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夫婦の問題は、結婚前の価値観やスキルでは解決できなかったので、進化が必要だと悟った。

結婚してからの共同生活で起きる問題は、これまでの価値観やスキルでは、まったく解決できなかった。むしろ悪化することさえあった。

自分は変わる必要があるのだと悟った。自分が変わろうとしないうちは、いつまでも、相手に問題を見出しては解決しようとする姿勢でいてしまう。

フリーランス夫婦のため、一緒にいる時間が長く、関係の悪化は死活問題..

それに気づいてからは実験と修正を繰り返した。共同生活内の問題は少しずつ形を変え、解決に向かって前進し始めた。それと同時に、自分の価値観やスキルも変わっていった。その振り返り。

価値観の変化の例に出すと、解決→受容。相手の問題をすぐさま解決することが、相手に対しての価値提供だと思っていた。が、パートナーに対してはものすごく反感を買った。問題に対して困っているという感情を、まず受け入れることがまったくできていなかった。

関係性的には、<私とそれ>。目の前に透明な敷居が用意され、あくまでも「あなたの問題」として線を引いていた。むしろ、そうしないと問題を解決できないと思っていた。

ところが、

「冷たいね」

という反応が返ってくる。一体どういうわけか。

自分は大事な関係性を見落としていた。それは、<私たち>という関係性だった。

<私とそれ>という一線を引くことで、冷静に相手の問題を捉えて解決しようとしていたことが、相手に「突き放されているよう」に感じさせてしまっていた。その段階で、相手は話す気力を削がれる。他にも伝えたいことがたくさんあるのにも関わらず、相談は打ち切られる。

すぐさまに解決することのよくない点としてもうひとつ、相手の問題をこちらが奪ってしまうことになる。問題についてはその当事者が一番情報を持っていて、大体は答えも持っていることがある。

こちらが問題を解決することは短い目で見れば良いかもしれないが、相手の主体性や行動の機会すらも奪ってしまう可能性がある。自分が<すること>を優先するあまり、相手を尊重するための<いること>を忘れてしまっていた。

まずは、自分の判断を脇に置いて、相手の話とその裏にある感情を受け入れる。<私たち>という関係性と空間を作り出す。その上で話しあって、<私たち>の行動を決定する。

関係性が変わることで、相手に投げかける言葉は「こうしてみては」から「こういうふうにしていこうか」という風に変わっていく。関係性が変わったと気づくのは、自分たちが使う言葉が変わった時。

逆に、言葉を変えれば、関係性が変わるということ。相手を変えようとする前に、<私たち>の間で交換している言葉を変えることから。

変化の最中、<すること>を制限することで、自分の無力さに襲われることが多々あった。何度も惨めな思いをした。それは重要な体験で、自分は<解決することができる>という力に囚われていたことに気づくことができた。

それは、無意識の内に相手と上下の構造を作り出しているかもしれなかった。<助ける側>と<助けられる側>というふうに。

<私たち>という関係性は水平な構造のように思えてきた。

ここまで振り返ってみて思うのは、これまで仕事で関わってきた方たちに対して、自分は本当に力になれていたのだろうかということ。もっと違うアプローチができたのではないかということ。抱えている問題は、そこではなくて、他にあったのではないかということ。

相手のためを思ってしていることは、本当に相手のためになっているのか。自分が満足したいだけじゃないのか。

よかれな行為を少しでも減らすために、今日も自分に問う。

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