのだろう。最悪、バレる可能性がある。
 「日本大使は、まさに怪力乱神(かいりきらんしん)だったという事でいいだろう」
 「……内裏で椅子を投げるのは、聖人君子がやる事ではございません。礼に反します」
 「セネガル式だ。西アフリカの議会闘争では割と一般的だ。女の議員でも椅子を投げる」
 TV5MONDE Le Journal Afriqueを映した。フランス語の放送だ。ダカールが映る。
 「……それでは、君之外臣のあのような横断を許します」
 確かにそうだが、あの場で、適切な反論が思いつかなかったのも事実だ。
 「不意打ちの日本史と、大陸の大使は言っていたが、どう思う?」
 魏徴は考えた。源義経の鵯越の逆落とし、織田信長の桶狭間、山本五十六の真珠湾奇襲。全て不意打ちだ。そして因果応報で、三人とも最期は、非業の死を遂げている。
 「……孫武の兵法でございます。倭国人は『孫子」をかなり読んでおりますゆえ」(注58)
 「つまり、大陸の影響を受けて、そうなったと?」
 「……その通りでございます。わざと三つ並べて見せていますが、悪意がございます」
 「共産党のいつものやり口だよ。徹底的に相手を貶めて、攻撃理論を組み立てる」
 見事に術中に嵌ってしまったが、指摘された内容については、別途考えないといけない。
 「……あの君之外臣は、攻勢に転じる時は強いですが、防御に弱い傾向がございます」
 「だから不意打ちで、椅子を喰らわせてやった。奴ら、椅子だけは喰えないらしいからな」
 大陸では古来より、椅子だけは調理法が見つからないと言われている。無論、大陸は激怒した。日本政府は震え上がる。また弾道ミサイルを撃って来たらどうする?と言われた。帰りの飛行機も大変だった。完全に時の人となり、世界中のマスコミから、マイクを突きつけられた。
 「……当面の間、内裏にてお休みされるとの事ですが、いつお出になられますか?」
 魏徴は心配そうに言った。だが議員一年生の見解は異なった。
 「いや、俺の読みでは、すぐに出番は来るさ。自分から辞めない限り、失職しない」
 今のところ、大陸は激しく怒っているが、世界はあまり問題にしている様子はない。共産党が大げさで、感情的なのはいつもの事であり、むしろ、痛快と笑う西側のコメンテーターさえいた。日本はそれどころではなかったので、抑制的に報道されたが、批判はかなり出た。
 「俺は日本を危険に晒したか?」
 「……老には分かりません。ただ礼に適う振る舞いを天に祈るのみです」
 「日本人は不意打ちばかりやる卑怯な民族か?」
 「……いや、誠に残念ながら、その種の戦いは、史書に沢山記されております」
 「まぁ、大陸も負けてないよな。だがその前にちょっと宿題を片付ける」
 ネットで検索した。発見した。アーネスト・キング(注59)の記事を見る。
 「この元帥だ。戦前、若い頃、東海道線の大船駅で財布をスられたのは」
 この米海軍元帥から財布を盗んだ奴は、国賊だろう。迷惑極まりない。因みに、この元帥は、ダウン・フォール作戦に賛成し、昔盗まれた財布が取り返せるとか言っている。それにしても、盗人と担保を要求する駅員から、よく帝国海軍による真珠湾攻撃まで予想したものだ。
 余程、恨みを買ったらしい。担保で駅員に預けたコートは、後で取り返したらしいが。
 「……そのような個人的な体験から、そこまで飛躍して先を読むのも凄いですな」
 「そんなものだ。個人的な体験はいつだって真実だ」
 魏徴は議員一年生をじっと見ていた。資料を色々漁っている。
 「だがこのままでは不味いな。日本人は卑怯な民族と言われてしまう」
 「……それでは、易姓革命を行う本物の英雄は、どのような戦い方をしますか?」
 「私は勝利を盗まない」(注60)
 「……それは誰の言でございますか?」
 「アレクサンドロス大王だ。BC333イッソスの戦いの前、パルメニオンに言った台詞だ」
 ギリシャ側が4~5万で、ペルシア側が10万以上で、戦力差は二倍以上開いていた。
 「副将パルメニオンは前夜、夜襲など不意打ちを提案していたが、全て却下された」
 「……小細工なしで、真正面から挑まれたのですか?」
 「そうだ。正々堂々、昼間に真正面からぶつかって、ペルシアの大軍を完膚なまでに破った」
 私は勝利を盗まないと宣言して、寡兵で真正面から大軍を撃破するのは、尋常ではない。
 「……波斯をそのように破るのは見事でございますが、万人にできる芸当ではございませぬ」
 「全くその通りだ。しかもこれは古典古代の話だ。日本史じゃない」
 議員一年生は嘆息した。日本史は大物が少ない。小物ばかりだ。
 「大陸の国連大使の異端邪説じゃないが、このまま行くと、関ヶ原の合戦で、西軍から東軍に寝返った小早川秀秋辺りが、代表的日本人になりかねない」(注61)
 「……機を見るに敏で、利に敏く、利がない時には、助けにも応じない」
 珍しく謹慎な魏徴も皮肉を言った。本物の英雄から程遠い、というか真逆の存在だ。いや、待て。むしろこの姿勢は、戦後日本の外交方針、重経済、軽武装そのものじゃないか?日本国憲法は序文から国連頼みだし、憲法9条は専守防衛に帰結する。議員一年生は嘆息した。
 「まぁ、こういう狡い男たちは、日本に限った話じゃない筈、大陸もそうだろう?」
 「……誠に嘆かわしい限りですが、史書に沢山記されております。今こそ礼が必要です」
 議員一年生は、ちょっとイライラした様子を見せた。こんな史実は手本に値しない。
 「そもそも日本史とはどういうものだ?日本は何を目指していた?」
 パソコンから離れ、書架の谷を歩いた。岩波・朝日の文物で埋め尽くされている。
 「戦後、日本は左翼史観がずっと優勢だったが、あのエリート史観、或いは一億総懺悔史観は好かん。戦前はもっと嫌いだ。軍国主義も嫌いだが、なぜ寄りによって、ちょび髭の独裁者と手を組んだ?アレは軍部の暴走というより、外交の発狂だろう。日本外交の敗北だ」
 「……でもそれは、外交だけの話ではないでしょう」
 「それはそうだ。だが外交は国の方針だ。迷走していたとしか言いようがない」
 「……では運命の分かれ道は、どこにございましたか?」
 「1923年の日英同盟の失効だろう。アングロサクソン系と対立する道に入った」
 「……なるほど、でも今は手を組んでおりますな」
 「今はな」
 議員一年生は短く言った。魏徴は少しこちらを見た。
 「近現代の話はもういい。それよりももっと前だ。日本は何を目指していた?」
 「……修身斉家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)」
 「それは江戸時代の話だ。徳川の幕府は儒教的だった。もっと前だ」
 「……戦国時代、室町時代は、海外から多くの文物が流入していて、倭国が何を目指していたか不明ですな。鎌倉時代であれば、鎌倉幕府、武士ですな。武士道を目指していた」
 「鎌倉武士は、大陸からの侵攻を打ち払ったな。元寇は真正面から正々堂々戦っていた」
 「……はい、倭人はやや猪突猛進で、神頼みでしたが」
 武士道も必要だろう。これがないと、日本人はすぐ小早川秀秋を見習った動きをする。
 「だが、もっと前だ。平安時代、いや、奈良時代だ。何を目指していた?」
 「……それは仏国土ですな。聖武天皇の時代や、聖徳太子の時代でございます」
 魏徴がそう答えると、議員一年生は考えていた。
 「やはり、そうなるな。聖徳太子はどうしても日本史から外せん」
 「……主上とは少なからず、縁がございますな」
 「よせ。今は関係ない。大陸から出た身だ」
 とにかく、不意打ちの日本史などと言う不名誉は、雪(そそ)がないといけない。
 「日本人は不意打ちばかりやる卑怯な民族という風評は、断じて広げてはならない。これは名誉にかかわる。だがこの異端邪説も、平安時代末期からの話だ。それ以前はない」
 「……史実も混じっているだけに厄介ですな。今更、平安時代からやり直せぬゆえ」
 それはそうだ。だが聖徳太子は、政治の浄化を目指して、理想を立てた。17条の憲法。1400年前の話だ。特に第1条、和を以て貴しと為すは、まだ日本人の心にずっと響いている。そう言った意味では、まだ灯は消えていない。再び灯す事はできないか?
 そうすれば、あんな異端邪説を、外国の大使から言われなくても済む。
 「ある意味、大陸のあの国連大使には、感謝すべきかもな」
 議員一年生は言った。魏徴がそれはどういう意味かという顔をする。
 「日本人の悪い処が良く分かったからだ。日本史の反省が必要だ」

 注57 Willard Carroll Smith Jr.(西暦1968~現在)俳優 『Independence Day』等 米国
 注58 孫武(紀元前535頃~没年不詳)兵法書『孫子』の作者とされる。春秋戦国の斉
 注59 Ernest Joseph King(西暦1878~1956年)米海軍元帥 合衆国艦隊司令長官 米国
 注60 プルタルコス『対比列伝』の「アレクサンドロスとカエサル」より
 注61 小早川秀秋(西暦1582~1602年)1600年の関ヶ原の戦いで、西軍を裏切った。

          『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード86

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